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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2009年07月06日

詩人の感性に学ぶ・その11

 いろんな雑誌、本、新聞経由でネットサーフィンしていて出会う、珠玉の言葉と、見知らぬ人物からの感動。

東君平イラスト











蟻が 歩いている
蟻は 思う
ちいさな 自分のことなど
誰も見ては いないだろう
               
蟻は見られている
僕が見ている

蟻に限ったことじゃない。

蟻のイラスト1











◎ にげたインコ 
    みつけてください
        おれいします
               
ぼくのインコも にげました
どこへにげたのかは しりません
なぜ にげたのかは わかります
ぼくのインコは みつけないでください
おれいします。
インコ










たとえアヒルの歩みでも
それが小犬の知恵にしろ
自分で選ぶ道だから
自分の歩く道だから
自分の足のむくままに
自分が生きて行く先は
自分の足の下にある。

みち










              

◎ 紅茶の時間

木陰のテーブル
紅茶に うかんだ
レモンの 薄切り
こんな小島に
ふたりで住みたい。

こうちゃ






               

◎ ないしょ

   よいけしきは
すきなひとに みせたい

   よいしらせは
すきなひとに しらせたい

   よいものは
すきなひとに おくりたい

   よいおんがくは
すきなひとに きかせたい

   よいほんは
すきなひとに よませたい

   よいひとは
 だれにも おしえない。

ないしょ









● またまた ほのぼのとして 元気が出そうなわたし(増澤)。

小淵沢のくんぺい童話館(055−136−4514)に行ってみました。今年が生誕70年ということで、くんぺい童話館展が野辺山高原であります。此処小淵沢では様々な作品を展示していて、奥さんとしばし、身内の話が出来てよかった。


“ 君平さんの描く世界は、どこにでもふつうに見られる世界です。いつもわたしたちが見ているものや感じていることなのに、君平さんの絵やおはなしになると、とてもやさしくて素敵なものに変わってしまいます。
 おかあさんのあたたかさ、おとうさんの強さ、にゃんこちゃんの愛らしさ、りすさんのひょうきんさ・・・・・。みんなみんな私たちがたいせつにしていたり、心のどこかで求めていることなのかもしれません。
 なんでもない世界なのに、なぜか幸せになれるなんてとても素晴らしいことですね ”


会話の中で奥さんが、 「 くんぺいさん 」 「 くんぺいさん 」 と呼びかけているのが印象に残りました。
  

Posted by masuzawa05 at 09:04Comments(0)

2009年06月29日

白骨 ( しらほね ) 温泉

国際観光施設協会主催の 第四回・ 「 観光交流空間のまちづくり研究会 」 の09年夏会が自然環境保護の上高地に隣接する、長野県松本市白骨温泉で開催されました。

 一般車両の入場を禁止した上高地の自然の中を散策し、その後白骨の白濁する温泉を楽しみつつ、秘湯を守る努力をしている観光地を視察研修するのが目的でした。

 ● この写真は上高地手前にある有料駐車場の看板です。

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 自家用車で乗りつけた私が気にしていたのは、管理運営の実際でした。どんな無料の大駐車場があって、そこからいかに環境に優しい乗り物でピストン輸送してくれるのかという単純な期待でした。

 夏の ‘ 海の家 ’ の客引きの如く、手招きで呼び込まれた有料駐車場で一日駐車券を500円で買わされ ( 此処しかないのですから買わざるを得ない )、 現地への往復はバスかタクシー ( 低排出ガス車らしいのだが ) で又数千円取られます。いいのか悪いのか、仕方ないのか?!

( 翌日環境庁松本自然環境事務所の所長さんに聞いた話では、駐車場だからお金を払うのは当然で、ただしあからさまな勧誘はいかがなものかとの無難な返答でした )。
           
自然保護の立場から パーク・アンド・ライド・アンド・ウォークはいいのだが、こんな美しい自然があるのだから、もっと自然景観に負けないぐらいの、ハードとソフトがマッチした美しい運営方法は無いのかと思いました。

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 上高地の一気に1500メーターの高低を見やる景色は圧巻でした。


 ● 峠から見下ろす谷底に在るメイン会場の白骨温泉です。( 拡大して見てください )

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 ● 温泉の入り口部分にある公衆トイレ

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 ● 環境にマッチさせ、改装された土産物屋。

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 ● 町営の温泉施設

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 ● 宿泊した 湯元・齋藤旅館です。白濁した硫黄泉が売り物で、一度入ると又入りに来たくなると言われる通りの良い温泉でした。

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 ● まちづくりの委員の皆さんの、白骨温泉の財産 ( 宝 ) と題して何十項目もの箇条書きが出来ていて、微笑ましく思えました。

