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増澤信一郎の心模様

2014年10月06日

世界文化遺産 「 富士山 」 によせて

 富士山が信仰の対象と芸術の源泉として、ユネスコの世界文化遺産に2013年に登録された。ゴミの不法投棄などによる環境悪化や、開発により本来の自然が保たれていないなどの理由で、自然遺産としての登録は叶わず、文化遺産としての登録である。 
しかしながら私はその方が良かったと思っている。なぜならば信仰と芸術の両分野において、生活に結びついた形で伝承されてきたからである。そして日本人の心の糧として、未来永劫美しい山であり続けるであろう。 が、・・・個人的にはトイレの整備が進んでいないことへの心苦しさがあり、未登山である。知人に聞いてみたら、登る前に富士宮でトイレして、そのまま帰りまでトイレはしなかったという。
今回は信仰の対象としての富士山(二つと無い山として不二山ともいう)、芸術の源泉としての富士山、外国人から見た富士山、国際的な観光における日本の宿のありよう、そして三保の松原伝説について、私なりに捉えてみたいと思う。

一、 信仰の対象としての富士山:
日本で一番高い山で、四季折々に美しい。この写真は、遠く三重県の鳥羽に私共で     
設計した御宿「 The Earth 」 から年数回しか見られない伊勢湾越しの富士山です。なにか思わず手を合わせたくなる崇高さがあります。
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火山としての富士山の噴火は記録に残るものでは781年(天応元年)〜1707(宝永4年)の間で25回記録されています。景観の美しさと共に、火を吹く山に対して古くから畏れ敬う畏怖の念が生れたのは自然なことでしょう。
世界のすべての事物に霊魂や精神が存在すると信じる、宗教の原始形態であるアニミズム。日本人の天地自然全てに神が宿ると言うアニミズム的感性をもってすれば、美しい山に手を合わせ、自身や家族、多くの人々の安寧を祈る心が、日本人の精神世界のすべてであると言っても過言ではないだろう。

○先ごろ亡くなられた まどみちおさん の詩「一年生になったら」を引用すると
いちねんせいになったらともだちひゃくにんできるかなひゃくにんでたべたいなふじさんのうえでおにぎりをぱっくんぱっくんぱっくんと  

* 日本一の山の上でさぞかし痛快であろう。
民俗学者である山尾三省さんは 『アニミズムという希望』 という著作の中で 「 美しいということは、神のひとつの属性といわれています。けれどもぼくの立場からすると、美しいものはそのままカミなんです」。太古の昔より美しいもの、喜びを与えてくれるもの、安心を与えてくれるもの、慰めを与えてくれるもの、畏敬の念を与えてくれるもの、そういうものは何でもカミであり、現代においてもそれはいささかも変わらないと思うのです。と述べています。
信仰面における具体的「講」組織としては、富士山とその神霊への信仰を行うための講社である「富士講」があります。特に江戸を中心とした関東で流行し、祈りと登山を含む巡礼等で構成されている。色々な山岳信仰の映像で見かける、杖を突き登りながら唱える「六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)」とは目・耳・鼻・舌・身・意 のことで、これら現世との執着を断ち切って清浄無欲になることであるという。富士登山はその最たるものであろう。

二、芸術の源泉としての富士山:

「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺(たかね)に 雪はふりつつ」
Sailing out on the white crests of the Bay of Tago, I look up. There before me
Even more dazzling−on Fuji crowned in white. (マックミラン・ピーターさん著、英訳詩・百人一首より)

 万葉集 山辺(やまべ)赤人(のあかひと)の詠んだ歌である。私の住む静岡県は日本一の高峰と日本一の深い海である駿河湾がある。富士山を介した水が海を潤し、桜海老や多種類の魚を産する。

◎ 葛飾北斎の描く富嶽三十六景(富士の絡むもの)模写してみました。と写真色々。 
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富士を巡る芸術の旅 絵と写真のビューポイントです
  
○ 上総ノ海路(かずさのかいろ)
  江戸湾を間に挟んで遠く富士を望む雄大な眺望 木更津から。
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○神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)左、印象派を魅了した増殖する波
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○相州箱根湖水(そうしゅうはこねこすい) 

波ひとつない静かな水をたたえる芦ノ湖  
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○ 甲州三島越(こうしゅうみしまごえ)
 巨木を画面の中央に配す構図は画面を分断しがちだが、背後に広がる富士の稜線が、それを見事に防いでいる。
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○ 我がふるさと伊東市から見た富士               
伊東湾のバックに連なる天城連峰越しに富士が見えるんです。
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○東海道江尻田子の浦略図(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず)7

         


万葉集に詠われし田子の浦。
   
○ 西伊豆・戸田から見た富士
写真・右                  
戸田湾から見た富士は西伊豆一
美しい。
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○ 駿州江尻(すんしゅうえじり), 静岡市 
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予期せぬ突風に困惑する旅人
                  
    
○ 東海道金谷の不二(とうかいどうかなやのふじ) 
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大井川、波立つ

                 
○尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)
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名古屋あたりからの眺め大きな円と小さな三角構図が素晴らしい

