2015年09月28日
欧州文化首都と造形作家・新宮晋(すすむ)
私、前から自然エネルギーで動く造形物を作る、この男のことが気になっていて、そんな折たまたま日経の 文化 欄に彼の記事が出ていた。
「 未来を開く 」 と題して掲載されていたコラムだが、すぐさま本を買って作品にふれ、感動を新たにした。
◎2019年の欧州文化首都の一つにイタリアのマテーラという町が選ばれた。
欧州文化首都とは日本ではあまり知られていないが、1985年に始まった制度で、現在では毎年ヨーロッパの国々の中から2カ国のそれぞれ1都市が選ばれ、巨額の資金が投入される。その資金を町の文化の発展に生かして、5年後に成果を発表するという仕組みだ。
南イタリアの小さな町マテーラは、新石器時代から岩山の洞窟で暮らす人たちがいたこと、貧しく不衛生な生活をイタリアの恥として、第二次世界大戦後に政府が洞窟から住民を移住させたことだった。この封鎖によって手つかずに保存された洞窟住居群は、1993年にユネスコの世界文化遺産に指定されている。
私がマテーラの知ったのは、7年前ミラノで旧友アルベルトに再会したときからだ。そのころ私は、自然エネルギーで自立する村 「 ブリージング・アース ( 呼吸する大地 ) 」 という風車の多い村づくりの構想を持ち始めていて、たまたま持っていたスケッチやイメージ図を彼に見せると、「 なるほど。これを実現するのにピッタリの町を知っているよ。マテーラだ 」 熱心に見入っていた彼はそう言った。・・・・
何層にも重なった歴史と共に、人々は生きているのだ。初めて訪れたときから、すっかりこの町に見せられてしまった。 「 ブリージング・アース 」 の村づくりを実現させるため私のマテーラ通いが始まった。
私はこれまで半世紀近く、風や水、引力といった自然エネルギーだけで動く彫刻ばかり作り続けてきた。その多くは、公共の広場や公園に恒久的に設置されている。これらの彫刻たちは、微風から強風までの幅広い風に反応して動いたり、水の重量バランスを回転運動に変えたりする。私たちが日常気づかない、この地球特有の、豊かで変化に富んだ自然のリズムを、動きに翻訳して見せるアートワークだ。
長年自然と付き合っているうちに、このエネルギーを実用にも使えないかと考えるようになった。現在一般化されている巨大なプロペラ風車とは違う、騒音の少ない、親しみやすい風車はできないものか。発電できて、しかも一緒に暮らすことのできる独自の風車。その研究を私は始めた。この風車は、未来の村 「 ブリージング・アース 」 のシンボルとなるものだ・・・・・・・。
旧友アルベルトは今ではマテーラ市の文化顧問になっていて、彼が 「 ブリージング・アース 」 を提案に取り入れ、 「 未来を開く 」 というテーマを掲げたことが、欧州文化首都に選ばれた理由のひとつになったと聞いた。2019年まであと4年私のマテーラ通いは続く。
●素晴らしい!
私(増澤)思いますに、地域起こしのために日本の温泉地なんかでは、芸者大学だの、やれ芸者の手踊り云々などは “ 粋 ” の勘違いで、そんなくだらんこと(そういうものは副次的なもので、本道では無い)を考えるのではなく、こういう本当の意味での、世界に発信できる格調高い粋な取り組みが出来ないものだろうかと思った。
例えば
福島県の双葉町辺りに除染を完璧にしたうえで、 「 ブリージング・アース 」 を企画したい。そんな想いがしてきた。
又、津波により被災した原発を撤去したうえで、再度安全で完璧な原発を同じ場所に美しく設置し、内部も見学できるようにする。こそこそと隠蔽する必要はない。二つの違うタイプの未来を開く為のステージを呈示するような挑戦が必要ではないかと思っている。
原子力は人類が発明、発見した財産である
自然エネルギーは地球に与えられ備わった財産である
自然と人工、その二つを生かし、調和させる工夫が求められる
そこに “ 和 ” の本道が有る。今の日本でしかできない。
完璧なものなど元々人間社会では有り得ないのだから、完璧を期しつつも次善の策で対処すべきでしょう。
二つが同じ地域でそれも日本で体験できるとすれば、人類の知恵による未来が開け、福島が世界に発信できるのではないでしょうか。
◎美術評論家の中原さんは新宮晋さんの仕事をこう評している:
自然と人工の融合する場の創出というのが新宮のコンセプトであろう。風、水、光といった自然の力を環境のなかでより敏感に感じるように増幅する。それは動きをたのしみ、動きをよろこぶという全身的な反応を呼び起こす。それは 「 動く芸術 」 以上のなにものか、なのである。
○雑創の森
○波の翼
○風のフーガ
○雲の牧場
◎芸術心理学のルドルフ・アルンハイム(ハーバード大学名誉教授)さんは新宮晋の動く芸術としてこう評している:
動くことと動かされることの間にある、この視覚的な曖昧さの中にこそ、彼の芸術観は如実に現れているように思える。
このような生命を生み出す自然の力に対して、ほとんど宗教的な感謝の念を表していて、人間の活動を、強引な身勝手なものと決め付けたりしていない。創造的で美しくあるためには、人間は自然の支配的な力と適合し、調和を達成すべきだと、彼の作品は主張している。
●輝かしい未来に向けて;
美しい日本は、恵まれた自然環境があり、かつ技術立国である。技術と自然との融合を実践できるのは世界広しといえどもわが国しかないと思える。
