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増澤信一郎の心模様

2010年02月15日

聖地チベット( TIBET )について

     
 好きなチベットの現状について気になっている事が有って、上野の森美術館で開かれている 『 ポタラ宮と天空の至宝・チベット 』 展 に行ってきました。
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 パネルの説明文の出だしから 「 中国に於ける・・・・・ 」 で始まる文言に私、何故の疑問???・・・・・???

 チベットはあくまでもチベットであって、それ以外の何ものでもない。何故中国なのか? そう・・・・・・・又、思い出したらその憤る想いが頭を駆け巡り展覧会どころではなくなってしまったが、それでも先ずは見てみようと思った。


● 全体を見て回って、この国の ‘ 信仰心の深さ ’ を感じた。 信仰の深さは政治には関係ないのだが、信仰に裏打ちされた日常が政治に翻弄されているのが悲しい。近代国家とはえてしてそんなものなのか !?
 以前文庫本で読んだ13世紀の人道政治家、サキャのような人が出て来てくれないだろうかと祈らずにはいられない。

◎ カンギュル ( 経典 ) について: 
インドからチベットに仏教が伝来し、サンスクリット語の経典のチベット語訳が11世紀以降、盛んに進められた。
 「 カンギュル 」 は、たくさんの経典が伝わることから第二の敦煌と呼ばれるサキャ寺 ( 以前ブログでサキャの格言集を載せたことがあります。参照いただきたい )に残るチベット大蔵経の一部。幅70センチ以上ある330枚の紺色の紙にチベット語で経典が書かれている。功徳を積む目的で、写経は頻繁に行われた。
 チベットの人々は、信仰心の表現方法として、寺院や僧侶に寄付したり、聖地への巡礼に出たりした。

◎ 「 マニ車 」 について: 巡礼が手にする必須の仏具だ。内部に経文や祈りの言葉が収められ、回すごとに経文を唱えるのと同じだけの功徳があると信じられている。内部の経文や、装飾まで各家で特注することも多いという。

 ◎ チベットでいまも行われている ‘ 鳥葬 ’ も神や縁者の生まれ変わりかもしれない鳥への布施なのだという。鳥葬は事故や不慮の死者には許されず、幼児は川での水葬となり、ほかの者は土葬となると聞いて、鳥葬は、天寿をまっとうした者への特権なのかもしれないと思う。と写真家の長倉洋海さんは写真集 「 西域の貌 」 の中で述べています。


● 今の日本、特に中国寄り民主党政権の無防備な外交の時世に開かれたこの展覧会、国家間の露骨なイデオロギー検閲にあっては、チベットのいきさつや、詳細な記述なんぞはある筈も無いのだが、ざっと見て回って私の感性を試してみた。


○ これはチベットに於ける千手観音像 (十一面千手千眼観音菩薩立像 )。

すべての人を救済するためたくさんの顔、手と目を持つ。
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 ● 見終って、やっぱり、チベットはチベットだろう! 中国としてのチベットは考えられない。チベットにはチベットの香りがする。と、そこへ収束する。


● そこで、チベット自治区について調べてみた:

○ 中国の公認された少数民族としてのチベット族(蔵族)の居住領域に設けられた民族自治区とされるが、チベット自治区の領域は歴史的・文化的なチベット地域のうちの、中国領に内包される部分の一部で、歴史的に西蔵と呼ばれてきた地方を占めるのみであり、中国語による名称は 「 西蔵自治区 」 という。

 歴史的・文化的なチベットの全体ではなく、その一部を占める中国行政区域であるチベット自治区をもって、そのチベット全体域と同一視するむきがある。それは聖地ラサを制圧しているからかもしれない。

 亡命政府は中国政府に対して、歴史的・文化的なチベット全体の一体性を要求し、チベットとチベット自治区の中国側の同一視に対して異議を唱えている。

○ 中国共産党は、国民党との内戦に勝利し、チベットに対しても、1949年までにアムド(青海)地方、カム地方を征圧し、この年の10月に 「 中華人民共和国の建国 」 を宣言して 「 中国人民政府 」 を発足させた。そして1950年、 「 西蔵和平開放 」と称して、人民解放軍を中央チベットに派兵、1951年にラサを占領し、チベット全土を制圧した。 

