2016年06月27日
オリジナリティーについて
「 次の一手 」 という石井建築事務所内啓発トークについてですが、
先日、作家・村上春樹さんの自伝的エッセイ 「 職業としての小説家 」 を読んでいて、 「オリジナリティー」という一章に感じ入った。これは我々設計士における 「 建築作品の創造性 」 にも関わる事だと思えた。
以下はその抜粋である(脳神経外科医のオリヴァー・サックスは、「火星の人類学者」という著書の中で以下のように定義している)。
オリヴァー・サックス;
◎創造性にはきわめて個人的なものという特徴があり、強固なアイデンティティ、個人的スタイルがあって、それが才能に反映され、融けあって、個人的な身体とかたちになる。
この意味で、創造性とは創りだすこと、既存のものの見方を打ち破り、想像の領域で自由に羽ばたき、心のなかで完全な世界を何度も創りかえ、しかもそれをつねに批判的な内なる目で監視することをさす。
○それを受けて、村上氏は特定の表現者を「 オリジナルである 」と呼ぶためには、基本的に次のような条件が満たされていなくてはならないと解説している。
一、他の表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解できなくてはならない。
一、そのスタイルを自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新力を有している。
一、その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。
もちろんすべての項目をしっかり満たされなくてはならない、ということではありませんが、「多かれ少なかれ」という範囲でこの三項目を満たすことが、「オリジナルである」ことの基本的な条件になるかもしれません。
○つづいてこう言っています:
あるとき独自のスタイルを持った表現者がぽっと出てきて、世間の耳目を強く引いたとしても、もし彼なり彼女なりがあっという間にどこかに消えてしまったとしたら、あるいは飽きられてしまったとしたら、彼なり彼女なりが 「 オリジナルであった 」 と断定することはかなりむずかしくなります。多くの場合ただの 「 一発屋 」 で終わってしまいます。・・・・・
このあいだ「ニューヨーク・タイムズ」を読んでいたら、デビュー当時のビートルズについてこのように書いてありました。
They produced a sound that was fresh, energetic and unmistakably their own.
( 彼らの創り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなく彼ら自身のものだった )
とてもシンプルな表現だけど、これがオリジナリティーの定義としていちばんわかりやすいかもしれませんね。 「 新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものであること 」
複雑な大きな経験でなくともいい、どんな小さな経験からだって人は、やりようによってはびっくりするほどの力を引き出すことができます。
○時間は、作品を作り出していく上で非常に大切な要素です。とくに長編小説においては、 「 仕込み 」 が何よりも大事になります。自分の中で来るべき小説の芽を育て、膨らませていく 「 沈黙の期間 」 です。 「 小説を書きたい 」という気持ちを自分の中に作り上げていきます。
そのような仕込みにかける時間、それを具体的なかたちに立ち上げていく期間、立ち上がったものを冷暗所でじっくり 「 養生する 」 期間、それを外に出して自然の光に晒し、固まってきたものを細かく検証し、とん(・・)かち(・・)していく時間・・・・・ そのようなプロセスのひとつひとつに十分な時間をかけることができたかどうか、それは作家だけが実感できるものごとです。そしてそのような作業ひとつひとつにかけられた時間のクォリティーは必ず作品の「 納得性 」となって現れてきます。目には見えないないかもしれないけれど、そこには歴然とした違いが生まれます。
●私(増澤)、思いますに、建築のデザインはかなりもう出尽くされていると思いますが、建築以外のモノや、伊東豊雄さんのようにフワッとしたたとえば ‘ 雲 ’ のイメージから発想の種を摘みとる事なども必要かもしれませんね。
しかしながら手近かなところでは、
その道の先人や、このような異分野の人からの啓示に耳を傾け、脳をフットワーク良く働かせること。 『 小さな工夫を重ね続けること、そして、真似てもいいから、真似た元の作品を超えていくこと 』。 具体的なステップとしては、そのことが大切だと思っています。
●今こだわっている低層木造個性派旅館として;
外気に触れられる、オリジナルなスペースの創造。
内と外(環境・景観)のつながり。
地に足をつけない浮いた場所、自然との関わり・・・空を取り込む屋上家、独り占めできる物見台風の場所。
●ヒントはいたるところに有る。気付いて、オーナーをいかに説得し続けるかだ!