これはその中の一項目 『 温泉粥 』 についての私(増澤)の食後感です。


普通の粥のつもりで口に含むと
プーンと硫黄泉の匂いがする
聞くところによると白骨は中性の硫黄泉
カルシウムを含み、匂いのわりには刺激が少ない
匂いが味と一体となり、ふくらむ
蕗ミソ、などがあれば
口中で複雑な春のハーモニーを奏で、喉もとを流れ下る
温泉粥は初めてではないのだが、まさしく硫黄味の粥だ
清涼な大気と相まって旨い
どんなオリジナルな副食を取り合わせたらいいのか、しばし考える
伝統的な地物の保存食がいいのだろう
金山寺味噌、山魚の甘露煮、蕗の佃煮、山ごぼうの味噌漬け、山菜
飲み疲れた胃腸をいたわりつつ、つれづれに思いをめぐらす朝のひととき
源泉のパワーを身体いっぱいにいただく幸せ。


 この温泉場は我々仲間の倉橋さんがライフワークで設計を手掛けておられ、その面から統一感がある。なかなか出来ないことだ、思い入れが感じられる。


 秘湯は秘湯であるがゆえに、苦心惨憺やっと辿り着けるのがいいのであって、知れ渡ってしまった秘湯、簡単に行けてしまう秘湯は大勢が訪れるただの温泉場になってしまう。いいのだろうか、素朴な疑問が残る・・・・・どうなんだろう。
  
Posted by masuzawa05 at 10:29Comments(0)

2009年06月08日

心に残る建築家の言葉・その23

 ニューヨークの近代美術館(MoMA)で私( 増澤 ) が感じたこと、それを設計者である彼はこう述べていました。

谷口さんのイラスト











◎ 外部と内部があいまいになるような空間づくり:

 たとえば、道に沿って建築があって、その建築と隣の建築がくっついて街となり一つの都市が出来ていくという有機的なつながり、そういう関係の中では創造に対する衝動が今の町の中ではわいてこない。だから私としては抽象化したイメージで単純な箱みたいなものをつくって、都市の中で起こるいろいろな偶然性とか、出会いの体験といったようなものを建築の中に再現するという方法をとっています。空間が立体交差していて、上からも下からも見えるとか、外部と内部との境界がなんとなくあいまいになるような空間をつくろうかとか、というようなことです。例えば狭い繁華街の道路を歩いていると屋内が屋外に感じたり、また逆に外が内に感じたりという、そういう複雑な視覚空間を建物の中につくる。何となく都市の中のような視覚空間をつくるという方法です。

 ● 私(増澤)、MoMAを見てそう思いました。四角い箱の中で交差する、フロアーの違う面に穿たれたように開けられた通路や開口部を見やるとき、そこに行ってみたい衝動と、視覚的には見えないけれど厳然としてある、平面的ではない空間の繋がりを感じました。それと、内と外のつながりの大切さ。

2728     












◎ 制約はむしろ創造のための要素と考える:

 建築というのは、施主と施工者と設計者が協力して初めて使いやすくて、美しくて、長持ちするものが出来る。その三者でうまいコンビネーションができなければ、絶対いい建築ができないのは当然です。日本では発注者の方で建築家を全然、建築に関係ないレベルで選ぶケースがたくさんあるわけですね。それに対して外国の場合は、建築家を選ぶのは非常に重要なことだと考えて、「建築家選考委員会」というのをつくって慎重に検討する。その辺りに違いが大きく表れていると思います。日本の場合は、ビジネスとプロフェッションの違いを発注者の方に分かっていただけない。その辺がわかると偶然とか、無頓着とか、建築に全然関係ないレベルで(建築家)を選んでしまうことはなくなると思うのです。

● 私(増澤)、宿つくりについては、プロとしての実績を元にビジネス最優先で臨みますが、半数ほどは経営コンサルタントとの共同作業になります。お互いのプロフェッションを尊重しながら進めます、そして領空侵犯しないことが肝要です。例えば、発注者が経営や建築設計に詳しく一家言ある場合は、よく見極めた上で仕事をお受けしたいと思います。というのは、終わりまでなかなか相手先の技量の程が解らないのが現実で、( それはお互いさまかもしれませんが ) ならば我々としては ‘ 良く見聞きし解る ’ よう、誠意を持って当たるしかありません。

◎ 建築家としてのプロとは:

 ビジネスは相手との相対的な関係によって仕事をしていくということで、プロフェッションは自分自身の問題だと思うのです。だから私としては、プロフェッショナルは何であるかということを考えて、ビジネスとの違いを自覚するということが頭にあります。

 ところが、あまりプロフェッショナルに傾きすぎると、今度は独断的になってしまう。建築が出来るというのは一つのチャンスで、発注者があり、施工者があり、我々がある。我々はいろいろな条件の中で仕事をするわけで、独断ではいけないということも一つの設計条件といえるわけですね。私としては、いろいろな規制があった方がかえって面白い建築が出来るし、逆にそんなことすべてを創造のための要素と考えて処理していこう、と思っています。

● 私(増澤)思いますに、ヒントは施主(発注者)の中にある、と思います。よく話し合い、観察すること。なおかつ、繊細かつ大胆に耳を傾けるところからすべてが始まる。多くの意見や規制の中に答えがある。

◎ 日本的なものについて:

 日本的といっても、いわゆる和風とか、数奇屋とか、古典的なものとかいうものではなくて、非常に洗練された中で日本的な環境に合う形が出てくるのではないか、これから、そういう独創性のあるものが出てくると思うし、私自身もそういうことを心がけていこうと思っているわけです。


