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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2017年05月22日

墨いろ


三十数年ぶりに、104歳の現役美術家・篠田桃紅さんの本を開いている。
美術書と呼べばいいのだろうか、作品が好きで旅館等に飾らせてもらったことがある。


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 好きな詞をいくつか。

◎ わたくしは作品に向き合うときにも、扱いにくい筆が好きです。さばきも腰もない、文字通り性(しょう)もない筆が好きで、そんな筆をもてあましながらかいていると、楽しいのか苦しいのかわからなくなってきます。書きたいものを書きたいように書く楽しみ、書きたいものを書きたいように書けない苦しみのはざまに漂うのです。それは、作品と向き合うようでいて、実は、自分自身と向き合っているのだと思います。そんな性もない筆が、ときおり心ゆく線や豊かな形を書かせてくれることがあります。それは、わたくしのちから以上のものがわたくしに宿ることの不思議を感じさせてくれます。
 どんな人の人生も、眺めて飽きぬ富士の山と同じように、遠くからはなだらかで美しく見えても、それぞれに険しく、一筋縄ではいかぬことの連続でしょう。けれどもだからこそ、どの人生も尊く、かけがえのないものなのではないでしょうか。
 ラクでまちがいなくやれることであんまりおもしろいことはない。・・・それを知ることが、人生というものに飽きずに生きる秘訣かもしれません。


〇 書は技術だけではどうにもならないもの、書とは人の心が文字のかたちを籍(か)りたものなのだという一つの見方が成り立つ。
 
後代、書家といわれる職業人ができても、高僧や烈士の書が高い評価を持つのは当然のことである。
たとえば、良寛さんの書 「 天井大風(おおかぜ) 」 の四字の楷書は今も清新である。( 空は穏やかに見えても、その上では大きな風が吹き荒れているという意 ) その中には爽やかな生き方が垣間見える。


〇 玄という色;
昔から墨の銘に 「 玄之又玄 」 というのがあり、私などは、玄(くろ)は黒で、黒のさらに黒、というぐらいの意味に思っていた。しかし玄というのは “ くろ ” であっても、ただ普通の意味の黒ではないらしい。
中国の 『 筆法記 』 という古い書物に 「 墨を用いて独り玄門を得 」 とかかれてあるそうだが、玄門というのは老子の言葉で、玄とは、人生と宇宙の根源で、真、本質、実在であり、また余計なもののないこと、おのずからのもの、無為のもの、作意のないこと、を言う言葉であるというのだが、それを色に置き換えると “ くろ ”となって、玄ということになるのだと言われる。その “ くろ ” は、墨を用いて得られると 『 筆法記 』 の筆者は考えたのであろう。
そして、墨による黒は、真っ黒の一歩手前の色、明るさのある黒で、心を騒がせない色、沈静であって死ではない、動きを残す色、ということである。玄というのはまた、一筆の濃墨で書くのではなく、淡い墨を重ねて濃くしていき、真っ黒の一息手前で控えた色、とまことにむずかしい。
くろうと、というのは、だからとことんまでやりつくしてしまわないで、どこかにスキマというか、やり残したものをおいて、しろうとが手がかりにできる場、入り口みたいなものをつくっておくのだということにも通じる。
ほんとうの “ くろ(玄) ” は真っ黒ではない、という考え方が、私にはたいそう気に入る。一歩手前でやめる、という、そのあと一歩無限のはたらきを残し、それはわが手のなすことではなく、天地自然、神、宇宙、とにかく人間のはかり知れない大きな手にゆだねる、そういう考え方が好ましい。好ましいが、一歩手前がまことにむつかしい。

● 私(増澤)が高校時代に習った空手道は 「 玄制(げんせい)流 」 でした。

今は亡き造園家 鈴木直衛は “ 玄庭園 ” 創業者であり、高校の空手道部・玄制流の後輩。
玄という字を再確認し、玄の海に心を泳がせています。


◎ ある外国人記者との対話;

〇あなたは白と黒の作品を作っているが色を使いたいと思わないか?

「 私は墨の中に、あらゆる色を見ているつもりだが・・・ 」

〇ということは、東洋の禅の思想に通じるものか?

「 私は禅について知らないし、墨と禅が結びつくかもわからない。幼い時から墨と付き合って来て、おのずからそこに無限の色を見得るようにはなったが 」

〇墨絵の山は青に塗ったよりももっと青に感じさせることがある、文学でいえば詩の領域に近い?

「 詩が言葉のエッセンスであるように線がかたちのエッセンスでありたい 」

〇あなたの線は大胆で確信に満ちていると思えるが?

「 確信はないが、捨ててもいいと思えるものを省いていった残りが今の私の線だと思う 」

〇加えるより省くことの方がむつかしいですか?

「 省かれる‘もとのもの’は豊かなほどいいと思うので、省くことの以前つまり “ 書く ”より以前のことが大切だと思う。具体的な色も墨の抽象性を深めるのに役立つかと思うが、色が入ると墨の色が感じにくくなる段階だと今の自分を思っている 」

〇それで金とか銀、色というより光を加えているのか?

「 今はそういう時期だが、私は自分の墨色をいたわりすぎているのかもしれない 」

〇あなたの、文字でもなく物のかたちでもないスミエのイメージはいつも心にあるか?

「 心にはいつも溢れるほどある。が、かたちにすることがむずかしいく苦しい。心に溢れるもののうちから、多くのものを捨てていく行為で自分を引っ張り続け、あるものが熟してなったとき、それまでの私から抜け出ていることをいつも感じる。 」

〇それは大きな喜びであろう?!

「 喜びというより虚しさの感覚で、“ 無 ”ということをほんの少し垣間見る様な気がする 」


● 天晴! 104歳。この人を見ているとオバアサンと感じない。
背筋がピンシャンとしているからでもあるが、老いとかそういうものが取り付く島のない、何か “ 生 ” という強靭なオーラが彼女を包んで、ガードしているような気がする。

 私(増澤)、ずっと好きな 美術書家である。


Posted by masuzawa05 at 09:32│Comments(0)
 
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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