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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2014年12月22日

菅原文太

菅原文太も逝った。
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 高倉健亡き後、気にはしていたのだが・・・日経の春秋の追悼文には、こう出ていた。

「 仁義なき戦い 」 の広島やくざに、満艦飾の大型トラックを操るひょうきんな 「 一番星 」 に、不良はあふれていた。

 寅さんとは違うタイプの不良だ。その姿に生き返る気がした人は多かろう。晩年は映画を離れ、農業や平和運動に力を注いだ。妻の文子さんが、小さな種を二つまいて去った、とコメントを出している。無農薬有機農法を広めることと、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れてしまわないようにすることだという。


● 先日も追悼番組ではなく、関口宏さんのTV番組で久し振りにお見かけしたばかりだったのに。番組の最後に、味のある筆さばきで 「 仁義 」 と書いたのが最期になろうとは・・・。以下は私の拙い筆さばきです。
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● 俺(増澤)たち大学時代の運動部(空手道部)のなかには、自称 “ 健さん ” 派と “ 文太 ” 派があり、渋いところでは勝新太郎の兄、若山富三郎さんなんかもいた。

時に私は 「 文太! 」 と呼ばれたりもした。そんな時代の兄貴たちに ほのかな哀愁をおぼえていた、そして惜別に心涙す。
  

Posted by masuzawa05 at 09:00Comments(0)

2014年12月15日

高倉 健 

高倉健さんが亡くなった。

私(増澤)、大学時代に新橋のガード下の映画館で3本何百円かで見た任侠やくざ映画のことを思い出している。見終わって通りに出ると心なし肩を怒らせて歩いている自分がいた。

 先日の新聞に、「 高倉健さんを悼む 」 と題して映画評論家の佐藤忠男さんの追悼文が掲載されていた。

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○ 1960年代に流行した仁侠映画でトップスターになってからは豪放さが専門になった。薄幸の女とのラブシーンがあっても、そのあとすぐに敵の組に切り込みに行ってしまう。女の仕合わせをあえて度外視する豪放な仁侠映画の人気は10年しか続かず、これが終わったときファンは彼の動向を注目した。

高倉健は 「 幸福の黄色いハンカチ 」 で、豪放派とも二枚目とも違う別の流れを摑んだ。男らしさを誇示する不良の文化しか知らない彼にはまじめな愛の告白ができない。そんな豪放派の男の苦しみが全身からにじみ出る名演だった。
これを転機として高倉健は、女に愛の告白のできない日本男子の辛さを正直に真剣に演じる俳優になった。それはじつは日本のまじめな男たちの多くが黙って肚(はら)の中に抱え込んでいる問題であり、まじめな女たちの多くもまた、黙って男に期待していることであろう。

健さんは、暴力映画とやさしさを追求する映画との間を行ったり来たりしながら、徐々に強がりのいい恰好を克服して自分流のやさしさを確立していった。

任侠もの以後で私の好きな一本をあげると 「 居酒屋兆次 」 がある。これは高倉健の居酒屋の親父が、いつも恥ずかしそうな風情でいる映画である。健さんはとうとう、強がっていい恰好するのは恥ずかしいという境地に達したようである。その様子は遺作となった 「 あなたへ 」 にも受け継がれている。強がることより、自分はいちばん身近だった人である妻に誠実だったかどうか、ということばかり気になるという物語である。     「以上記事より抜粋」


● 私(増澤)、この三つとも映画は見ているのだが、最後の 「 あなたへ 」 を見たとき、いつもより少し年寄りっぽい追想が多いのが気になったのだが・・・・・。

  以前、健さんの自伝的随筆 「 あなたに褒められたくて 」 を読んだことがある。  
  たしか母親に褒められたくて生きてきたようなことを書いてあった。

健さんの「あなた」は 「 貴女 」 と書くのだろうか!? 女房、母親、おまえ、貴方、・・・・・。健さんは多分、 「 あなた 」 と呼ぶことが好きだっただろう。言い回しがいい。

  いずれにしても高倉健の魅力はいつまでも若々しかったことが素晴らしい。と私は思っていた。齢83、十二分にお爺さんの領域なのだが・・・。

追悼番組でテリー伊藤氏が 「 年寄りになれなかった人 」 そのようなことを言っていたのが、言い得て妙だと思っている。
  
Posted by masuzawa05 at 09:00Comments(0)

2014年12月08日

ジャリの会

 私(増澤)大学を卒業して早や45年。いまだに年一回大学の先生を囲んで、一泊の親睦バス旅行をしている。卒業生の生徒も75歳くらいから30歳代まで様々で、先生の気さくなお人柄ゆえに、和気藹々のOB会である。