● 印象画の世界に一石を投じた、浮世絵。その中でも富嶽三十六景は秀逸である。
三、 外国人から見た富士山と日本: 南アフリカからやって来たシェーン・イングリシュスクールのレスター青年(39歳)に聞いてみました。
I am from South Africa and as a young boy has looked at many pictures of Mount Fuji in books and magazines and has often dreamed about Japan. Thirty years later, I moved here to teach English and have been living in Japan now for five years. I love this country, its culture, its food and its people.
In the summer of 2010 my friends and I climbed the mountain to watch the sunrise. We watched it together with many other climbers and tourists, both foreigners and Japanese. It was very cold at the top. We had climbed quickly during the night, so we had to wait in the cold darkness for about three hours for the sunrise. When the sun’s rays fell over the land everyone went quiet. I felt peaceful watching this beautiful scene. I looked around at the other people’s faces. Some people were tired, some were sleepy, but all of them had the same peaceful look.
Long ago the original people of South Africa connected gods with nature, similar to the Japanese Shinto religion. Today only a few people still continue the tradition. The Japanese religion is still continuing and is protected. When we climb Mount Fuji or travel in Japan, we can learn about this mountain.
Japan and Japanese people has taught me many things. They appreciate simple things. They are disciplined, focused and respectful in everything they do. I hope to learn from this and continue my life with these lessons. There are many things I will never understand about Japan and its gracious people, but on top of Mount Fuji, for that one moment four years ago, I imagined I could understand the Japanese spirit.
  
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南アフリカから来て滞日5年になるレスター先生は子供の頃から本や雑誌でみて日雑や雑誌で富士山の写真を見て日本にあこがれていた。私は日本の文化や
  食べ物が好きだ。2010年夏に富士登山をした。夜中に登り頂上で暗く寒い中、3時間日の出を待った。ご来光の瞬間、美しい一条の光のもと、静かで幸せな時が流れ、周りをみわたすと皆疲れて眠そうだが晴れやかな表情をしていた。
昔々、南アフリカの人々も日本の神道(しんとう)のように、自然の中で神と一体だったが、今はその伝統を守る人は僅かである。日本ではその伝統が息づいているのを、富士登山や旅行をして感じた。 そして、日本や日本の人々から 質実であることや、規律正しく、集中力があり、全てに礼儀正しいことを学んだ。日本や日本人のことは分からないことがまだいっぱいあるけど、4年前の富士山頂の出来事から日本人の心を理解できたことを忘れない。

四、 国際観光における日本の宿のありよう:
富士山・和食が世界遺産になり、イン・バウンド客が増える傾向の中で、国際観光における日本の宿のありようが問われています。私共の事務所が一貫して求めている日本の宿 ( RYOKAN ) に必要なものは、自然環境との調和であります。
ローカルな空間の中で、宿と人は 『 天地自然と一体になる 』 ことが大切で、その事が “宿り”や“食” に託す日本人の感性そのものだと認識しています。

◎ 作家の沢木耕太郎さんは、国際化にあっての宿についてこう述べています:
異邦の人を迎えるのに必要なのは、過剰な 「 おもてなし 」 ではなく 「 お 」のない、ごく普通の 「 もてなし 」 であるだろう。
「 もてなし 」 の精神とは、もてなす側の自己満足のためではなく、相手の望むであろうことを、さりげなく、淡々とするところにあるのだから。
 そして、私が旅の宿に求めるもの、その第一が 「 時間 」における、自由度であると述べています。 
私(増澤)思いますに、
● 旅館が一番むずかしいのはお客様の時間に対する自由度をいかに確保するかだと思います。(チェックイン、チェックアウトの時間の自由度)
● そして客室に於いては、和の設えの中のベッド化(好きな時に眠れる)
● 食事:世界無形文化遺産「和食」 フルコースの懐石料理だけが和食ではありません。
B級グルメも含め、食事については、どういう食事をどんな場所で摂るのか、食事場所と食事の種類の選択が急務と思われます。( 絶景を眺めながら、お酒と軽い食事だけでいい場合もあるし、居酒屋風居食屋、はた又・外メシもある ) そしてローカルな地産地消の食べ物がいい。

○ この写真は私どもで二十数年前に手がけた、仙台秋保温泉 『 茶寮 宗園 』の一部和室のベッド化の写真です。数奇屋旅館も和の風情を残しつつ、時代の流れに敏感でなければなりません。新しい時代の 『 宿 』 の模索が始っています。
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● 世界文化遺産登録後、静岡県は2013年度、対前年度比で2%観光客が増えているという、これからはもっと増える傾向にあり、迎える側の心構えが必要でしょう。

五、三保の松原伝説: 白砂青松のビューポイントからの写真です。
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忘れてはならないのは、富士山の世界文化遺算産登録の構成資産に、自然景観として三保の松原がセットで認められたことです。

○羽衣の松:ご存知でしょうが、三保の羽衣伝説は次のようなお話です。 

『 昔々、三保の村に伯梁という漁師がおりました。ある日のこと、伯梁が松の枝にかかっている美しい衣を見つけて持ち帰ろうとすると、天女が現れて言いました。 「 それは天人の羽衣です。どうかお返しください。 」 ところが伯梁は大喜びして返す気配を見せません。すると天女は 「 その羽衣がないと天に帰ることができません 」 と言って泣き出しました伯梁は天上の舞を見ることを条件に羽衣を返しました。天女は喜んで三保の春景色の中、羽衣をまとって舞いを披露。やがて空高く天に昇っていきました 』 満月の夕刻、美しい月明かりの中で舞ったと言われております。

毎年10月に松林を背景に薪能が舞われるという。
美しい景色ゆえにこの伝説が生れたのか、伝説ゆえにこの地がクローズアップされたのか、わかりませんが、静に聳える富士山のみが御存知でしょう。

     


Posted by masuzawa05 at 13:16│Comments(0)
 
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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