2010年10月04日
狐(キツネ)にまつわる いろいろ
以前からお稲荷さんは神さんなのか仏さんなのかと、私(増澤)悩んでいて、たまたま現場の帰りに豊川稲荷に参拝したことがある。一般的には稲荷神社と言うくらいですから神社ですが、神社系としては京都の伏見稲荷大社が総本宮で、もとは五穀豊穣を司る農業神、時代が下って、商売繁盛・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神と崇められているという。 〔 *五穀:米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)又は稗(ひえ) 〕
然しながら、聞くところによるとここ豊川稲荷は 『 仏 』 で、本堂前にはお線香が焚かれていました。正確には 「 豊川閣妙厳寺 」 と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。単純に神社と間違って、拍手(かしわで)を打っている人を見かけました。ここはあくまでもお寺です。
谷中霊園には鳥居を多く見かけます。元は神道とのこと、鳩山家も鳥居が有り、樒ではなく、墓前に榊をお供えしてありました。
日本は神仏混交の国ですから止むを得ないところも有ります。
又、お稲荷さんには何故狐なのか? と思っていたのですが、それは、「 稲荷大神様 」 のおつかいが ‘ 狐 ’ だからだそうです。 『 正一位 』 という神様の位としては最高位の大明神がいて狐はあくまでも使いとのことです。下に豊川のおキツネさんのいろいろを載せてみました。
最後の写真なんざぁーまるで狐の水子地蔵尊のようです。
◎ ならば狐にあぶらあげのとり合いは何なのだ! と思っていたら、 歌人・小池光さんの 『 うたの動物記 』 欄にこんな一文が出ていました:
“狸と対極、シャープな化け”
○ きつねうどんを直訳すれば、フォックス・ヌードルである。 それではなんのことかわからない。
なぜキツネの好物はあぶらあげということになったのか。
キツネは肉食性動物で畑のねずみなどをよく捕らえる。害獣を退治してくれて、今年も作物がよく稔り、豆もよく稔り、それで豆から作ったところの豆腐、さらに豆腐から作ったところのあぶらあげを供えて、稲荷神のおつかいであるキツネに感謝の意を表わすようになった。と、ものの本に書いてある。
本当であろうか。そうだとしたらどうしてあぶらあげ以前に豆腐そのものをあげないか。豆腐以前に豆そのものをあげないか。理が通らない。
思うに、キツネとあぶらあげの親和関係は、仮にそういう事情と無関係ではないにせよ、なにより両者の色つやに相通ずるものがあるからであるまいか。口に銜(くわ)えるさまも絵になる。そして油である。昔から化けるものは油を嘗めると決まっている。豆腐みたいな水臭いものでは化けが効かないのだ。
実際のキツネはあぶらあげなど全然見向きもしないらしい。
◎ 狐にまつわる色々、いずれも与謝蕪村の句より。
○ 水仙に 狐遊ぶや 宵月夜
シャープでつんつんした水仙の立ち姿は、そういわれてみればなんとなくキツネっぽいところがある。ちょうど初冬の季節の楽しい空想。
* ( 水仙:ヒガンバナ科スイセン属の多年草 )
○ 草枯れて 狐の飛脚 通りけり
枯れ草に一陣の寒風が走り抜けるさまをキツネの飛脚が通ったようだと遊ぶ。
○ 公達に 狐化けたり 宵の春 (公達:きんだち=王家の一族、貴族の子息)
公達に化けおおせるならたしかにそれはキツネで、タヌキではない。化ける双璧の狐と狸だが、イメージは対極にあり、その違いはどこかしら短歌と俳句の違いにも一脈通いあう。
○ あずさゆみ 春の真昼の 下り電車 口あけて狐型 美少年眠る 酒井佑子
「 狐型美少年 」 が目を剥くほどユニーク。そしてこの感じ、なんとなくわかる、わかる。 「 狸型美少年 」 というのはありえない。 タヌキならオヤジ、狐の隣で泥眠中。
● 私(増澤)、無知ゆえにつまらないいろいろの疑問を溜める癖があり、反芻していると、ふとしたきっかけでスッと解けることがある。 まるで 今までが 「 キツネにつままれていたように 」
そう言えば商売繁盛ゆえ、家の近くの商家の庭の一画や、デパートの屋上でよく見かけたお稲荷さん。旅館の敷地にもよく有ります。
お稲荷さんを撤去するときは、慎重にやさしく丁寧に時間を掛けてやりなさいと古老にきいたことがある。
S旅館さんの場合、大女将からは 「 お狐さんはしっかりと住み着いているから、お祓いをキチッとして撤去しないとダメだ・・・・又舞い戻るから 」 と言われたことを思い出しました。
この旅館、縁起の良い 「 ざしきわらし 」 が出るとの噂があり、わざわざその部屋に泊めてもらいましたが、大酒飲んで熟睡、出たんだか出なかったのか、単に気が付かなかったのか、鼾に恐れおののいて退散したのか、判らずじまい・・・・・。