そしてこの言葉で言い尽くせる。
「 もの言わぬ
ものがもの言う
ものづくり。 」 ・・・・・ものに人格を見出します。
するとそこに品格が生まれます、 そう思いませんか。
先日、作家・村上春樹さんの自伝的エッセイ 「 職業としての小説家 」 を読んでいて、 「オリジナリティー」という一章に感じ入った。これは我々設計士における 「 建築作品の創造性 」 にも関わる事だと思えた。
以下はその抜粋である(脳神経外科医のオリヴァー・サックスは、「火星の人類学者」という著書の中で以下のように定義している)。
オリヴァー・サックス;
◎創造性にはきわめて個人的なものという特徴があり、強固なアイデンティティ、個人的スタイルがあって、それが才能に反映され、融けあって、個人的な身体とかたちになる。
この意味で、創造性とは創りだすこと、既存のものの見方を打ち破り、想像の領域で自由に羽ばたき、心のなかで完全な世界を何度も創りかえ、しかもそれをつねに批判的な内なる目で監視することをさす。
○それを受けて、村上氏は特定の表現者を「 オリジナルである 」と呼ぶためには、基本的に次のような条件が満たされていなくてはならないと解説している。
一、他の表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解できなくてはならない。
一、そのスタイルを自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新力を有している。
一、その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。
もちろんすべての項目をしっかり満たされなくてはならない、ということではありませんが、「多かれ少なかれ」という範囲でこの三項目を満たすことが、「オリジナルである」ことの基本的な条件になるかもしれません。
○つづいてこう言っています:
あるとき独自のスタイルを持った表現者がぽっと出てきて、世間の耳目を強く引いたとしても、もし彼なり彼女なりがあっという間にどこかに消えてしまったとしたら、あるいは飽きられてしまったとしたら、彼なり彼女なりが 「 オリジナルであった 」 と断定することはかなりむずかしくなります。多くの場合ただの 「 一発屋 」 で終わってしまいます。・・・・・
このあいだ「ニューヨーク・タイムズ」を読んでいたら、デビュー当時のビートルズについてこのように書いてありました。
They produced a sound that was fresh, energetic and unmistakably their own.
( 彼らの創り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなく彼ら自身のものだった )
とてもシンプルな表現だけど、これがオリジナリティーの定義としていちばんわかりやすいかもしれませんね。 「 新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものであること 」
複雑な大きな経験でなくともいい、どんな小さな経験からだって人は、やりようによってはびっくりするほどの力を引き出すことができます。
○時間は、作品を作り出していく上で非常に大切な要素です。とくに長編小説においては、 「 仕込み 」 が何よりも大事になります。自分の中で来るべき小説の芽を育て、膨らませていく 「 沈黙の期間 」 です。 「 小説を書きたい 」という気持ちを自分の中に作り上げていきます。
そのような仕込みにかける時間、それを具体的なかたちに立ち上げていく期間、立ち上がったものを冷暗所でじっくり 「 養生する 」 期間、それを外に出して自然の光に晒し、固まってきたものを細かく検証し、とん(・・)かち(・・)していく時間・・・・・ そのようなプロセスのひとつひとつに十分な時間をかけることができたかどうか、それは作家だけが実感できるものごとです。そしてそのような作業ひとつひとつにかけられた時間のクォリティーは必ず作品の「 納得性 」となって現れてきます。目には見えないないかもしれないけれど、そこには歴然とした違いが生まれます。
●私(増澤)、思いますに、建築のデザインはかなりもう出尽くされていると思いますが、建築以外のモノや、伊東豊雄さんのようにフワッとしたたとえば ‘ 雲 ’ のイメージから発想の種を摘みとる事なども必要かもしれませんね。
しかしながら手近かなところでは、
その道の先人や、このような異分野の人からの啓示に耳を傾け、脳をフットワーク良く働かせること。 『 小さな工夫を重ね続けること、そして、真似てもいいから、真似た元の作品を超えていくこと 』。 具体的なステップとしては、そのことが大切だと思っています。
●今こだわっている低層木造個性派旅館として;
外気に触れられる、オリジナルなスペースの創造。
内と外(環境・景観)のつながり。
地に足をつけない浮いた場所、自然との関わり・・・空を取り込む屋上家、独り占めできる物見台風の場所。
●ヒントはいたるところに有る。気付いて、オーナーをいかに説得し続けるかだ!
そしてこの言葉で言い尽くせる。
「 もの言わぬ
ものがもの言う
ものづくり。 」 ・・・・・ものに人格を見出します。
するとそこに品格が生まれます、 そう思いませんか。
Posted by masuzawa05 at
06:00
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