 ● 私(増澤)、宿馬鹿としては、アジアの中の美しく厳しい風土に根ざした ‘ 倭 ’としてのもの造りがあって、結果としての ‘ 和宿 ’ があっていいと思い始めている。

   旅館は日本の伝統文化でありながら、時代に即した ‘ 儲かる商品建築 ’ でなければならないと思っています。儲からないことには事業の継続・メンテナンスができない。

   我々の範疇である 『 温泉旅館は 』 海外の高級リゾートに負けない魅力があるはずなのに、ハード・ソフト共に、生かされていない。


   その為には、顧客満足度と従業員の生産性 ( 適正な人数で効率よく働いて、それでいてお客様に不満を与えない ) を高める仕組みを作ることだと言われて久しいが、なかなか道は遠い。一つ一つ出来る事からやる以外になさそうだ。
  
Posted by masuzawa05 at 10:01Comments(0)

2009年04月28日

言葉を掛けること

152     

 








    


● 当たり前の事って、気恥ずかしくて案外言えないことが多い。でもそれでは、だめなんであって、

 「 おはようございます 」

 先に職場を辞するとき 「 お先に 失礼します 」

 事務所から出掛けるとき              
 「 ○ ○ の打ち合わせに行ってまいります。何時ごろに戻る予定です 」
 帰ったとき 「 ただいま 戻りました 」

いつもの床屋で農家のお爺さん、散髪が終わって、帰り際の一言。
 「 お世話さまでした 」 他人(ひと)の手をわずらわす事への感謝の気持ちを表す
美しい言葉。
                           
私、この言葉にしびれたのを思い出しています。もちろんそれから、床屋の帰
りがけや、タクシーの降りがけに一言申し添えます 「 お世話さまでした 」 と。


 「 ありがとう 」

 「 ごちそうさまでした 」
                         
「 どうも ・・・ 」 で言葉をにごすんではなく
はっきり言いましょう! 「 ありがとう 」 「 ごちそうさまでした 」。


● 最近、知り合いからの定年退職の電話や手紙が多くなりました。

まだまだ元気で働けるのに、現役を退かざるを得ない仲間に、なんと言ってあげたらよいのかといつも戸惑う。

 「 お疲れさま 」 は空々しいし、

 「 がんばれ 」 は安直で無責任だし、

 「 第二の人生を楽しめ 」 は他人事(ひとごと)である。

 それでも良いのだけれど、つまるところ変わらぬ健康を祈るしかない。

相手の気持ちを おもんぱかる 心があれば適切な言葉が掛けれるのに・・・・。
気合を入れて 品格の有る一言を選ぶ、 日々のトレーニング。


◎  先日の日経・実践マナー塾にこうありました。 

 ひと言の魔法:
                               
ニューヨーク支店に配属の決まった知人は 「 ほんとですか! 」 と飛び上がって喜び、 「 ありがとうございます。 がんばります 」 と口には出したものの、心のどこかには 「 こんな私でもいいのだろうか 」 という謙譲の気持ちもあった。でもそれを上手に伝えられず、ひたすら上司に向かって 「 ありがとう 」 をくりかえしたという。                                        
( I will do my best : がんばります! だけでは物足りない。どういう状況で選ばれたのか、奥ゆかしい気持ちを言葉に込めて礼を尽くす )

 似たような経験を私もしたことがある。それは大抜てきでうれしさと不安をごちゃまぜにしながら、結局は 「 ありがとうございます 」 としか言えなかった苦い思い出。

 そして、もしそのとき 「 このような機会をいただき 」 というひと言を知っていたなら、もっと自然に謙虚に感謝の気持ちを伝えられたと思うのだ。 「 私に、このような機会いただきまして本当にありがとうございます。未熟ですが力いっぱいがんばりますのでよろしくお願い致します 」 と。
 こういわれたなら上司も好感をもってくれたうえに、ただ 「 ありがとう 」 の連呼よりはずっと信頼度も増して仕事を任せてくれるに違いない。

 何かチャンスを与えられたり特別に選ばれたり、仕事に抜てきされたりしたとき、また発表やプレゼンの最後のあいさつにも 「 このような機会をいただき 」 を使って謙虚に感謝を伝え、幅のある人間に成長したい。


● 私(増澤)思いますに、頭で分かっていても、すらっと普段使いでそういうことが言えないといけませんね。
  
Posted by masuzawa05 at 08:54Comments(0)

2009年04月20日

安さだけで買うな

152’安さだけで買うな

       

     





○ 今まさに節約ブームですが 「 安さだけで買うな 」 と問題提起されていますね:

 「 お金は欲しいものを手に入れるだけでなく、応援したい企業や商店、作り手に拍手を送るために使うものです。マヨネーズがスーパーで百八十円で売られていても、商店街のおばあちゃんの店で二百円で買うこともある。マヨネーズを使う料理を教えてもらったり、笑顔がすてきだったり。おばあちゃんの店で買うと幸せな気持ちになるといった付加価値があればいい 」
 「 企業と消費者は助け合うもの。異常に安い商品があったら、消費者には                 『 なぜ安いのか 』 と考える責任がある。安さの理由を考えて 『 気がひける 』
なら、買うのをやめたほうがいい。生産者に圧力をかけて安く仕入れているのではないか、不当にもうけている人はいないか。払うお金の行き先まで目配りしたい 」
 「 そうした消費者倫理を義務教育で教えるべきではないか。消費者を育てる教育をすれば、それが経営の考え方を変え、社会が少しずつ変わっていくはずです 」

○ 時には 「 無駄遣い 」 も必用だとお考えとか:

 「 作家の池波正太郎さんはタクシーに乗ると必ずチップを渡していたそうです。運転手さんはうれしくなって次のお客さんに愛想良くなる。その乗客は気分が良くなり、降りた先で気持ちよく人と接する。自分が渡したお金から小さな幸せが連鎖して広がっていくのです。景気対策で支給される定額給付金でそうした無駄遣いをしてみたらどうか。どうしたら人に小さな幸せを与えられるか考えて使ってみる。そこから新しいきずなが生まれるかもしれない 」

○ 無駄遣いをしたいと思わせるには企業の努力も必用では:

 「 客が来ないのは不況のせいばかりとも言えません。消費者が買わなくなったとしたら理由がある。例えば日本の伝統工芸。職人芸の継承に繋がる点からも、いい無駄遣いの対象だと思いますが、時代に合ったものを作っているかが問われます。最近、ワイングラスに漆で名入れをするサービス利用したことがありますが、そういった時代に合った新しいものを企画するプロデューサーも必要でしょう 」 そして、生産者、販売者、消費者すべてがハッピーになる消費を! と結んでいます。  ( 日経 領空侵犯より抜粋 )


● 話し変わって、私(増澤)思いますに、近頃の政治・・・すくなくとも一国の総理をケチョンケチョンにけなす野党や同僚議員の品の無さ、悪口を言ってばかりでは育ちが知れますねえ・・・、他人のことをどうしてそんな風に言えるんだろうか? 正しく天に唾をするようなもんだ。先ずは相手の質を問う前に自らの質を問うべきで、それが日本人の美徳である。そういった意味では双方に日本を背負って立つ心の寛い政治家は居そうに無い。
                                  
国際政治の世界で必用なのは見識と品格とユーモアであり、世界に向けグローバルに天下国家の正論を吐く国士はいないのか。そう、この程度の国民にこの程度の議員、嘆かわしい。

 高校時代の同級生で尊敬できる友が一人だけ居ます。
彼は、「 他人の悪口 」 と 「 言い訳を 」 決してしない。私、真似ようと思ってもつい口に出てしまいます。私にとっては小さな神様で、彼の周りには好い輪が拡がり、その輪の中の一人として四十数年の交友(交遊)が続いています。


 安さだけで買うものもある、ただし、安さだけで買うのもどうかと思い始めています。スイスの人は高くても敢えて自国の農産物を買うという。それが自国の農業を支え、安心な作物を得て、気持ちよく暮らせるからだ。成熟したおとなの見識を感ずる。安さの裏に潜む何かを見極め、本当に価値のある 『 ほんもの 』 を見極める目を持ちたいと思っている。
                                           
価値のある ‘ 安さ ’ は真の ‘ 高価 ’ である。 そうざらには無い。
ジタバタ騒がずに、回りまわってすべてがハッピーになるために、 『 利他の心 』 を持とう。そこからすべてが始まる。


“ 日本旅館は ただ泊まるため だけの手段ではない ”
                 
ここでは 「 安さだけで泊まるな 」 と言いたい 。
                    
もてなしと室礼の中に四季の情感を通わせ、生気がみなぎる ‘ 宿り ’ が大切
なのです。


* (ところで、小山さんの脚本で映画 「 おくりびと 」 が外国語映画部門のアカデミー賞を受賞しました。おめでとう御座います。 英文タイトルが 「 Departures 」 : 出発、ですから、あの世への旅立ち仕掛け人とでも訳したいところでしょうか )
  
Posted by masuzawa05 at 13:29Comments(0)

2009年04月13日

地産地消について

旅をすると地元の料理を食べたいと思う。そんな時めぐり会った一冊の料理本。


 French Otowa’s Style
「 地元素材を生かす新フランス料理 」 : 音羽和紀 。


151'
     







◎ 縁あって益子町に 「 リス・ブラン 」 をオープンした。客席34ほどの小さな店だが、自然に囲まれたこの環境の中で料理を作り提供できることがとても心地よい。

 地場の素材をどう取り入れ生かすかを考えることは、私にとって以前からのテーマであり、言葉でいい続け、そして実行し続けてきたことであるが、この店では毎日それが自然に行える。あるいはそうしなければ、こういう立地の店で料理に特徴を出すことは難しいとも言える。
 この場所でレストランをやるからには、野菜の使い方に関してこれからもどんどんチャレンジしていきたいと思っている。野菜と肉のマリアージュ、野菜と魚介のマリアージュ、そして野菜と野菜のマリアージュ。ひとつの野菜が他の素材と出会ったときに奏でるハーモニーは多様である。野菜の郷であるこの益子で、野菜を中心にうまく表現できれば、 「 リス・ブラン 」 の形がよりはっきりと出来上がってくると思う。
 素材を知れば知るほど、その可能性はどんどん広がっていく。身近なものならいろいろ試してみることもでき、そのうちにその素材が自然に使いこなせるようになる。こうして地場の素材ぐらいには精通していたいと思う。