「 未来を開く 」 と題して掲載されていたコラムだが、すぐさま本を買って作品にふれ、感動を新たにした。
◎2019年の欧州文化首都の一つにイタリアのマテーラという町が選ばれた。
欧州文化首都とは日本ではあまり知られていないが、1985年に始まった制度で、現在では毎年ヨーロッパの国々の中から2カ国のそれぞれ1都市が選ばれ、巨額の資金が投入される。その資金を町の文化の発展に生かして、5年後に成果を発表するという仕組みだ。
南イタリアの小さな町マテーラは、新石器時代から岩山の洞窟で暮らす人たちがいたこと、貧しく不衛生な生活をイタリアの恥として、第二次世界大戦後に政府が洞窟から住民を移住させたことだった。この封鎖によって手つかずに保存された洞窟住居群は、1993年にユネスコの世界文化遺産に指定されている。
私がマテーラの知ったのは、7年前ミラノで旧友アルベルトに再会したときからだ。そのころ私は、自然エネルギーで自立する村 「 ブリージング・アース ( 呼吸する大地 ) 」 という風車の多い村づくりの構想を持ち始めていて、たまたま持っていたスケッチやイメージ図を彼に見せると、「 なるほど。これを実現するのにピッタリの町を知っているよ。マテーラだ 」 熱心に見入っていた彼はそう言った。・・・・
何層にも重なった歴史と共に、人々は生きているのだ。初めて訪れたときから、すっかりこの町に見せられてしまった。 「 ブリージング・アース 」 の村づくりを実現させるため私のマテーラ通いが始まった。
私はこれまで半世紀近く、風や水、引力といった自然エネルギーだけで動く彫刻ばかり作り続けてきた。その多くは、公共の広場や公園に恒久的に設置されている。これらの彫刻たちは、微風から強風までの幅広い風に反応して動いたり、水の重量バランスを回転運動に変えたりする。私たちが日常気づかない、この地球特有の、豊かで変化に富んだ自然のリズムを、動きに翻訳して見せるアートワークだ。
長年自然と付き合っているうちに、このエネルギーを実用にも使えないかと考えるようになった。現在一般化されている巨大なプロペラ風車とは違う、騒音の少ない、親しみやすい風車はできないものか。発電できて、しかも一緒に暮らすことのできる独自の風車。その研究を私は始めた。この風車は、未来の村 「 ブリージング・アース 」 のシンボルとなるものだ・・・・・・・。
旧友アルベルトは今ではマテーラ市の文化顧問になっていて、彼が 「 ブリージング・アース 」 を提案に取り入れ、 「 未来を開く 」 というテーマを掲げたことが、欧州文化首都に選ばれた理由のひとつになったと聞いた。2019年まであと4年私のマテーラ通いは続く。
●素晴らしい!
私(増澤)思いますに、地域起こしのために日本の温泉地なんかでは、芸者大学だの、やれ芸者の手踊り云々などは “ 粋 ” の勘違いで、そんなくだらんこと(そういうものは副次的なもので、本道では無い)を考えるのではなく、こういう本当の意味での、世界に発信できる格調高い粋な取り組みが出来ないものだろうかと思った。
例えば
福島県の双葉町辺りに除染を完璧にしたうえで、 「 ブリージング・アース 」 を企画したい。そんな想いがしてきた。
又、津波により被災した原発を撤去したうえで、再度安全で完璧な原発を同じ場所に美しく設置し、内部も見学できるようにする。こそこそと隠蔽する必要はない。二つの違うタイプの未来を開く為のステージを呈示するような挑戦が必要ではないかと思っている。
原子力は人類が発明、発見した財産である
自然エネルギーは地球に与えられ備わった財産である
自然と人工、その二つを生かし、調和させる工夫が求められる
そこに “ 和 ” の本道が有る。今の日本でしかできない。
完璧なものなど元々人間社会では有り得ないのだから、完璧を期しつつも次善の策で対処すべきでしょう。
二つが同じ地域でそれも日本で体験できるとすれば、人類の知恵による未来が開け、福島が世界に発信できるのではないでしょうか。
◎美術評論家の中原さんは新宮晋さんの仕事をこう評している:
自然と人工の融合する場の創出というのが新宮のコンセプトであろう。風、水、光といった自然の力を環境のなかでより敏感に感じるように増幅する。それは動きをたのしみ、動きをよろこぶという全身的な反応を呼び起こす。それは 「 動く芸術 」 以上のなにものか、なのである。
○雑創の森
○波の翼
○風のフーガ
○雲の牧場
◎芸術心理学のルドルフ・アルンハイム(ハーバード大学名誉教授)さんは新宮晋の動く芸術としてこう評している:
動くことと動かされることの間にある、この視覚的な曖昧さの中にこそ、彼の芸術観は如実に現れているように思える。
このような生命を生み出す自然の力に対して、ほとんど宗教的な感謝の念を表していて、人間の活動を、強引な身勝手なものと決め付けたりしていない。創造的で美しくあるためには、人間は自然の支配的な力と適合し、調和を達成すべきだと、彼の作品は主張している。
●輝かしい未来に向けて;
美しい日本は、恵まれた自然環境があり、かつ技術立国である。技術と自然との融合を実践できるのは世界広しといえどもわが国しかないと思える。
Posted by masuzawa05 at
06:00
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