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増澤信一郎の心模様

2012年01月16日

ちょっといい話・その11


知的余生の方法 ( 同名の新潮新書より )

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 知的に生きることは
人生を何倍にも充実させる。


◎ 知的余生のための肉体について:

 私は、九十五歳まで生きようとこれまで提唱してきた。この提案は、知的生活を送るためには何といっても 「 フィジカル・ベーシス 」 ( 肉体的基盤 ) が必要だと思うからだ。 * 肉体的基盤=physical basis
 どんなに意気込んでも、寝込んでしまっては何もできはしない。若い頃なら病床の生活が知的にプラスになりうる。しかし老いてからは若いときの何倍も “ フィジカル・ベーシス ” が重要になる。イギリス人で世界的なベストセラーを著した美術評論家のP・G・ハマトンもその名著 「 知的生活 」 の中で指摘している。肉体的健康が “ 知的生活 ” の基礎になる、と。 “ 知的余生 ” にとってはさらに重要なものになるのだ。

 ○ 白川静先生の 「 脳健康法 」 : 
漢学者の先生の知的興味の広さと深さに感心したことがある。以前対談させていただいたとき、九十五歳を過ぎたとは思えないほどお元気で、私が 「 たまには温泉や旅行などに出て気晴らしでもされるのですか 」 と尋ねると、 「 そういうことをやると、かえって続きません 」 と答えられた。そして、毎日規則正しく仕事をし、規則正しく散歩することが、 「 健康の秘訣 」 だとおっしゃった。

○ 中川秀恭先生の 「 宗教と余生 」 : 
プロテスタント教会の代表的な学者だった先生は 「 九十五歳を過ぎた頃から、死して神の御許へ行くなどということすら考えなくなった 」 と百歳のときにおっしゃった。
 九十五歳にもなると世の中に対する未練はもちろん、神や仏にすがろうという望みも、また死に対する恐怖すらなくなった境地に至るものらしい。これは、禅僧が厳しい修行をつんでやっとたどりつく境地と同じだろう。これほどの長寿というものは、 「 悟り 」の境地に達しうるものなのだ、と感心した。

● 私(増澤)、八十五までがせいぜいだろうと思っていたが、九十五歳ならまだ30年もある。ならば、気持ちだけでもゆとりを持って生きられる。


◎ 財産の考え方: 

英語の諺に 「 Money is a good servant, but a bad master 」 というのがある。 「 金は良き召し使い、悪しき主人 」 お金や財産は、賢明に使えば実に良いものだが、お金に使われたらひどいことになるというのだ。

● なんとか製紙の馬鹿息子は一体なんなんだ。単なる馬鹿なのか!? そうだろう!

 財産、つまり富のことだが、これは英語ではgoodの複数、goodsで表現する。ドイツ語でも同じで、グート( Gut ) の複数ギュ―ター( Guter )という。何を意味しているかといえば一目瞭然、財産と言うものは、もともと 「 良いもの 」 だということだ。
だから、常に使ってやればいい。しかも賢明なやり方で。賢明に使えば使うほど、お金はいい召使になる。

● お金の無い人はどうするんだという話になるが、お金が少ない人は少ないなりに工夫・節約すればいい。工夫する人にお金は巡ってくる。
それでも巡ってこない人はどうすればいいか・・・私にもわからないけど・・・・、ゼロということはないだろう。
ひょっとして金で買う “ もの ” が巡ってくるかもしれない。

泰然自若していれば、そのうち巡ってくるだろう。


◎ 読書家は長寿が多い:

 「 仁者寿 」 と言う言葉が論語にある。この場合の 「 寿 」 と言う字は、慣例的に 「 いのちながし 」 と訓ずることになっている。 「 仁者は命長し 」 と言う言葉はなんとも素晴らしい響きがする。
 「 脳の中ではさまざまなホルモンが作られている。このホルモンは脳のためにだけあるのではなく、脳が支配しているさまざまな器官に関係している。それで脳を働かせることは全身の健康に密接な関係がある 」 という学者の研究がある。ありがたい話である。

● 死んだ父・増澤三郎は、私が学生時代 「 本を買う 」 と言えば理由を問わずお金を出してくれた。

その内のほとんどが飲み代に消えたのだが、飲み代に消えた分だけ寿命は短くなるのだろうか・・・・であれば、罰が当たったということになるのだろう。
反面、酒場の人情の機微に触れることができた分だけ心豊かに生きてこれた、と自分勝手に納得している。


◎ 知を求めて生きる: 

さて、年をとったら何事につけ頑張らないほうがいい、と言う人がいる。年をとってから何も求めずに生きるという生き方は、そう自分で決めて生きるのなら、それはそれでかまわないとおもうが、果たしてそうだろうか。
 英文学の世界で先輩に当たる外山滋比古先生は、好きな俳句として滝瓢水の
「 浜までは 海女も蓑着る 時雨かな 」 を挙げておられるが、私も深く共感している。
 この 「 海女 」 を自分の姿に見立てると、 「 浜 」 は死期になる。どうせ海に入るのだから、時雨だろうが濡れることなど気にしないで浜に向かえばいいのに、この海女は蓑を着るのだ。この 「 蓑 」 は私にとっては読書に当たる。 「 どうせ死ぬのだから何もしない 」 というのは、 「 どうせまた腹が減るのだから飯を食わない 」 に通ずる考え方ではないだろうか。

● 私(増澤)、おこがましくも還暦を過ぎて、 「 知的に恥をかく 」 生活をしようと思っています。 知らないこと、思慮に欠くことが、あまりにも多いからだ。
それでは、どう恥をかいたらいいのか、
指針とすべく、渡部さんが三十数年前に書かれた 「 知的生活の方法 」 を続いて読み始めました。


好きな言葉があります  Way up there ( そこに至る道 )
Way : 道 、 方法 、 生き方 ・・・・・ 「 そこ 」 とは。

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Posted by masuzawa05 at 18:28│Comments(0)
 
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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