この現場、工事中に間抜けな狸が居て、解体前のプールで溺死していたと、狸似のトボケタ現場監督から聞き、大笑いしたことがあります。そう言えば現場員にも狸型、狐型 いろいろ居る。
ひょっとすると、情の深さといい 舞い戻った女狐コンコンがまた悪さをしているの・・・・・かも。 今度は素面 ( しらふ ) で寝てみよう。
然しながら、聞くところによるとここ豊川稲荷は 『 仏 』 で、本堂前にはお線香が焚かれていました。正確には 「 豊川閣妙厳寺 」 と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。単純に神社と間違って、拍手(かしわで)を打っている人を見かけました。ここはあくまでもお寺です。
谷中霊園には鳥居を多く見かけます。元は神道とのこと、鳩山家も鳥居が有り、樒ではなく、墓前に榊をお供えしてありました。
日本は神仏混交の国ですから止むを得ないところも有ります。
又、お稲荷さんには何故狐なのか? と思っていたのですが、それは、「 稲荷大神様 」 のおつかいが ‘ 狐 ’ だからだそうです。 『 正一位 』 という神様の位としては最高位の大明神がいて狐はあくまでも使いとのことです。下に豊川のおキツネさんのいろいろを載せてみました。
最後の写真なんざぁーまるで狐の水子地蔵尊のようです。
◎ ならば狐にあぶらあげのとり合いは何なのだ! と思っていたら、 歌人・小池光さんの 『 うたの動物記 』 欄にこんな一文が出ていました:
“狸と対極、シャープな化け”
○ きつねうどんを直訳すれば、フォックス・ヌードルである。 それではなんのことかわからない。
なぜキツネの好物はあぶらあげということになったのか。
キツネは肉食性動物で畑のねずみなどをよく捕らえる。害獣を退治してくれて、今年も作物がよく稔り、豆もよく稔り、それで豆から作ったところの豆腐、さらに豆腐から作ったところのあぶらあげを供えて、稲荷神のおつかいであるキツネに感謝の意を表わすようになった。と、ものの本に書いてある。
本当であろうか。そうだとしたらどうしてあぶらあげ以前に豆腐そのものをあげないか。豆腐以前に豆そのものをあげないか。理が通らない。
思うに、キツネとあぶらあげの親和関係は、仮にそういう事情と無関係ではないにせよ、なにより両者の色つやに相通ずるものがあるからであるまいか。口に銜(くわ)えるさまも絵になる。そして油である。昔から化けるものは油を嘗めると決まっている。豆腐みたいな水臭いものでは化けが効かないのだ。
実際のキツネはあぶらあげなど全然見向きもしないらしい。
◎ 狐にまつわる色々、いずれも与謝蕪村の句より。
○ 水仙に 狐遊ぶや 宵月夜
シャープでつんつんした水仙の立ち姿は、そういわれてみればなんとなくキツネっぽいところがある。ちょうど初冬の季節の楽しい空想。
* ( 水仙:ヒガンバナ科スイセン属の多年草 )
○ 草枯れて 狐の飛脚 通りけり
枯れ草に一陣の寒風が走り抜けるさまをキツネの飛脚が通ったようだと遊ぶ。
○ 公達に 狐化けたり 宵の春 (公達:きんだち=王家の一族、貴族の子息)
公達に化けおおせるならたしかにそれはキツネで、タヌキではない。化ける双璧の狐と狸だが、イメージは対極にあり、その違いはどこかしら短歌と俳句の違いにも一脈通いあう。
○ あずさゆみ 春の真昼の 下り電車 口あけて狐型 美少年眠る 酒井佑子
「 狐型美少年 」 が目を剥くほどユニーク。そしてこの感じ、なんとなくわかる、わかる。 「 狸型美少年 」 というのはありえない。 タヌキならオヤジ、狐の隣で泥眠中。
● 私(増澤)、無知ゆえにつまらないいろいろの疑問を溜める癖があり、反芻していると、ふとしたきっかけでスッと解けることがある。 まるで 今までが 「 キツネにつままれていたように 」
そう言えば商売繁盛ゆえ、家の近くの商家の庭の一画や、デパートの屋上でよく見かけたお稲荷さん。旅館の敷地にもよく有ります。
お稲荷さんを撤去するときは、慎重にやさしく丁寧に時間を掛けてやりなさいと古老にきいたことがある。
S旅館さんの場合、大女将からは 「 お狐さんはしっかりと住み着いているから、お祓いをキチッとして撤去しないとダメだ・・・・又舞い戻るから 」 と言われたことを思い出しました。
この旅館、縁起の良い 「 ざしきわらし 」 が出るとの噂があり、わざわざその部屋に泊めてもらいましたが、大酒飲んで熟睡、出たんだか出なかったのか、単に気が付かなかったのか、鼾に恐れおののいて退散したのか、判らずじまい・・・・・。
この現場、工事中に間抜けな狸が居て、解体前のプールで溺死していたと、狸似のトボケタ現場監督から聞き、大笑いしたことがあります。そう言えば現場員にも狸型、狐型 いろいろ居る。
ひょっとすると、情の深さといい 舞い戻った女狐コンコンがまた悪さをしているの・・・・・かも。 今度は素面 ( しらふ ) で寝てみよう。
Posted by masuzawa05 at 12:32│Comments(0)