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増澤信一郎の心模様

2008年08月17日

考えるヒント・その1(格差社会・働き方・教育・老い)

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塩野さんはこう述べています

●格差社会について;

 「 本当に日本は、今初めて格差社会になったのだろうか 」

でも、私は、こう考えてしまう。
「 日本は昔から格差社会だったのではないか 」

古今東西の別なく、人間社会があるところすべてに格差は存在したのです。格差のない社会という発想は、幻想にすぎない。戦後の日本をみても、大企業のサラリーマンと中小企業の労働者との間では所得格差があったし、組織に属す人と私のようなフリーランスの間には、社会的な格差があったのです。それなのにこの「 格差 」は戦後60年近くも問題にされてこなかった。なぜ?

 日本社会特有の 『 緩和剤 』 ともいうべきものが この格差を覆ってきたからではないかと思う。

 たとえば、西欧社会では権威と権力は同一人物に集中していることが多いいけれど、日本ではそうではない伝統が支配的でした。権威を担うのは天皇を筆頭とする皇室であり、権力を担うのは時の幕府であったり、内閣総理大臣なのだから。
 また西欧では大学教授と小学校教諭では、大学教授のほうが圧倒的に地位が高いのですが、日本では共に「 先生 」と呼ばれ、たとえ大臣でも息子の教師には、「 先生 」と呼んで敬意を払います。
 
これは欧米社会では感じることのない、日本特有の文化的「 緩和剤 」ではないでしょうか。

 もし現在の日本人が格差を実感し始めたのならば、この緩和剤が失われたことが最大の原因ではないか。その結果、いままではオブラートに包まれていて輪郭がはっきりとは見えなかったものが、明確に見えてしまうようになったのです。

 ローマ社会はピラミッド型の階級社会でしたが、ただ「ローマ市民」と「非ローマ市民」
の間も固定化していず、社会全体に流動性が機能していて、努力と能力次第でチャンスをつかむことが出来たのです。ローマに征服された属州出身者にも、「ローマ市民」への道は開かれていたのだから。
 
 この種の「 敗者復活システム 」が機能している社会こそ、健全な社会だと思う。

 今の日本が格差社会に脅えているのは、格差に脅えているのではなくて、格差が固定化するのではないかという不安によるのではないでしょうか。


●働き方について;

 いつの世も、失業問題は国家を揺るがせかねない大問題でした。

 『 ローマ人の物語 』を書いていて「 失業とは何を意味するのか 」を考えあぐねていたとき、英国人作家のケン・フォレットがテレビで発言しているのを偶然耳にしたんですね、彼はこういったんです。
 「 失業とは、生活の手段を奪われるだけではない。その対策ならば、福祉政策でカバーできる。最大の問題は、仕事を失うことによって、人間が自分に自信を築くチャンスまで奪われてしまうことだ 」。
 数字を操るだけの経済学者では見落としがちな、人間の本質をついた一言でした。

沈滞している労働力を、流動化するように雇用の形態を中身・給料・時間の面からバランスをとることではないでしょうか。


●教育について;

 フリーター、ニート 日本の若者には覇気、元気がない と言われています。中でも若い世代にその傾向が顕著だとすれば、その原因は「 子どもの自主性、個性を尊重する教育 」という時代の風潮にあったのではないでしょうか。

 個性尊重は結構なことですが、ただしそれも、理(ことわり)を理解できる年頃になってからの話です。それまでは問答無用の躾が必要です。私も息子を育てていた時期は、平手打ちをくわせたこともしばしばでした。子どもには理を踏んでの説明は必要ではない。善し悪しの判断を、理屈ではなく丸ごと身につける時期が、子どもには絶対必要です。

 学校教育が独立してあるわけではなく、根っこには家庭教育があるのです。それは二千年前から変わりませんよ。「 ローマ女の鑑 」と謳われたグラックス兄弟の母コルネリアは「 子は母の胎内で育つだけではなく、母親のとりしきる食卓の会話でも育つ 」と言っています。

 団塊の世代、彼らが教育を間違えたからではないか。

 では、この若者たちはどうすればいいのか。
「 20代までは何だってやれる。だから 迷え 」と私なら、こうアドバイスします。
 迷うことが出来るのは、若さの特権です。ただし迷うにしても、何でも経験しながら迷うことです。まだ若いのだからチャンスはいくらでもある。


●老い について;

 老いるとは、端的に言えば、自分が自信を持って出来ること選んでいき、それ以外のことは潔く捨てていく過程なのです。

 というわけで、私だったら、「 老い 」を扱った記事や書物などは読みませんね。わかりきった事象をまじめな風を装って論じているものを読む暇からしてもったいないから。

 他の人の老いまで考える精神的余裕があるくらいなら、六十歳までの人生で培った自分の個性に磨きをかける時間を送るべきです。それがボランティアでもいいし、趣味でもいい。仕事でもかまわない。

 老いなんて考えずに、それまで生きてきた自分に自信をもって、やりたいことをやればいい。
             以上 塩野七生 文藝春秋記事より抜粋


ここで私(増澤)の意見:

◎ 格差社会: 野党、マスコミ、教育関係者の中に、ことばじりを捉え、それをいたずらに強調するきらいがあると思うのですが。いかがでしょうか。

◎ 働き方: 30年前北欧を旅したとき、失業者のためにフルタイム働かずに、タイムシェアリングして仕事の機会を分かち合うという話を現地で聞いたことがあります。昼日中、繁華街で酒を飲みながら、グタグタ遊んでいる若者たちを見て、高福祉社会の負の一端を見た思いがしました。

◎ 教育: 日教組のやり方に大きな問題があった。それを黙認してきた国民にもっと大きな責任がある。

◎ 老い: 自分自身に自信がないので、書物ばかりあさります。我を通さず、得手を伸ばして、不得手を忘れることも必要かもしれませんね。



  この文章を読んでなにやら 深く考え始めました。

             


Posted by masuzawa05 at 17:18│Comments(0)
 
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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