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増澤信一郎の心模様

2014年12月15日

高倉 健 

高倉健さんが亡くなった。

私(増澤)、大学時代に新橋のガード下の映画館で3本何百円かで見た任侠やくざ映画のことを思い出している。見終わって通りに出ると心なし肩を怒らせて歩いている自分がいた。

 先日の新聞に、「 高倉健さんを悼む 」 と題して映画評論家の佐藤忠男さんの追悼文が掲載されていた。

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○ 1960年代に流行した仁侠映画でトップスターになってからは豪放さが専門になった。薄幸の女とのラブシーンがあっても、そのあとすぐに敵の組に切り込みに行ってしまう。女の仕合わせをあえて度外視する豪放な仁侠映画の人気は10年しか続かず、これが終わったときファンは彼の動向を注目した。

高倉健は 「 幸福の黄色いハンカチ 」 で、豪放派とも二枚目とも違う別の流れを摑んだ。男らしさを誇示する不良の文化しか知らない彼にはまじめな愛の告白ができない。そんな豪放派の男の苦しみが全身からにじみ出る名演だった。
これを転機として高倉健は、女に愛の告白のできない日本男子の辛さを正直に真剣に演じる俳優になった。それはじつは日本のまじめな男たちの多くが黙って肚(はら)の中に抱え込んでいる問題であり、まじめな女たちの多くもまた、黙って男に期待していることであろう。

健さんは、暴力映画とやさしさを追求する映画との間を行ったり来たりしながら、徐々に強がりのいい恰好を克服して自分流のやさしさを確立していった。

任侠もの以後で私の好きな一本をあげると 「 居酒屋兆次 」 がある。これは高倉健の居酒屋の親父が、いつも恥ずかしそうな風情でいる映画である。健さんはとうとう、強がっていい恰好するのは恥ずかしいという境地に達したようである。その様子は遺作となった 「 あなたへ 」 にも受け継がれている。強がることより、自分はいちばん身近だった人である妻に誠実だったかどうか、ということばかり気になるという物語である。     「以上記事より抜粋」


● 私(増澤)、この三つとも映画は見ているのだが、最後の 「 あなたへ 」 を見たとき、いつもより少し年寄りっぽい追想が多いのが気になったのだが・・・・・。

  以前、健さんの自伝的随筆 「 あなたに褒められたくて 」 を読んだことがある。  
  たしか母親に褒められたくて生きてきたようなことを書いてあった。

健さんの「あなた」は 「 貴女 」 と書くのだろうか!? 女房、母親、おまえ、貴方、・・・・・。健さんは多分、 「 あなた 」 と呼ぶことが好きだっただろう。言い回しがいい。

  いずれにしても高倉健の魅力はいつまでも若々しかったことが素晴らしい。と私は思っていた。齢83、十二分にお爺さんの領域なのだが・・・。

追悼番組でテリー伊藤氏が 「 年寄りになれなかった人 」 そのようなことを言っていたのが、言い得て妙だと思っている。


Posted by masuzawa05 at 09:00│Comments(0)
 
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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