 1911年: 辛亥革命、チベットにおける満州人の支配崩壊
 1913年: ダライラマ13世、チベット独立宣言。モンゴルと相互承認条約を結ぶ
 1933年: ダライラマ13世死去
 1940年: ダライラマ14世即位
 1949年: 中国人民解放軍、チベット東部のチャムド占領
 1951年: 人民解放軍、ラサ進駐
 1956年: チベット動乱の始まり
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 1989年: 亡命中のダライラマ14世ノーベル賞受賞
 1998年: 国連高等弁務官 チベット訪問
 2008年: チベット動乱の始まり

 ● 1949年以来、明らかに人民解放軍の武力による介入なのだ。

○ 民族・国土: 2002年の人口267万人の内、チベット族が93%、漢族6%でこれに次ぐ。残りは回族0.3%、モンパ族0.3%。  面積日本の約4倍

● そして今、中国は商売と称し漢族を続々と送り込んで経済面 ( 貧しさにつけこんで ) から制圧しようと目論んでいる。

○ 資源: 大量の石油、天然ガス、鉱物資源(希土類元素)の存在が確認されている


● 私(増澤)がこのチベット展に求めたものは
 大高原と仏教、天空に暮らす人々。豊かな自然をも含めた総合芸術としての国の有り様を期待し、出掛けたのだが・・・ポタラ宮はその象徴であったのだが。
 
 ○ 建築家の藤森照信さんは天空についてこう述べています:

 建築にかかわる者として生まれたからには見なければ死ねない、とその昔、若気のいたりで思った建物が二つある。一つはチベットのポタラ宮、もう一つはジェンネの泥の大モスク。なぜこの二つについてそう思ったのか、若いころは自覚していなかったが、今になって考えるに、ポタラ宮は “ 天空 ” を、泥の大モスクは “ 大地 ” を象徴しているからではないか。 ・・・・・ 「 建築の原点 」 から抜粋。 

 ● 仏像等の羅列ではチベットをより深く知るには物足りない。天空の楽園を垣間見たかったのだが、私の一方的な思い込みからは肩透かしであった。後日新聞にこんな記事がありました。

 ◎ 小柄で物静かな女性だった。インタビューで 「 あなたにとって中国とは? 」 と第1問をぶつけた。 「 大きな壁の中の国 」 と答えた。 「 壁の外にウイグル、チベットがある 」 と言葉が続く。誰の発言か、おわかりのひともいるだろう。
 「 中国に一番憎まれている女性 」 「 ウイグルの母 」 ・・・ 「ラビア・カーディル自伝 」 には、こんな説明がつく。どんな人物かは、この本を読めばわかるが、中国にとっては 「 テロリスト 」 らしい。自伝の日本語版刊行を理由とした今度の来日に当たっても、中国政府は、日本政府が査証を発給した点に抗議した。
 
 中国政府に 「 一番憎まれている女性 」 がラビアさんなら 「 一番憎まれている男性 」 はチベットのダライ・ラマ14世か。ラビア自伝にはダライ・ラマが序文を書く。盟友である二人が先週、東京の外国特派員協会で相次いで記者会見した。批判された中国は愉快ではないだろう。が、余裕もあるはず、ともみえる。
 ふたりとも日本政府当局者と会っていないからだ。ダライ・ラマはオバマ大統領からも会談を拒まれた。それ以前の3人の大統領はいずれも会っているから政策転換だ。
 日本でも2年前、民主党の鳩山幹事長はダライ・ラマに会い支持を伝えたが、首相になったら会わない。日米とも、中国には抗(あらが)えぬ?   日経 春秋より。

( 後日談:2010年2月、台湾への米国の武器輸出に中国が強固に抗議したため、オバマ大統領は中国の態度が気に入らないらしく、又もや政策転換、18日にダライ・ラマに会うという )


● 私(増澤)、なにをかいわんや ( だらしがねえ、つまらねえ ! ) である。

新疆ウイグル自治区についても、同じようなことが言えると思うのだが・・・・・・、 『 中華思想 』 いかがなものか。

いろんなことに対して、もう一つおまけに 「 バカヤロウ ! 」 である


鳩山さん中国人は “ したたか ” で 一筋縄ではいかない民族ですぞ。

友愛を論ずる前に、母性愛に溺れることなく、
自立した大人として、
国を預かる筆頭政治家として、

しっかりとした防衛力に裏打ちされた外交を!


Posted by masuzawa05 at 09:31│Comments(0)
 
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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