2012年11月19日
ホキ美術館
日本で唯一の写実画・美術館である。 ( 日建設計、施工大林組 )
一見シンプルなプラン。緩くうねった三層の細長い平面通路空間 ( 延長500m )を行ったり来たり。作品の大きさに合わせ鑑賞の為の引きを取るため、内装で蛇のお腹のように膨らませたり狭めたりして視点を決めている・・・・・。最上階(1階)は鋼板製のボイドな空間で三十数メートルのキャンティレバー、まるで工事中の橋梁のようだ。
沢山のLED照明と穿たれた丸い穴のエアコンと排煙口。シームレスな壁に写実絵がマグネット仕掛けで張り付いている。巨大な美術館という腸の様にうねったマシンの中を知らず知らずのうちに歩かされている感じであるが、所々にある穿たれた窓と北側からのトップライトからのあかりが建築空間に引き戻してくれる、不思議な体験。
苦労したであろう設計者のディテール論は聴くほどに疲れてしまう不思議、そこまでやるかと時に傲慢さを感じるのは私だけであろうか。
● 造園・外構に見る伸び放題の雑草は、あえて作り込んだ庭としないで、近くに在る昭和の森や、道路際の雑草の種を3種類程選んで蒔いて、自然のままの植生にまかせたとのこと、メンテナンスフリーのこのやり方はよく分かる。唯一植栽らしいひょろひょろとした桧はそのうち太くなり周囲や雑草と溶け合うでしょう。
◎ 写実画いろいろ:
○ 木霊の囁き
○ 袋田の滝
○ 光る海
○ 陸に上がった舟
○ VIST DE NAJERA
○ DORSETの海
○ 裸婦
○ 紗
◎ 設計概要
● 写真と見紛う程の精緻さ、それ故に一作品に一年も掛かるという。よく見れば描いてある。
光 ( あかり ) を色で表すテクニック、フェルメールに通じ、写真に通じているが、どちらかといえば写真的で、フェルメールとは似て非なるもの。
写真も絵画も光を通じ、感情を媒体としてつながっている
● 実物らしく描くことの中に込める画家の芸術性については今の私にはよく解からない。しかしながら、黒板のある絵の白墨を手でなぞる人が後を絶たないとの保木館長の説明が、やけにリアリティーをもっていた。
建築について、あの形やつながりながら伸びる展示空間に拘るあまり、拡がりであるとか、溜まりであるとかが必要な箇所(レストラン、レクチャースペース)等は 『 蛇が獲物を飲み込み膨れた腹程のスペースに過ぎない 』 と物足りなさを思うのは、建築家的思考からはあまりにも一般的過ぎるだろうか。
設計者は溜まりを排し、淡々と写実画の世界に引き込む意図を述べておられたが、作品ゆえの元々の意図なのか、それとも熟慮の末の割り切りか・・・・・!?
オーナーの意図を汲み取ったその後は、構想の “ 形 ” に従い淡々とマイペースでデザインが進められた様に思える。
写実画の鑑賞という点からは意図は達しているが、場所柄ここまで出掛けてくる美術館なのだろうか? それ故に建築のひねりに負うところが多いのだろう。
● 折り返し歩くフロアーのチェンジが長い歩行距離を癒してくれる。誰でも設計出来るというものではないところがある(構造、設備、知名度、組織力、予算)。
オーナーとのつながりの中で、雑多な要求を聞きこなし、最後はマイペースの作品に仕上げるところはさすがだ! (この作品は2011年 JIA・建築大賞 受賞)
一見シンプルなプラン。緩くうねった三層の細長い平面通路空間 ( 延長500m )を行ったり来たり。作品の大きさに合わせ鑑賞の為の引きを取るため、内装で蛇のお腹のように膨らませたり狭めたりして視点を決めている・・・・・。最上階(1階)は鋼板製のボイドな空間で三十数メートルのキャンティレバー、まるで工事中の橋梁のようだ。
沢山のLED照明と穿たれた丸い穴のエアコンと排煙口。シームレスな壁に写実絵がマグネット仕掛けで張り付いている。巨大な美術館という腸の様にうねったマシンの中を知らず知らずのうちに歩かされている感じであるが、所々にある穿たれた窓と北側からのトップライトからのあかりが建築空間に引き戻してくれる、不思議な体験。
苦労したであろう設計者のディテール論は聴くほどに疲れてしまう不思議、そこまでやるかと時に傲慢さを感じるのは私だけであろうか。
● 造園・外構に見る伸び放題の雑草は、あえて作り込んだ庭としないで、近くに在る昭和の森や、道路際の雑草の種を3種類程選んで蒔いて、自然のままの植生にまかせたとのこと、メンテナンスフリーのこのやり方はよく分かる。唯一植栽らしいひょろひょろとした桧はそのうち太くなり周囲や雑草と溶け合うでしょう。
◎ 写実画いろいろ:
○ 木霊の囁き
○ 袋田の滝
○ 光る海
○ 陸に上がった舟
○ VIST DE NAJERA
○ DORSETの海
○ 裸婦
○ 紗
◎ 設計概要
● 写真と見紛う程の精緻さ、それ故に一作品に一年も掛かるという。よく見れば描いてある。
光 ( あかり ) を色で表すテクニック、フェルメールに通じ、写真に通じているが、どちらかといえば写真的で、フェルメールとは似て非なるもの。
写真も絵画も光を通じ、感情を媒体としてつながっている
● 実物らしく描くことの中に込める画家の芸術性については今の私にはよく解からない。しかしながら、黒板のある絵の白墨を手でなぞる人が後を絶たないとの保木館長の説明が、やけにリアリティーをもっていた。
建築について、あの形やつながりながら伸びる展示空間に拘るあまり、拡がりであるとか、溜まりであるとかが必要な箇所(レストラン、レクチャースペース)等は 『 蛇が獲物を飲み込み膨れた腹程のスペースに過ぎない 』 と物足りなさを思うのは、建築家的思考からはあまりにも一般的過ぎるだろうか。
設計者は溜まりを排し、淡々と写実画の世界に引き込む意図を述べておられたが、作品ゆえの元々の意図なのか、それとも熟慮の末の割り切りか・・・・・!?
オーナーの意図を汲み取ったその後は、構想の “ 形 ” に従い淡々とマイペースでデザインが進められた様に思える。
写実画の鑑賞という点からは意図は達しているが、場所柄ここまで出掛けてくる美術館なのだろうか? それ故に建築のひねりに負うところが多いのだろう。
● 折り返し歩くフロアーのチェンジが長い歩行距離を癒してくれる。誰でも設計出来るというものではないところがある(構造、設備、知名度、組織力、予算)。
オーナーとのつながりの中で、雑多な要求を聞きこなし、最後はマイペースの作品に仕上げるところはさすがだ! (この作品は2011年 JIA・建築大賞 受賞)
Posted by masuzawa05 at 10:23│Comments(0)