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増澤信一郎の心模様

2009年08月03日

写真家の感性に学ぶ・その1(カリブーの旅)

 ● 12年前に買った 『 星野道夫の仕事 』 いう写真集が有る。 歳をとって、少し心が清んできたので、写真の素晴らしさはもとより、文章を通して厳しく優しい彼の生き方が垣間見えるようになった。


◎ 焚き火は一人でいるときの最良の友達だ。
1



     




○ 風が唸り声を上げている。
強風が雪を拾い、地吹雪になって目が開けられない。
山頂から稜線に沿って何かがうごめいている。何だろう。
目をこらすとそれは一列になり、まるで鎖のように山の麓まで延びていた。
僕はあわててカメラをザックに詰め込み、
吹き飛ばされそうなテントのことも忘れて飛び出した。

2








○ 夜の十二時をまわっているのに
オレンジ色の太陽が真正面に輝いている。
白夜の北極圏、太陽はもう沈まない。
一瞬、風の切れ目が
オレンジ色のベールをぬぐい去り、
黙々と行進するカリブーのシルエットが
逆行に浮かびあがった。
ぼくは飛ばされそうな三脚に体を乗せ、
レンズにしがみつくようにしてシャッターを切った。
寒さも何も忘れていた。


○ 「 風とカリブーの行方は誰も知らない 」                   
という極北のインディアンの古い言葉があった。
大地を埋めつくすようなカリブーの大群が旅をしているのに、
二十一世紀を迎えようとする今も、それを見る者はほとんどいない。         
ある日、幸運な男が、原野でその伝説の大群に出会ったとしても、
次の日には、見渡すかぎりのツンドラに一頭のカリブーさえ見当たらないだろう。


○ 母親は新しい生命を必死になめまわしていましたが、
やがて立ち上がって授乳の体制に入ると、
仔カリブーはぐにゃぐにゃとよろけながらも
母親の乳首に食らいついていきました。
体力を使い果たした母親は、ツンドラの上に落とした自らの胎盤を食べています。
地平線をすべっていた夕陽がそのまま朝陽になって昇り始める頃には、
仔カリブーはおぼつかない足取りで母親の後をついて歩き始め、
いつのまにか視界から消えてゆきました。

3
     





○ ある夏の日の午後、ツンドラの彼方から数頭のカリブーが点のように現れると、
やがて数十頭、数百頭、数千頭と地平線をみるみるうちに埋めつくし、
真っ直ぐこちらへ向かってくる。
いつのまにかあたりは数十万頭のカリブーの海で、ぼくはそのまっただなかにいた。
地球のアルバムがあるならば、その遠い一ページに迷い込んだようだった。


○ 地平線から一頭の黒いオオカミが姿を現し
残雪の中を真っすぐこちらに向かっていた。
春の訪れとともにやってくるカリブーの群れを探しているのだろうか。
僕が気付くのとオオカミが気付くのがほとんど同時だった。
まだ点のような距離なのに、
オオカミは立ち止まり、ひるがえる様に消えていった
一頭のオオカミと共有した閃光のような一瞬は、
叫びだしたいような体験だった。
オオカミが今なお生き続けてゆくための、
その背後あるに見えない広がりを思った。

4







○ 低く唸るようなカリブーの鳴き声が聞こえてきた。
カチカチカチカチと奇妙な足音も近づいてきた。
それはカリブーの足首の腱の鳴る音だった。
私たちは河原に伏せながら、そのかすかな音に耳をすませていた。
不思議な足音はどんどんと迫り、
カリブーは一列となって私たちのすぐ隣を通りすぎていった。
自然の気配を何ひとつ乱さなかった快感があった。
私たちの姿だけが消え、
人間のいない世界に流れる秘かな自然のリズムを垣間見たような気がしていた。


○ おれは 夢を見ていた
カリブーの古い足あとや 頭骨のある
ヌプスィック谷の あったかい 夏の草むらで
おれは いつのまにか 眠っちまったらしい
気がつくと
あたりは 見わたすかぎりのカリブーで
おれのまわりを 音もたてずに とうりすぎてゆくじゃないか
あの秋の日 おれが殺した
美しい片角のカリブーがいる
村一番の狩人だった 死んだ
パニアックじいさんが
カリブーと一緒に 旅をしている
おれは 夢を見ていた
ヌプスィックの谷の あったかい 夏の草むらで

5








○ 北極海に注ぐコルビル川流域でシロフクロウの巣を見つけた。
長い間会いたかった相手はツンドラの、
何でもない三十センチほどの小川のわきに四つの卵を産んでいた。
突然、背中に強い衝撃があった
目の前を白い大きな翼が舞いあがり、再びこちらに向かってくる。
シロフクロウが巣を守ろうとしていた。
僕はあわててその場を去った。
背中をさわると、手が血で染まった。

6








○ 一頭のカリブーを解体してゆくこの男の技はすばらしかった。
そこに残酷さなど入り込む余地はなく、
自分が殺した生き物をいとおしむかのようにナイフを入れてゆく、
一人の猟師を僕は見つめていた。
マイナス五〇度まで下がる冬の狩では、
凍えた手をカリブーの血の中に入れて暖めるという。
腹がきれいに裂かれた瞬間、カリブーが最後の呼吸をしたかのように、
吹き出すような湯気が晩秋の大気に立ち昇った。

7
     







○ ある日ツンドラの彼方から現れ、
風のようにツンドラの彼方へ消えてゆくカリブー
通りすぎてゆくその足音は、
アラスカの原野が内包する生命という潮の流れのようだった。

8






○ 私たちはある風景に魅かれ、特別な想いをもち、時にはその一生すら賭けてしまう。
風景とは、ひとつの山であったり、美しい川の流れであったり、
その土地を吹き抜けてゆく風の感触かもしれない。
それをもし自然と呼ぶならば、
人間がどれだけ想いを寄せようと、相手はただ無表情にそこに存在するだけである。
私たちの前で季節が巡り、時が過ぎてゆくだけである。

9








 ● 星野さんは43歳の時、ロシア・カムチャッカ半島クリル湖畔で就寝中のテントをヒグマに襲われて果てた。残念至極でこの写真集を買ったのだが・・・・・。
        
文章から映像が浮かび上がるように思えたのですが、如何でしょうか。        
自然と同化するような透徹した眼と温かい心で、地球の姿を切り取ってゆく彼の生き方がひしひしと伝わってくる。

( 宜しければ是非写真集をお買い上げいただきたい。 )



Posted by masuzawa05 at 09:59│Comments(0)
 
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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