 ヨーロッパに行っていつも感嘆させられるのは、料理人たちが、自分達が住む地域やその食材、それを使った料理について、誇りを持って語ることである。レストランというのは、多くの人たちに地元の食材を、そしてその調理方法をお披露目するプレゼンテ―ションの場でもある。もちろんそれはレストランばかりでなく、農業、飲食業、観光すべてが一丸となって街をもり立てる。ヨーロッパを旅していると、各々の地域の伝統的な建築様式の建物の中で、地元の画家の描いた絵を飾り、地場の食材使った料理を提供しているレストランをよく見かける。そういう店のおかげで、私たちは地域ごとの違いを理解し、旅をする楽しさ、料理を味わう喜びを感じることができるのである。日本で同じことをするのはなかなか難しいが、そうでなければ本当の意味で豊かだとはいい難い。

 地方でレストランをやっている人に申し上げたいのは、いつまでも東京と同じ視点でものを考えてはいけないということ。地場のものを自分の経験と技術によって、自分の料理として出せるようにしていくことが、それぞれの地域で頑張る料理人のもっとも大事な役割だと思っている。それがひいては店を特徴づける結果にもなる。加えて、食の大切さ、楽しさを伝える活動、次世代の料理人の育成、行政と協力しての食材開発や食育など、地元だからこそ出来ることも多くある。そうした意識を持って料理に取り組む料理人が、日本各地に生まれることを願っている。


 続いてこう述べています:

○ その土地に住むものにとっては当たり前の景色も、よその人から見たら、驚くほどの特徴があったりする。私たちにはなんでもない料理でも、珍しく感じる人もいる。そんな故郷と、故郷の 「 食文化 」 を見つめ直し、良いところを活かしながらおいしい料理を作っていこう、そしてできるだけ沢山の人に喜んでもらおう、そう考えています。

○ 最近、 「 食育 」 という言葉が急速に広まってきました。でも、食育ってどんなことでしょう。
 手元の辞書にはまだその言葉は無いので、似たような熟語 「 体育 」 を引いてみると、 『 健全な身体を作る教育 』 と書いてありました。これに習って説明するなら、食育とは 『 健全な食を身につけるための教育 』 ということでしょう。


春 :printemps

春     









店のまわりの林や山の木々が芽吹き始める
少しずつ黄緑色が広がってくると、春の到来を感じる。
やがて桜の花の淡いピンク色とまじり合い
なんともいえないやわらかい色合いに染まっていく。
素材ではグリンピースやそら豆、グリーンアスパラガスといった
緑の野菜が出はじめ、皿の上で春を表現するのに大いに活躍してくれる。
5月ごろに出る葉玉ねぎと新玉ねぎも、楽しみにしている野菜である。
使える期間が短いからこそ、この時期に存分に味わいたい。
いちごは冬の大粒のものにかわり、小粒のものが出回る。
味はおいしく安定しているので、デザートにサラダにとよく使う。


夏 :Ete

夏     










真夏は野菜が少ない時期だが
メロン、なす、きゅうり、トマトなど
この季節においしい素材を効果的に使う。
後半になると、おいしいかぼちゃも出はじめる。
暑い真夏は食欲も細るので、料理には涼しさ
さっぱり感を出すことが重要。
温度はもちろん濃度にも気を使う。
野菜のソルベやゼリー状のデザートなどは
この季節のコース料理に涼しさを添える重要な役割を果たしている。


秋 :Automne

秋     







山の紅葉も少しずつ進み
近くの遊歩道を歩くのも気持ちのいい季節。
葉物、ねぎ類、根菜など使える野菜が多くなる時期である。
洋梨、りんごといった果物もおいしいし、きのこもたくさん食べたい。
野生のしめじ類はなかなか手に入りづらいものだが
手に入ったときにはできるだけシンプルに料理する。
10月になると林の栗の木から栗が落ち始める。
この時期は料理にもデザートにもたくさん栗を使う。
料理はクリーム煮、グラタンなど少しこってりしたものが多くなる。
体もそういうものを要求しはじめるころ。
おいしい料理を作りやすい、料理人にとっては楽しい季節である。


冬 :Hiver

冬     








11月になると、5月に続いて2回目の陶器市の準備で
益子の町はまた忙しくなる。
野菜はにんじん、大根、かぶ類、キャベツ、ブロッコリー、
カリフラワー、クレソン、そして春菊、からし菜、水菜といった
日本の食卓でおなじみの葉野菜もおいしい季節。
これらをどう自分の料理の中で消化し
すばらしいマリアージュを生み出せるか。
それがこの店における大きなテーマのひとつである。
                 文中より抜粋。


● 私(増澤)思いますに:

 その地域、環境に合った建築空間の中で、懐かしくも慈しみ深いもてなしと室礼(しつらえ)に満たされて心和みつつ、地産の簡素で豊かな季節の ‘ 恵みを ’ 食す至福のひととき、 『 和の宿り 』 に託す我ら心意気や如何。
 ( 和 : やわらぐ、やわらげる、なごむ、なごやか、和は最高の徳行示す言葉 )

 日本全国、どこを切っても金太郎飴のような同じ料理から決別し、オリジナルな地産地消の料理を目指そう。そこにこそ、日本の伝統文化風土に根ざした、スローで豊かな、そして熟成度の高い、これからの日本におけるグローバルな 『 ツーリズムと宿り 』の真の姿が垣間見えてくる。
  
Posted by masuzawa05 at 11:21Comments(0)

2009年04月06日

心に残る建築家の言葉・その22

かつて京都駅舎についての景観にまつわる賛否両論があった。そのことを私なりに気に掛けていて、今から十数年前に京都駅前ビルの一室を借りた建築家協会主催の彼のシンポジウムに参加した。出来てしまっているのに執拗な反対者が居るためか、質問は一切受け付けないという条件付・訳ありのシンポジウムでしたが、その後の彼の著作を通じての邂逅。
              

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◎ 設計者の考えを大勢の人々に分かってもらうのには、良いチャンスだと思うのですが:

 うまく説明できるなら、その通りだと思います。しかし、私自身にもよく分かっていない側面もあって、政治的に賛成と反対がはっきりしている京都では、討議をするとしても、うまくいかないでしょう。おそらく、私はなにも発言できないような状況に立たされると思います。

○ 政治の話と切り離して、景観を論じることはできないのですか:

 景観を研究している人も多数いますが、うまい計量はなかなかできませんし、そもそも主観的な判断が基礎になると思います。ですから、具体的な事例に関しては政治的にならざるを得ないでしょう。

 建築や都市の景観には、イエスとノーでは語りきれない性格がある。ある面からすればまずい点もあり、他の面からすれば良い点もある、というかたちになっているのではないでしょうか。特に京都では対立の構図が鮮明なので、とても大勢の人に分かってもらうような説明はできないでしょう。設計者が発言するにふさわしい場所ではない、と思います。

○ 具体的なプロジェクトを持ち出すと話が難しくなる:

 京都駅は、自然を破壊する極端に大きな建物を建てるといった場合とは、いささか問題が異なっている、と私は解釈しています。判断が難しい事例です。設計者としては判断しきれない経済活動などもかかわってきますから。設計者の発言には、かなり限界があります。

○ 景観という言葉で議論できないなら、なにかほかに、みんなが共有することができるテーマはないのでしょうか:

 人間の経験、中でも空間体験というものは、厳密には言語に変換できないと私は思っています。その言語に変換できないものを、言語で話そうとしている。そのこと自体、本当に大丈夫なのか。そこまでさかのぼらないと、言語で語ることが何を意味するかも定かではないでしょう。

 ただ、言葉抜きにはコミュニケーションはできませんから、そうした困難さを共通して認識した上で対話があるべきです。

○ 市民という概念:

 「 市民いう言葉は、果たして 『 一般の人間 』 と同じ概念を指しているのか、いないのか 」 ということなんです。
 一般には 「 市民 」 という概念はよく使われますが、それは言語として適当なのか。 「 地域の住民がすなはち市民 」 という考え方はまずいのではないか、と私は思っているのです。

○ 京都駅は地域の住民だけのものではない、ということですね:

 駅は第一に、住んでいる人々にとって関連が深い施設ですが、同時に、京都を訪れ、通過していく人々の施設でもあります。おそらく 「 市民 」 は 「 住民 」 といった概念より広い意味を持っているのでしょうが、それでもまだ狭いのではないか、といった考え方もあり得ると思います。                                 
たとえばヒューマンスケールにしても、かつて集落や町屋に見られた寸法と同時に、新しい状況における新しい寸法の体系も当然あってしかるべきでしょう。それは、従来の体系とは異なった大きな寸法の体系であるかもしれません。

 そのことは、都市空間がすべての人々を等しく迎えるという基本的な態度の表明につながるかもしれない。私自身、十分に確信が持てているとは言えないのですが、そうした直感的判断があるのです。
 この辺りを、 「 市民 」 の概念と関連して検討すべきでしょう。すぐ結論が出るわけではないと思いますし、試行錯誤の過程もやむを得ないでしょうが。

○ そういう問題を提起したつもりであった? :

 私自身、分かっていない部分が多いいのでうまく説明できず、言葉足らずで誤解を生じたということは多分にあったでしょう。その点は反省していますが、むしろ私は京都駅で、昔からの小さな寸法と新しい寸法をもって今日の都市のあり方を表明するという課題を与えられた、と考えた。そうした考え方が成立するのかを確かめるつもりだったのです。


