2017年06月27日
石井建築事務所創立60周年 パーティー
横浜のクルーズ船上にて、身内(近しい関係者のみ)にてパーティーを行いました。30周年の時はお施主様中心に開きましたが、今回は時節柄質素なものといたしました。
これからも旅館設計のプロとして、次の100年を目ざします。宜しくお引き立てをお願いいたします。
以下、集合写真と、鏡開きです。
● 冒頭、会長 ( 増澤 ) としての挨拶の中で、聖心女子大学の卒業生でノートルダム清心学園理事長の シスター渡辺和子さん の著作 「 目に見えないけれど大切なもの 」の一節をお話いたしました。海上でもあり、ざわついていましたので再度述べさせていただきます。( ちなみに、渡辺さんは石井建築事務所創業者 石井信吉と同時代昭和2年生まれでしたが、2016年12月30日89歳にて逝去 )
「 修道者であっても、この世に生きている限り、
煩わしいことに無縁であろうはずはなく、
生身の人間である限り、傷つかないで生きていられるものではない。
言うも恥ずかしいような些細なことで心が波立つことがある。
・・・傷つきたいなどと夢にも思わない。でも私は、
傷つきやすい自分を大切にして生きている 」
私(増澤)は、創造性の発露は繊細にかつ大胆に!生き方は謙虚でありたい・・・そんなことを申し上げたかったのです。
会社も還暦を迎えました。全て順風満帆とはいきませんでしたが、ここまで恙なくやってこられたことに感謝です。
歴代・会社役員履歴
◎ 創業者 石井(いしい)信(のぶ)吉(よし)(2007年・平成19年80歳にて逝去)
略歴 1927年(昭和2年)12月8日 熱海市上多賀に生まれる。
旧制韮山中学から早稲田大学専門部工科建築科卒業(昭和23年)
久米設計入社。病(結核)にて退社帰郷、手術にて快癒。
1957年(昭和32年)熱海にて建築設計事務所を開設。
一級建築士第25070号(昭和32年2月28日登録)
モットー;我々は他人(ひと)様(さま)の財産を創っているのだから、心して仕事にあたること。
構造に偽りのない、機能的で美しい空間を目指してほしい。
空間のプロポーションを大切にする。
私事(増澤)ですが、仙台秋保温泉の茶寮宗園を手懸けた時のこと、竣工検査に来られ、障子の組子が 「 “ 美しくない ” 」 と言われたことが深く印象に残っています。
やる気さえあれば経験・年齢を問わず、どんどん仕事をやらせるタイプで、 いわば 「 語って説かず 」 の人であった。
生き方; 飄々としていて、ケセラセラ・・・だけど意外と神経質な人でした。
好きな女性のタイプ; 藤色の香りのする女性。
嫌いなもの; 漬物、特に沢庵の臭いが大嫌い。
〇 第二代社長 増澤(ますざわ)信一郎(しんいちろう)
略歴 1947年(昭和22年)10月11日 伊東市宇佐美に生まれる。
県立韮山高校から芝浦工業大学建築工学科卒業 1970年(昭和45年)
1970年(昭和45年)、卒業してすぐ熱海の石井建築事務所に勤務
一級建築士第80723号(昭和48年2月20日登録)
代表取締役就任(平成8年、1996年・49歳)、退任(平成26年、2014年・67歳)、現在(当年70歳)に至る。
モットー; 思い入れ深く、心を形に表す。
気配をデザインする。
旅館の設計手法は、その宿に滞在するオリジナルなストーリーを描き、空間をデザインする。
好きなこと; 抜けるような青空の下、光る海を眺めながら畑仕事にいそしむ。
嫌いなこと; 品位の無いことや、物、人。
現在の役員。
〇 第三代社長 鈴木(すずき)俊之(としゆき) 平成26年代表取締役就任
昭和36年8月6日生まれ。日大理工学部建築学科
一級建築士第208837号 三島市在住
専務取締役 大川(おおかわ)孝(たか)信(のぶ) 昭和30年6月25日生まれ。武蔵工大工学部建築学科
一級建築士第179795号 熱海市在住
常務取締役 佐藤(さとう)隆(たかし) 昭和36年7月28日生まれ。武蔵工大工学部建築学科
一級建築士第225177号 三島市在住
● 以下は30周年の時の写真です。
高輪のプリンスホテル・プリンスホールにて、バイオリニストの佐藤陽子さんの演奏で極上のカクテルに酔い、村野藤吾設計お茶室(恵(え)庵(あん))にて社員による点茶で茶懐石をいただきました。
接待は社員とその奥さんでいたしました。
ホテル
会場
当時の熱海・東京の役員
佐藤さんの演奏
野立て
会食
呈茶
慰労スナップ
集合写真
( 以上、2017年5月、文責・増澤信一郎。 )
Posted by masuzawa05 at
05:00
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