 先生曰く、「 お金と命が続く限り参加します 」 とのことで、そう言われちゃー欠席するわけにはいかない。最近は奥方同伴の方もいらっしゃいます。
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 「 ジャリの会 」 の名称ですが、先生の材料施工研究室ゆえに、コンクリートの骨材(砂利)と、未熟なジャリっ子をかけた意味かとも思われますが、聞いたことが無いので定かではない。

 卒業時は大学も70年安保の全盛の頃で、芝工大も内ゲバ殺人があったりして、唯一卒業できそうな研究室として十代(そしろ)田(だ)研を選んだ私だが、寛容な心で受け入れてくれた。汚い走り書きのような卒業論文も、何年か掛けて金文字入りの黒表紙に製本し手渡してくれた。感謝以外の何物でもない!
爾来ひょうひょうとした先生の毒気にはまっている。今年も奥会津の大学の研修宿泊施設に来ている。
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 研修施設からの朝もやの雲海と紅葉の美しさには、一同目を瞠るものがありました。闇とご来光、白い光のなかで錦繍の営みを繰り返す樹々(きぎ)のざわめきに感嘆し、それぞれの往く末をおもう 「 ジャリの会 」 でした。  
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2014年12月01日

一〇〇年後に遺す歌

 日経の文化欄に ながた・かずひろ さんの著作 「 近代秀歌 」 が取り上げられていた。
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●今どきの若者に対する警鐘とも取れる言葉は後で述べるとして、人として “ 知らなければいけない歌 ” と、私(増澤)は受けとって、同い年のよしみと、知的好奇心からこの本を読んだ。
全文は本をお買いいただくとして、一度は聞いたことのある歌であるが、私なりに少し癖のあるものも含めて、好きなものを選んでみた。

一、 恋・愛: 人恋ふはかなしきものと

やは肌の あつき血汐(ちしほ)に ふれも見で さびしからずや 道を説く君 (与謝野晶子)

人妻を うばはむほどの 強さをば 持てる男の あらば奪(と)られむ (岡本かの子)

● この歌、かの岡本太郎のお母さんのもので、その激しさに笑っちゃう。

ところで閑話休題:色っぽい激しさといえば・・・。

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先日見た、「ジゴロ・インニューヨーク」という映画のことを思い出した。
有閑マダム相手の 「 売春夫 」商売のかなりシリアスなコメディ映画で、あのウディー・アレンがつぶれた本屋の親爺でポン引き役。売春夫役は近所の中年の花屋のさえない男。( ジゴロ:gigolo 女にたかって生活する男、男妾、ひも。 フランス語である )
最初のお客は、ニューヨークに住む皮膚科の女医。ちゃんとした旦那が居るのだが・・・、ところでこの風采の上がらない男、初めての仕事(?)が大丈夫なのかと、私(増澤)映画の中のことながら心配し、やきもきしたのだが、初めての出会い、ホテルの居間らしき所。出会いを彩る、二人でダンスのステップを踏むシーン。リズム感が、さり気なく抜群にセクシーで、なによりも男のリードがイケてるのだ。その辺の演出がうまい。もちろん本番も上出来。評判が評判を呼んで次から次へと・・・・・。( ジゴロ;英語では金持ち女の相手をする男のダンサーと出ている。脚本家、その辺のステップはちゃんと踏んでいるのだ )
PLAY代は1000ドル、3・PLAYは2000ドル。ウディー・アレン爺さん、なかなかのシッカリ者役でポン引き役がピッタシだった。

二、 青春: その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪の

髪五尺 ときなば水に やわらかき 少女(をとめ)ごころは 秘めて放(はな)たじ (与謝野晶子)

東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる (石川啄木)
* (東海の小島は日本という解釈がある)

清水(きよみず)へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよい逢ふ人 みなうつくしき(与謝野晶子)

三、 命と病: あかあかと一本の道とほりたり

あかあかと 一本の道 とほりたり たまきはる我が 命なりけり (斎藤茂吉)

病める児は ハモニカを吹き 夜に入りぬ もろこし畑(ばた)の 黄なる月の出(北原白秋)

四、家族・友人: 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

隣室に 書よむ子らの 声きけば 心に沁みて 生きたかりけり (島木赤彦)

たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽(かろ)きに泣きて 三歩あゆまず(石川啄木)

友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ(石川啄木)

五、 日常: 酒はしづかに飲むべかりけり

それほどに うまきかと ひとのとひたらば なんと答へむ この酒の味 (若山牧水)
● 牧水の妻喜(き)志子(しこ)が私(増澤)の父の親戚であることから、牧水は一段と近しい存在である。牧水の子供、男の子は建築家で、その名前は‘ 旅人(たびと) ’。私に男の子が生れたら「 旅人 」とつけようと思っていたのだが・・・。

ふるさとの 訛(なまり)なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く(石川啄木)

六、 社会と文化: 牛飼(うしかひ)が歌よむ時に

はたらけど はたらけど猶(なほ) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る(石川啄木)

