2009年08月20日
フェルメール展
上野の東京都美術館に行ってきました
ヨハネス・フェルメール(1632〜1675)、オランダのハーグ近くのデルフトという小都市に生れました。彼が、生涯で残した作品はわずか三十数点。そのうちの七点が去年(2008年)日本との修好150周年を記念して展示されました。
光を紡ぐ独特の技法の美しさから、光の天才画家と呼ばれている。
○ マルタとマリアの家のキリスト: 彼の作品の大半を占める日常生活の一幕を描いた風俗画とは趣を異にし、新約聖書を典拠とする宗教主題を、等身大のサイズで大胆な筆遣いで描いている。
○ ディアナとニンフたち: フェルメールによる唯一の神話画である。ディアナは夜と月の女神であるだけではなく、貞節の女神である。だから、この場面の焦点が儀式的な浄化の行為であるのは理にかなっている。
○ 小路: 現存する2点の風景画のうちの1点で、熟達した風俗画家のみならず、都市景観画の独創的な先駆者の一人であった。
○ ワイングラスを持つ娘: 風俗画の傑作である。顔に笑みを浮かべ、赤いサテン地のドレスに身を包んだ娘は、ニヤニヤしながら彼女の近くに身をかがめ、あからさまにしつこく交際を迫る男からワインを勧められている。
○ リュートを調弦する女: 円熟期の作品である。楽譜集と思われる本がテーブルいっぱいに広げられている。床の上にこぼれおちた本もあるが、打ち捨てられたままだ。この小さいがゆえに見捨てられがちな細部が場面を活気づける。
○ ヴァージナルの前に座る若い女: 近年フェルメール作と認定され大きな話題となった
○ 手紙を書く婦人と召使: 左側の壁に設置された背の高い窓、その窓からの光にてらされた部屋、その一隅に、黄金色のドレスに身を包み、白い頭巾をかぶり、白い袖を出し、真珠のイヤリングを付け、東洋の絨毯の掛かったテーブルに向かって座り、手紙を書く女。後ろには、物静かで、円柱のような姿の彼女は、腕組みをして、窓の外をじっと見詰めながら、待っている。ここでも床に落ちた紙くずが何をか語らん。
◎ 詩人の谷川俊太郎さんはフェルメールと私と題して 「 いつも胸ドキドキ 」 と述べています:
フェルメールの絵にあってハイビジョン画面にないものはなんだろうと考えます。また、村上隆の作品にあってフェルメールの絵にないものはなんだろうと考えます。ボッシュもレンブラントもピカソも、そんなことを考えさせたりしません。それはなぜだろう。
答えはおいそれとはみつからないのですが、少なくとも私にとってフェルメールの絵は、いつどこで見てもいま自分が生きている一瞬へと開かれていて、同時代的という必要もないほど生々しいのです。フェルメールを見に行くときは、いつも胸がドキドキします、まるで恋人と会うときのように。
● 私(増澤)、イアホーンで解説を聞きながらの鑑賞は久しぶりだが、絵によってはそのイメージに合わせて芸大の学生さんが作曲した音楽を聴けるのが良かった。
フェルメールにながれているもの 『 光が色をつくり 色は光にしなやかに応える 』 心からそう思えるひとときでした。
ヨハネス・フェルメール(1632〜1675)、オランダのハーグ近くのデルフトという小都市に生れました。彼が、生涯で残した作品はわずか三十数点。そのうちの七点が去年(2008年)日本との修好150周年を記念して展示されました。
光を紡ぐ独特の技法の美しさから、光の天才画家と呼ばれている。
○ マルタとマリアの家のキリスト: 彼の作品の大半を占める日常生活の一幕を描いた風俗画とは趣を異にし、新約聖書を典拠とする宗教主題を、等身大のサイズで大胆な筆遣いで描いている。
○ ディアナとニンフたち: フェルメールによる唯一の神話画である。ディアナは夜と月の女神であるだけではなく、貞節の女神である。だから、この場面の焦点が儀式的な浄化の行為であるのは理にかなっている。
○ 小路: 現存する2点の風景画のうちの1点で、熟達した風俗画家のみならず、都市景観画の独創的な先駆者の一人であった。
○ ワイングラスを持つ娘: 風俗画の傑作である。顔に笑みを浮かべ、赤いサテン地のドレスに身を包んだ娘は、ニヤニヤしながら彼女の近くに身をかがめ、あからさまにしつこく交際を迫る男からワインを勧められている。
○ リュートを調弦する女: 円熟期の作品である。楽譜集と思われる本がテーブルいっぱいに広げられている。床の上にこぼれおちた本もあるが、打ち捨てられたままだ。この小さいがゆえに見捨てられがちな細部が場面を活気づける。
○ ヴァージナルの前に座る若い女: 近年フェルメール作と認定され大きな話題となった
○ 手紙を書く婦人と召使: 左側の壁に設置された背の高い窓、その窓からの光にてらされた部屋、その一隅に、黄金色のドレスに身を包み、白い頭巾をかぶり、白い袖を出し、真珠のイヤリングを付け、東洋の絨毯の掛かったテーブルに向かって座り、手紙を書く女。後ろには、物静かで、円柱のような姿の彼女は、腕組みをして、窓の外をじっと見詰めながら、待っている。ここでも床に落ちた紙くずが何をか語らん。
◎ 詩人の谷川俊太郎さんはフェルメールと私と題して 「 いつも胸ドキドキ 」 と述べています:
フェルメールの絵にあってハイビジョン画面にないものはなんだろうと考えます。また、村上隆の作品にあってフェルメールの絵にないものはなんだろうと考えます。ボッシュもレンブラントもピカソも、そんなことを考えさせたりしません。それはなぜだろう。
答えはおいそれとはみつからないのですが、少なくとも私にとってフェルメールの絵は、いつどこで見てもいま自分が生きている一瞬へと開かれていて、同時代的という必要もないほど生々しいのです。フェルメールを見に行くときは、いつも胸がドキドキします、まるで恋人と会うときのように。
● 私(増澤)、イアホーンで解説を聞きながらの鑑賞は久しぶりだが、絵によってはそのイメージに合わせて芸大の学生さんが作曲した音楽を聴けるのが良かった。
フェルメールにながれているもの 『 光が色をつくり 色は光にしなやかに応える 』 心からそう思えるひとときでした。
Posted by masuzawa05 at 12:48│Comments(0)