2015年11月09日
縄文人はどんな恰好をしていたか !?
●あなたも気になりませんか!
新聞の文化欄に 「 思い描く縄文人の華麗 」 と題して、安芸さんの復元イメージについてのリアリティーな一文が目にとまった。
◎彼女曰く: 縄文人といったら、どんなイメージを持たれるだろうか。裸に近く、頭はザンバラ髪という姿を思い浮かべる方が今でも多いかもしれない。
●付け加えること、私(増澤)思いますに、泥まみれの身体に麻布のような粗末な腰蓑をまとい、弓を袈裟懸に掛け、槍を構えて鋭い目つきで獲物を追う・・・。
1986年刊行の週刊朝日百科 「 日本の歴史『縄文人の家族生活』 」で私が描いたのは、結い上げた髪に塗りの櫛(くし)を刺し、黒と赤の文様入りの服を着て、腕輪や首飾りなどアクセサリーもたくさん身につけた姿だった。
こうした豊かな縄文人の姿を描くことが出来たのは、 「 縄文人の家族生活 」 を監修、執筆された文化人類学者で考古学者の小山修三・国立民族学博物館名誉教授のおかげだ。「 あれだけ高度な土器やアクセサリー作りの技術を持っていた縄文人が原始的な恰好をしていたのはおかしいやろ 」。 それまで私自身も抱いていた縄文人に対する先入観が覆った瞬間だった。
その縄文人像は当時大きな反響を呼んだ。考古学者からは数々の批判も受けたが、 「 縄文人のイメージが大きく変わった 」 といった声も数多くいただいた。その後の発掘調査で国内最大級の縄文集落跡であることが分かった三内丸山遺跡(青森市)は、縄文人の豊かな暮らしぶりを実証した。それは予見の正しさを示したといえるのではないか。
その後、 「 『縄文人の家族生活』 にイラストを描いてみんか 」 と小山先生から声をかけていただき、以来、教科書、学術出版物や展覧会、テレビ番組などに考古復元イメージを描いてきた。
その後、今の生活から縄文時代の暮らしを想像するためのフィールドワークを行った。多くの専門家との出会いや、アジア各地の先住民の民族衣装を見せていただき 「 縄文人もこんな服を身につけていたのではないか 」 とイメージが膨らんだ。
民族衣装研究で知られる松本敏子・大阪薫英女子短期大学教授とは、私が土器や土偶から起こしたデザインに基づく縄文人の衣装も多く作ったが、鮮やかで豊かな民族衣装のデザインには、生活するための合理性がかくされていることを学ぶ貴重な機会となった。
考古学が分析中心になっていた90年代、数値では見えてこない古代の村の姿を求めて私は多くの民俗学者と知り合った。赤坂憲雄・学習院大学教授からは今も、古代から受け継がれる日本人の霊的な精神性について多くを学んでいる。
*[縄文時代(じょうもんじだい)は1万3500年間続いた。年代でいうと今から約1万6,500年前(紀元前145世紀)[* 1]から約3,000年前(紀元前10世紀)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。
縄文時代の終わりについては、地域差が大きいものの、定型的な水田耕作を特徴とする弥生文化の登場を契機とするが、その年代については紀元前数世紀から紀元前10世紀頃までで、多くの議論がある。]
●いずれにしても私(増澤)思いますに、1万3500年とは長くつづいたものだ、凄い時の厚みだ。そしてイラストから察するに縄文人の感性に脱帽である。連綿と続く麗しく装う日本民族の心、文化の成熟度を誇らしく思う。
新聞の文化欄に 「 思い描く縄文人の華麗 」 と題して、安芸さんの復元イメージについてのリアリティーな一文が目にとまった。
◎彼女曰く: 縄文人といったら、どんなイメージを持たれるだろうか。裸に近く、頭はザンバラ髪という姿を思い浮かべる方が今でも多いかもしれない。
●付け加えること、私(増澤)思いますに、泥まみれの身体に麻布のような粗末な腰蓑をまとい、弓を袈裟懸に掛け、槍を構えて鋭い目つきで獲物を追う・・・。
1986年刊行の週刊朝日百科 「 日本の歴史『縄文人の家族生活』 」で私が描いたのは、結い上げた髪に塗りの櫛(くし)を刺し、黒と赤の文様入りの服を着て、腕輪や首飾りなどアクセサリーもたくさん身につけた姿だった。
こうした豊かな縄文人の姿を描くことが出来たのは、 「 縄文人の家族生活 」 を監修、執筆された文化人類学者で考古学者の小山修三・国立民族学博物館名誉教授のおかげだ。「 あれだけ高度な土器やアクセサリー作りの技術を持っていた縄文人が原始的な恰好をしていたのはおかしいやろ 」。 それまで私自身も抱いていた縄文人に対する先入観が覆った瞬間だった。
その縄文人像は当時大きな反響を呼んだ。考古学者からは数々の批判も受けたが、 「 縄文人のイメージが大きく変わった 」 といった声も数多くいただいた。その後の発掘調査で国内最大級の縄文集落跡であることが分かった三内丸山遺跡(青森市)は、縄文人の豊かな暮らしぶりを実証した。それは予見の正しさを示したといえるのではないか。
その後、 「 『縄文人の家族生活』 にイラストを描いてみんか 」 と小山先生から声をかけていただき、以来、教科書、学術出版物や展覧会、テレビ番組などに考古復元イメージを描いてきた。
その後、今の生活から縄文時代の暮らしを想像するためのフィールドワークを行った。多くの専門家との出会いや、アジア各地の先住民の民族衣装を見せていただき 「 縄文人もこんな服を身につけていたのではないか 」 とイメージが膨らんだ。
民族衣装研究で知られる松本敏子・大阪薫英女子短期大学教授とは、私が土器や土偶から起こしたデザインに基づく縄文人の衣装も多く作ったが、鮮やかで豊かな民族衣装のデザインには、生活するための合理性がかくされていることを学ぶ貴重な機会となった。
考古学が分析中心になっていた90年代、数値では見えてこない古代の村の姿を求めて私は多くの民俗学者と知り合った。赤坂憲雄・学習院大学教授からは今も、古代から受け継がれる日本人の霊的な精神性について多くを学んでいる。
*[縄文時代(じょうもんじだい)は1万3500年間続いた。年代でいうと今から約1万6,500年前(紀元前145世紀)[* 1]から約3,000年前(紀元前10世紀)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。
縄文時代の終わりについては、地域差が大きいものの、定型的な水田耕作を特徴とする弥生文化の登場を契機とするが、その年代については紀元前数世紀から紀元前10世紀頃までで、多くの議論がある。]
●いずれにしても私(増澤)思いますに、1万3500年とは長くつづいたものだ、凄い時の厚みだ。そしてイラストから察するに縄文人の感性に脱帽である。連綿と続く麗しく装う日本民族の心、文化の成熟度を誇らしく思う。
Posted by masuzawa05 at 06:00│Comments(0)