2008年02月04日
心に残る建築家の言葉・その14
日本建築について: アントニン・レーモンド
われわれ外国人の、自然に対するいつくしみは、日本人にくらべれば実に表面的である。日本人にとって、自然は生命の秘密を握る鍵でもある。すなはち、多年にわたって人間を守ってきた自然を裏切るべきではなく、常に間違いの無い指導者として頼りにしてきた。
また、野暮という言葉も、日本建築にはあてはめられない。偶然もなければ、18世紀の様式の模倣もなく、自然の中に自己を没しようとする ‘願い’ があるばかりである。
装飾的という言葉を日本の芸術に与えるのもあやまりである。日本の芸術は、ただ全体の調和のとれた形を目指しているのである。たとえば額のようにどこにでも懸けられるものですら、その位置は常に、空間の調和を念頭に決定される。
西洋人のいう装飾とは反対に、日本にあるのは、必要の生み出した‘美’である。矩形の入り混る変化、障子の桟の陰影、たたみのへりの直角な交叉、庭に向かってひらかれた、さまざまな出入り口。その幾何学的形態と自然との結びつきが、日本人の心をとらえ、また日本を象徴している。
日本人は永遠の本質を解し、物にいつまでも拘泥しない。 あるがまま、なるがまま。
また、日本の気象の烈しさは格別である。強い風、ひどい雨、寒さ、焼け付く太陽、地震、台風、それらは物の脆さを人に教える。それはまた、人間の精神の不変の偉大さをも悟らせ、天に感謝させる。
単純性ということが、美化、そしてさらに省略を意味するような文化は、おそらく日本以外に未だかつてなかったのではないだろうか。単純化が一層強められて、不要なものを省略するとき、趣味を解する人はそこに ‘優雅’ を見出す。ディテールに拘束されない所では、この精神がもっとはっきり表現される。奥ゆかしさである。
人は、何かを表現しようとする際、床の間の一幅の掛け軸、一輪の花など、二本より一本にと単純化されたものほど好ましいとする。さまざまな要素が完全に調和する微妙な瞬間、何ものかが語り始める。 その時、人はこの上ない幸福感を味わうのである。
実際の仕事に即して私(増澤)なりに考えてみると、シンプルさを基本にするとならば、付加すればするほど、美しさから遠のいてしまう。それゆえに、さまざまな機能を盛り込んだ現代の住宅を設計するのには、 省略と付加のバランス が大切だと常日頃思っていたら、
そのあたりを彼は
「西洋との接触がもたらした、さまざまな変化によって、日本の建築家が家を作るとき、その住み手の 純日本的生活と西洋的生活 の二重生活を、包括しなければならなくなってきている」 と述べています。
そして、『デザインにおける永遠の価値』 について以下の四項目を挙げている。
● 理念;
たとえば、いかなるデザインの背後にも、理念の重要性がある。精神的理念、それは宇宙への覗き窓でもある。
● 正直;
どんな形であっても、不正直さは、ぞっとする、いやなものである。
● 単純;
デザインにあって、表現の方法が単純化するほど、真の理念に、近づき、表現が強くなり、力に溢れ、さらに真実に近づき、美となる。
● 率直;
率直さは、まわりくどさに比較され、わけても、こじつけに比較される。複雑で、まわりくどく、気力のない、こじつけの方法に対抗するのが、 率直さ である。
私の近辺で好きな建物があります。40年程前に出来た伊豆の修善寺に在るサイクルスポーツセンターです。
特に鉄骨造の 大観覧席 が圧巻です。鉄骨折版葺きの構造むき出しの大空間は、周囲の山並みに溶け込んで美しい。
これは皆さんお馴染みの軽井沢の 聖パウロ・カトリック教会です。
彼が 日本を好きだったことを、嬉しく思います。
われわれ外国人の、自然に対するいつくしみは、日本人にくらべれば実に表面的である。日本人にとって、自然は生命の秘密を握る鍵でもある。すなはち、多年にわたって人間を守ってきた自然を裏切るべきではなく、常に間違いの無い指導者として頼りにしてきた。
また、野暮という言葉も、日本建築にはあてはめられない。偶然もなければ、18世紀の様式の模倣もなく、自然の中に自己を没しようとする ‘願い’ があるばかりである。
装飾的という言葉を日本の芸術に与えるのもあやまりである。日本の芸術は、ただ全体の調和のとれた形を目指しているのである。たとえば額のようにどこにでも懸けられるものですら、その位置は常に、空間の調和を念頭に決定される。
西洋人のいう装飾とは反対に、日本にあるのは、必要の生み出した‘美’である。矩形の入り混る変化、障子の桟の陰影、たたみのへりの直角な交叉、庭に向かってひらかれた、さまざまな出入り口。その幾何学的形態と自然との結びつきが、日本人の心をとらえ、また日本を象徴している。
日本人は永遠の本質を解し、物にいつまでも拘泥しない。 あるがまま、なるがまま。
また、日本の気象の烈しさは格別である。強い風、ひどい雨、寒さ、焼け付く太陽、地震、台風、それらは物の脆さを人に教える。それはまた、人間の精神の不変の偉大さをも悟らせ、天に感謝させる。
単純性ということが、美化、そしてさらに省略を意味するような文化は、おそらく日本以外に未だかつてなかったのではないだろうか。単純化が一層強められて、不要なものを省略するとき、趣味を解する人はそこに ‘優雅’ を見出す。ディテールに拘束されない所では、この精神がもっとはっきり表現される。奥ゆかしさである。
人は、何かを表現しようとする際、床の間の一幅の掛け軸、一輪の花など、二本より一本にと単純化されたものほど好ましいとする。さまざまな要素が完全に調和する微妙な瞬間、何ものかが語り始める。 その時、人はこの上ない幸福感を味わうのである。
実際の仕事に即して私(増澤)なりに考えてみると、シンプルさを基本にするとならば、付加すればするほど、美しさから遠のいてしまう。それゆえに、さまざまな機能を盛り込んだ現代の住宅を設計するのには、 省略と付加のバランス が大切だと常日頃思っていたら、
そのあたりを彼は
「西洋との接触がもたらした、さまざまな変化によって、日本の建築家が家を作るとき、その住み手の 純日本的生活と西洋的生活 の二重生活を、包括しなければならなくなってきている」 と述べています。
そして、『デザインにおける永遠の価値』 について以下の四項目を挙げている。
● 理念;
たとえば、いかなるデザインの背後にも、理念の重要性がある。精神的理念、それは宇宙への覗き窓でもある。
● 正直;
どんな形であっても、不正直さは、ぞっとする、いやなものである。
● 単純;
デザインにあって、表現の方法が単純化するほど、真の理念に、近づき、表現が強くなり、力に溢れ、さらに真実に近づき、美となる。
● 率直;
率直さは、まわりくどさに比較され、わけても、こじつけに比較される。複雑で、まわりくどく、気力のない、こじつけの方法に対抗するのが、 率直さ である。
私の近辺で好きな建物があります。40年程前に出来た伊豆の修善寺に在るサイクルスポーツセンターです。
特に鉄骨造の 大観覧席 が圧巻です。鉄骨折版葺きの構造むき出しの大空間は、周囲の山並みに溶け込んで美しい。
これは皆さんお馴染みの軽井沢の 聖パウロ・カトリック教会です。
彼が 日本を好きだったことを、嬉しく思います。
Posted by masuzawa05 at 10:30│Comments(0)