2013年05月13日
願成就院
我々の故郷 「 伊豆の国市 」 のお寺の仏像が、運慶作として国宝に指定された。早速拝観に訪れた。
文治5年(1189年)北条政子の父親で鎌倉幕府初代執権であった北城時政が、娘婿の源頼朝 奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立したという。北城氏の氏寺として創建されたものと考えられている。
この一帯を神社、回遊池庭園として、五重塔もあり、荘園としての一大ランドスケープが見られたが、豊臣秀吉の小田原征伐の際焼失し、江戸時代の北条氏の末裔北城氏貞が再建し、その遺構として現存している。しかしながら、池等は宅地開発で消失してしまって、今風な住宅が立ち並んでいる。
何で復元し、残さなかったのだろう。一度壊したものは元に戻らない、歴史と言う時の重みは復元できない。そのことが今となっては惜しまれる。
○ 北城時政の墓
○ 茶々丸の墓
◎運慶作
○阿弥陀如来坐像
○毘沙門天
○不動明王
○こんがら童子
○せいたか童子
○守山八幡宮
○裏山からの田方平野の眺望(小山、狩野川、平野、バランスがいい)
● 阿弥陀如来坐像;堂々として量感豊かな体躯、男性的でたのもしく、しかも慈愛に満ちた面相は神秘的な威厳を具え、一種名状しがたい霊感にうたれる尊像であった。
ほかの4点は運慶らしい玉眼嵌入のもので生き生きとしている。
文治5年(1189年)北条政子の父親で鎌倉幕府初代執権であった北城時政が、娘婿の源頼朝 奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立したという。北城氏の氏寺として創建されたものと考えられている。
この一帯を神社、回遊池庭園として、五重塔もあり、荘園としての一大ランドスケープが見られたが、豊臣秀吉の小田原征伐の際焼失し、江戸時代の北条氏の末裔北城氏貞が再建し、その遺構として現存している。しかしながら、池等は宅地開発で消失してしまって、今風な住宅が立ち並んでいる。
何で復元し、残さなかったのだろう。一度壊したものは元に戻らない、歴史と言う時の重みは復元できない。そのことが今となっては惜しまれる。
○ 北城時政の墓
○ 茶々丸の墓
◎運慶作
○阿弥陀如来坐像
○毘沙門天
○不動明王
○こんがら童子
○せいたか童子
○守山八幡宮
○裏山からの田方平野の眺望(小山、狩野川、平野、バランスがいい)
● 阿弥陀如来坐像;堂々として量感豊かな体躯、男性的でたのもしく、しかも慈愛に満ちた面相は神秘的な威厳を具え、一種名状しがたい霊感にうたれる尊像であった。
ほかの4点は運慶らしい玉眼嵌入のもので生き生きとしている。
Posted by masuzawa05 at 12:03│Comments(0)