2010年10月25日
傘連判にまつわる いろいろ
◎ 「 傘連判 」 というものがあった。一行に一人ずつ名を並べるのではなく、傘の骨のように中心から放射状に名前を書いてゆく。江戸期の百姓一揆の例が知られるが、明治に入ると、鉱山労働者も待遇改善を求めて傘連判を作ったという。
なぜ傘か。一つには首謀者が誰かわからぬようにするためだった。そしてもうひとつ、全員が平等に団結しているのだと示す狙いがあった。
チリで地下700メートルに閉じ込められた作業員が救出された。
「 狭いんで驚いちゃ、一足だって踏ん込めっこはねえ 」。
漱石は足尾銅山の構内を 「 抗夫 」 にこう書いた。
昼夜も東西南北もない厳しさは今も変わるまい。事故からの17日間は、地上から作業員が生きているかどうかすら分からなかった。その中で耐えた原動力が、乏しい食べ物を分かちあった33人の団結だろう。
生存が確認されると、カプセルが食べ物や薬、それに家族の手紙を届け続けた。通信も可能になり、当初クリスマスを目標にした救出活動は2カ月も早まった。
傘連判とは奇妙かもしれないが、中心にある 「 希望 」 の字の周りに無数の名前がびっしりと放射状に並んだ寄せ書き。救出劇はそんなイメージと重なる。
( 日経春秋より抜粋 )
● 私(増澤)、事故の一報を聞いたとき、何故か日本の土木屋の名前が浮かんだ。
この救出は トンネルの熊谷組だろ !
日本政府は直ぐ自衛隊の船を出して、重機・作業員・現場監督・大臣 共々 「 救出作業ために現地に行かなくっちゃあ ! 」 と、思わず叫んでしまった。
仮に百億円ぐらい!? 使っても、政府関係者の懐に入る、くだらないODAなんかに較べればずっと有益で、こんな時ほど、世界に向けて日本の技術と機動力と人情をアピールする事のできるまたとない機会だったのに。 そういうセンスがない!
民主党と菅内閣は尖閣諸島を巡る中国対応や小沢問題に悩み・追われて、国際貢献という千載一遇の好機さえ視野に入らない情けなさ。連判どころかバラバラで、発想力皆無のカボチャ頭と断じざるを得ない。いたずらに国会の椅子を暖めるのは、十年早い。・・・・つまらない奴らだ。
混沌として世知辛い地球にあって、
「 広く世界に目を向けて、目を見開きつつ正義のために生きる 」
そういう度量と発想と実行力を持ち合わせて欲しい。
絶好のチャンスだったのに・・・・・! 残念至極なり。
Posted by masuzawa05 at 10:11│Comments(0)