 ● 私(増澤)、思いますに、

 建築という名のミニ街区を、古都京都の玄関口に嵌め込む。あれは建築ではない建築。空間体験で言うと、京都駅で新しい形、スケール、の都市の断章に紛れ込んだ気がする。

 五重塔や神社仏閣的な形態模写駅舎ではなく、モダンな混沌のゲート。新しいものを常に取り入れてゆく古都・京都の、来し方行く末の‘ 意識の産物 ’として私には違和感は無い。旧来の保存すべき町並みはそのままに残しながら、むしろ今は馴染んでいるように思える。伝統的なものは進化しながら時代に寄り添う。

 これは、彼の言葉を借りれば、訪れる人が 『 建築空間をどう感じるか 』 その事を聞いてみたいと仰っています。


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ただ駅舎を俯瞰し、線路を挟んで両面を歩いてみるとわかるのだが、そこには歴然として表と裏が存在する。京都駅の顔としての正面と駅裏がある。             
駅を介して両面のつながり、なじみ、融合が図れなかったのか、元々在った街並みではあるが、人の流れと風通しを配慮して、 『 表 』 にへつらわない、優劣無しのマルチ・ゲートが作れなかったのか!?
         
既成の概念に拘らないデザインをしようとするのであっても、街の繋がりに対して配慮し、裏であって裏ではないアイデンティティーが欲しかった。一度ぐるりと、両面を歩いてみてください。私の感覚は正しいと思えるのですが、そのことが心残りである。

  
● 時の経過は先入観念を変え、馴染み、そして景観となる。と私(増澤)は思っていて、修学旅行に訪れた学生たちに、神社仏閣・京都弁・枕投げ・八つ橋のおみやげと共に階段状駅舎の大空間が心に刻まれるであろう。


 これは原さんが建築の原点探しに、海外の集落を実地踏査していた若かりし頃のスナップです。

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 続いて

◎ 具体的に、どんな人に支持してもらいたいと思っていますか: との質問に

 「 言うまでも無く、京都に住む方々に支持していただけることが最もありがたいことですが、京都を訪れる人々の意見も聞いてみたいですね 」。

 「 極端に言えば、子どもたちに分かってもらえればそれでいいのです 」と結んでいます。

   
               
● 京都にお住まいの方、 今、 「 駅舎をどう捉えておられるでしょうか 」      
私(増澤)に是非聞かせてください。

  
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2009年03月30日

枝垂れ桜

 六十五歳からの隠居所として小さな家を建てるつもりで、海の見える小高い丘の蜜柑畑の一画を、今から十二年前の四十九歳のときに買った。息子の買い物を大層喜んだ父ではあったが、丁度売買契約の頃、家近くの道路を横断中車にはねられて死んだ。
 畑仕事を楽しみにしていた父の為に、畑の階段の登り口脇に高さ五メートル程の枝垂れ桜を植えた。 「 記念樹 」 という私の言葉に、訳を知った知り合いの植木屋は怪訝そうな声で応えたが、私にとっては正しく記念樹であった。

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 今まであまり土に触れずに過ごしてきた私だったが、天気の良い休日には、終日畑仕事をするのが日課になった。 春・夏・秋・冬 いろいろの野菜と戯れ、折々の花木に囲まれ、透明な冬の陽だまりに焚き火をする、静かな野良の一日はささやかな憩いのひとときである。

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 知らず知らずに色づく甘夏が青から黄緑に、そして黄色から橙色に変わり、三月から五月の収穫が終わる頃にはミツバチの羽音と共に、清々しい白い花と甘い薫りに満たされる。今年もお世話になった方々に完熟の甘夏を贈る春の歳時記。

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 夏の一日は長い、巨大になった採り忘れのきゅうりにビックリする。日盛りを避けて夕暮れに畑に行くと、南伊豆蛇石峠奥の山野草園で買い求めた夕菅が芳香を放っている。植物とは思えない肉感的な ‘ しばり ’ は物憂げな夏の夕暮れ、ほてりを癒す麻酔薬。

 やがて枯葉が舞い始める晩秋から初冬、忘れかけたような片隅の土くれから群れてスルリと剣先を伸ばす水仙たち、発地毎の体内時計を宿し、微妙にずれてストイックな甘い香りで咲きそよぐ。

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 季節が巡れども、初春の輝きは菜の花に限る。小さき蕾と花弁、春風にゆらりゆらゆら、かぐわしき甘さを引きずって、柔らかな茎と共に汁豊かに食す幸せ。

 自然の息吹に触れながら徒然なるままに日々を送る頃、吾が散人居はどんな新しい香りに包まれていることだろうか、それが楽しみだ。
  
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2009年03月23日

家具について・その3

 四国 香川県高松市の桜製作所 ( 米国以外で唯一のジョージ・ナカシマの家具を作る工場 ) からジョージ・ナカシマ記念館開設の知らせが届いた。

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 記念館館長で桜製作所の永見眞一会長は日経の ‘ 文化 ’ で家具デザイン米国の師として、こう述べています:

 永見眞一さんです

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ジョージ・ナカシマという木工家具デザイナーがいた。日系二世として1905年に米ワシントン州に生まれ、太平洋戦争前は日本で建築家として前川国男らと活動。そののち家具デザインに転向し、戦後は米国で原木の性質を生かした斬新なデザインのイスやテーブルなどを次々と世に問うた。

