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増澤信一郎の心模様

2011年11月14日

三人の人類

◎ 「 足跡 」 と書いてアシアトと読めば、廊下の濡れた足型や、犯罪の捜査活動に使う靴跡のように、そのイメージは具体的である。しかしソクセキと読むと、がぜん言葉が深い広がりをもってくる。人生、文化、民族とスケールも大きくなる。

 新聞の文化欄、作家・藤原智美さんの人類の足跡についての一文が目に留まった。

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○ まさにソクセキといえるアシアトに出会った。360万年前に残された人類の足跡である。人類学者、真家(まいえ)和生さんの研究室には、タンザニア北部のラエトリで発見された、アウストラロピテクス・アスファレンシスという初期人類の足跡が保存されている。レプリカだが、地表からはがしたように精巧にできている。・・・1978年の大発見は人類学の論争に終止符を打った。

この人類にはチンパンジーと同じ大きさの脳しかない。顔かたちは私たちよりもチンパンジーに近い。石器さえ知らない存在ながら、彼らは何と立って歩いていたのだ。
猿よりも脳が大きくなり、それを支えるために立ち上がった動物が人類、という説は完全にくつがえされたのである。
しかしこの足跡は新たな論争を生んでいる。当初、それは大柄な人類とそれより小さな人類、二人の足跡だと見られていた。大柄といっても足跡から推測するに150センチほどで、小柄なほうは120センチ程度である。初期の想像図は先頭を行く男の少し後を赤ん坊を抱えた女が歩いているというものだった。
ところが詳しく観察するとそれは三人であることがわかってきた。大柄なほうの足跡の中に、もう一つの別の小さな足跡が点々と見つかったのだ。こちらは推定140センチほど。前を行くヒトの足跡をなぞりながら歩くという行動は人間的であり、猿ではない。つまり、それぞれ身長の異なる三人がいっしょに歩いていたということになる。

彼らはどんなグループだったのか ?

近くに噴火する火山があった。地面はぬかるんだ火山灰で覆われていた。スコールがやんだばかりで、地表には雨粒跡も残っている。そこに通りがかったのが三人である。彼らが通り過ぎた1,2時間あとに大きな噴火が起こり、新しい灰が彼らの足跡を360万年間保存することになる。

まずこのグループが家族であったろうと推測するのが順当であろう。二足歩行する人類は、骨盤の形が四足歩行の動物より出産に不向きになる。よって他の動物より胎児が未熟なうちに産み落とし、つきっきりで長い間育てなくてはならない。それには育児、狩りという分業が必要で、現代のような核家族に近いものになる。
三人が家族とすれば話は早い。先頭を父親、そして少し後を母親、さらに子どもが父親の足跡をなぞりながら後ろにつく。これでおさまりがつく。

 しかし、自然人類学者である真家和生さんは違った見方をする。 

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○ 真家さん著作の 『 自然人類学入門(ヒトらしさの原点) 』 を藤原流に要約すると・・・・・:
「 同時期にヌーに似た動物の大群が通った足跡も前方に発見されている。父親は狩りが使命だ。先に獲物を追いかけて三人の家族を置いていったのではないか。
すると残されたのは母親と二人の子供。彼らの足跡ではないかというのだ。さらに二筋の足跡の歩幅は同じである。彼らは歩調を合わせて歩いた。身長とその歩幅から類推すると急ぎ足である。しかも二筋の足跡の間は狭い。10、20センチ足らずしかない。きっと母親は、わが子を抱きしめるようにくっつきあって進んだに違いない。その後を上の子が母親の足跡をなぞりながら進む 」 と述べています。

もちろん証拠立てるものはない。答えは永遠に出ないだろう。

 しかしわたしは、この説を耳にしたとき腑に落ちるものがあった。
火山はふたたび今にも噴火しそうな勢いである。もくもくと煙を噴き上げていただろう。しかも見晴らしのいい平原は危険地帯だ。凶暴な肉食獣もいたに違いない。自然は彼らにとって脅威そのものだった。

 360万年前の平原を、おそるおそる行くこの三人を結びつけていた感情は、ひとことでいえば “ 怯え ” ではなかったか。彼らは身を寄せ合いながら生き抜いていくほかなかった。いつなんどき災害に、肉食獣に、病に倒れるか分からなかったのだ。
 昨今、家族のもろさが指摘されるが、その一因には “ 怯え ” の喪失があるのかもしれない、と私は思う。 “ 怯え ” が個々人の内部にとどまり、家族として共有されなくなった時、その絆はもろい。 ― 日経・文化欄より抜粋。


● 私(増澤)、あまりにも人間的(サル的)な情景描写にビックリ! そして文学的だ。
360万年前の出来事ですよ! すごいドラマを見ているような気がする。もっと違う理由があったかもしれないが、他に推測しようがない。できればタイムスリップして聞いてみたい。

 新聞に出た作家の一文が目に留まる。
 なるほどと感動する。
そして、記憶のノートに整理する。

人類学者の本を探す。
そして読む。
いろいろな記述に感動する。

自然人類学という分野を知る。
この分野は初めてだ。
なるほどと感動する。 

ややあって、それをブログする。
う〜ん と唸って納得する私。
知の連鎖は楽しい。


◎ 「 人間に関する情報を蓄えることは、その人の人間観を育ててゆくことになる。人生観や世界観にも関係する。様々な視点から人間を見ること、これが豊かな人間観を育てる必要条件だと私は考えている 」 ・・・自然人類学者 真家和生。


ちなみに本は:
『 自然人類学入門 』 (ヒトらしさの原点) 真家和生著 技報堂出版 ¥2,200円+税


Posted by masuzawa05 at 09:50│Comments(0)
 
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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