鎌倉や 御仏(みほとけ)なれど 釈迦牟(しゃかむ)尼(に)は 美男におはす 夏木立かな(与謝野晶子)

七、 旅: ゆく秋の大和の国の

幾(いく)山河(やまかは) 越えさり行(ゆ)かば 寂しさの 終(は)てなむ国ぞ 今日(けふ)も旅行く(若山牧水)

ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上(うへ)なる 一ひらの雲(佐々木信綱)

八、 四季・自然: 

くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる(正岡子規)

向日葵(ひまわり)は 金の油を 身にあびて ゆらりと高し 日のちひささよ(前田夕暮)

馬追(うまお)虫(ひ)の(キリギリス)髭のそよろに 来る秋は まなこを閉ぢて 想い見るべし(長塚節(たかし))

曼珠沙(まんじゅしゃ)華(げ) 一むら燃えて 秋(あき)陽(び)つよし そこ過ぎてゐる しづかなる径(みち)(木下利玄)

九、 孤(こ)(ひとりぽっち)の思い:沈黙のわれに見よとぞ

白鳥(しらとり)は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ(若山牧水)

見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮(ゆふぐれ)(藤原定家(さだいえ))

●今は亡き当事務所で働いていた大先輩・女子事務員Mさんが大変勉強熱心な読書家で、同僚の高卒の新人女子社員Iさんに、“ 三夕(せき)の歌 ” を引き合いに出し、そんなことも知らないのかと、嘆いていたのを思い出します。俗に言う御局(おつぼね)さんの様な人で厳しかったけど、勉強する姿勢には頭が下がった思いがしました。
ところでIさん、先日近くのラーメン屋でばったり会いました。元気な男の子を連れて、いいお母さんをしていました。
知識や知恵は学校に行かなくても身につきます。いわんや日々の生活の中で身につきます。建築設計士という技術屋も“ 文学や絵画や音楽 ”に通じ感性を磨いてこその仕事の出来栄えだと思っています。

○ ちなみに三夕の歌: 秋の夕暮れを詠んだ三首の名歌。

寂しさは その色としも なかりけり まき立つ山の 秋の夕暮れ ;寂(じゃく)蓮(れん)

心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ ;西行(さいぎょう)

見渡せば 花も紅葉(もみぢ) なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ ;藤原定家(さだいえ)

● 71歳で急逝されたMさんを懐かしみ、お盆には家内と墓参りをしてきました。


十、 死: 終りなき時に入らむに

死に近き 母に添寝(そいね)の しんしんと 遠田(とほだ)のかはづ 天に聞(きこ)ゆる(斎藤茂吉)


◎ここからが永田さんの言いたい所です;

 この本では、私は珍しく読者へのかなり強いメッセージを意識していた。帯には「日本人ならこれだけは知っておきたい 近代の歌一〇〇首」と刷られているが、ここに第一のメッセージは集約されている。
 本当は、私の思いはもう少し過激で、「知っておきたい」の部分は、「知らなければ恥だ」という気分だったのだが、あまりにも挑戦的すぎて却下された。「知らなければ」というのは、覚えていなくてはというつもりではない。どこかで聞いたことがあるとか、一部だけ覚えているとか、そんな程度でいいのである。

 我々世代とこのごろの若い世代が、それぞれ「知らない」と言う時の、その態度あるいは口調における甚だしい落差がある。「知らない」ということに対する慎みの気分と言ってもいいだろうか。
 若い人たちが「知らない、わからない」と言う時、その言葉にほとんど内的な抵抗感が感じられないことに危惧を抱いている。平然と発せられる「知らない」という言葉は、そんなことには「興味ないよ」という拒否のシグナルでもあるようだ。
 「本来知っているべきなのだが、たまたま知らなくてすみません」という恐縮の雰囲気がほとんどない。あるいは、相手が知っていることを自分が知らないのは羞(はずか)しい、悔(くや)しいという風にも感じないらしい。知っておいたほうがいいことを知らない自分を、相対化して見る視線がほとんど感じられないと言ってもいいだろう。

 私たちは和歌1,400年の歴史の中で蓄積されてきた作品を財産として受け継いだ。近代短歌についても然りである。歌は日本人にとって、感性の基盤を成しているところがある。それを知らないのは損であるが、損得を越えて、それを共通の話題に出来ないようでは、基本的な知的基盤の形成、教養というものの形成が危うくなる。(本文から一部抜粋)


● 私(増澤)、全くその通りだと思っている。

歌の一つや二つ建設敷地に立って、状況把握として詠(よ)めないようでは、いい建築はできないとすら思える。

建築家は詞(ことば)を大切に扱うことができなければ駄目である。

ましてや、そういう感性を磨けない人は建築家になる必要がないし、なれない。
若いうちに転職か他の建築ジャンルに移ったほうがいい。


  
Posted by masuzawa05 at 09:00Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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