○ 節や穴もそのままに;

 例えばテーブルはウォールナットやオーク、ローズウッドなどの木をなるべくそのままの形で仕上げる。節があったり穴が開いていたりする箇所が立派なデザインの一部になる。西洋の家具デザイナーでありながら、ルーツである日本の自然に対する思想を取り入れたところが、ナカシマさんの大きな功績だった。

○ 消えゆく伝統に危機感;

 ナカシマさんは素材のかたちを生かす日本の木工に以前から関心を持ち、米国の自分の仕事でも実践に移していた。自分が愛する貴重な伝統がこのままでは失われてしまうかもしれない。何しろ当時の日本は社会全般で急速にアメリカナイズされつつあった。彼は日本人以上に危機感を持ったに違いない。・・・・・例えば無垢材のテーブルだと、一つ一つの木を細かくスケッチして、それに合わせた図面を描いてくれる。逆にイスは米国からいきなりバラバラの部材を送ってきて、組立ててみろと言う。必死になってこちらが作ったのを送ると、赤ペンキで修正箇所を示して帰ってきた。まるで答案の添削みたいだった。

○ 大量生産・消費を嫌う;

 次第に、ナカシマさんの家具の特徴は構造の面白さとバランスにあると気がついた。

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彼の代表作の一つである 「 コノイドチェアー 」 というイスはすっきりした二本足。人が座ると座面の根元で折れてしまいそうな気がするのだが、独特な入れ子構造で足と座面と背もたれが組み込んであり、びくともしない。一方、テーブルの寸法が図面と少々違っても素材の形状を優先し、均整が取れていれば 「 まあ、いいですよ 」 とおおらかなものだった。

 「 木が語るのを聞いてください 」 今でも耳に残る彼のことばだ。


◎ 家具について;

 スケールはちがっても家具は建築である。 「 デザインとは空気と空間と形を同じように考えることだ 」 と述べています。



● 私(増澤)、
 ニューヨークのメトロポリタン美術館の一画に彼のイス・テーブルのセットが有って、それだけで 空間に 「 日本 」 を感じるのでした。
 ジョージ・ナカシマさんのものづくりに対する熱情が永見会長さんに綿々と伝えられ息づいているのがなによりも好きだ。そんな思いが記念館を作らせたのでしょう。

 数年前に四国の工場に伺ったとき、会長が纏っていた作業着が素晴らしかったので調べていただき同じものを事務所の皆で着ています。人生経験の浅い我々には彼ほど似合ってはいないのだが、良い思い出である。( 紺と赤、二種類有って、これは赤の方です )

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2009年03月16日

大根


     

 先週に続き畑のことをば 少々・・・・・。

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 * ( ちなみに大根の根と実の境は? 下から細かい根がランダムに生えていて、それが途切れてから上が実です。また甘い部分、辛い部分の区分は根の先端は辛いです。それから素朴な疑問ですが 大根にとって、根以外の部分は 実 と書くのか 身 と書くのか? 私、身のような気がしますが皆さん如何でしょうか。ついつい大根のイラストにも 『 身 』 と書いてしまいました )。


○ 日経・春秋より:

 「 畑のダイコンが動いているのを知っていますか 」
ギョッとしていると、その生産者は楽しそうに話してくれた。「 種を植えてから収穫まで毎日少しずつ、動いているんですよ。畑から出てあちこち歩くわけではないですけど 」と笑わせる。

 日の出から日没まで時計回りにダイコンは根も葉っぱも動く。 「 私、印をつけて見てたんです 」。 ネジのように回りながら土に入っていく。だから抜く時は西から東に回すようにすると楽に抜ける。 「 ニンジンもタンポポもみんな満遍なくお日様が当たるように生きているんです 」。 この話を聞いて嬉しくなった。

 男性向け雑誌のブルータスが 「 みんなで農業 」 という特集を組んでいる。
アートディレクターの佐藤可士和さんが家族や仲間と貸農園で野菜を作り、土に触れて農業にはまっていく。
 小さな種が成長していく姿に 「 生命ってスゴイな 」 と思う。そして農業自体のクリエーティブさに目覚め将来性を感じ取る。

 アウトドアー雑誌のビーパルでも 「 家庭菜園で野菜作り 」 を連載中だ。土は人を癒す。 “ 農 ” はトレンドとなれるか。 「 五風十雨 」 という。五日に一度穏やかな風が吹き、十日に一度適度な雨が降る。この農作に恵まれた風土から農業離れがやまない。国内三千ヵ所といわれる小さな市民農園がにぎわっているのに。 と結んでいます。


● 私(増澤)、十数年野菜作りをやっていて、ダイコンスクリューの件は知らなんだ!でも分かる気がする。時おり折れるんです。今度は西から東に逆時計回りに抜いてみよう。
              
野菜は動けない分だけ論理的でしたたかで、動物よりも巧みだ。        
『 農 』 は奥が深い。



 冬大根が終わり、春・夏野菜の植込みを待つ MY・畑です。

    
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Posted by masuzawa05 at 09:57Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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