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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2014年10月27日

保守 本道とは

先日の日経 春秋にこんな記事が出ていた。


「 民主主義の原則 」 と言う名の旧ソ連時代の小話から:

・英国では多くのことが駄目だが、していいことはしていい。
・フランスでは多くのことはしていいが、駄目なものは駄目。
・米国では駄目なことすらしていいが、ソ連では、していいことすら駄目である。
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 そんな折BSフジの討論番組で、西部邁(にしべすすむ)・石原慎太郎・山田宏 お三方の集団的自衛権に関しての現状日本に対する討論の中で、私(増澤)が大変気に入っている西部邁さんがこう言っているのが納得できた。

 日本人としての、保守の気概を持つのなら、憲法を変えてまでも自衛の概念を変えていく必要があるし、それが現実に求められている・・・と。
 残りのお二人にそのことに対する異論があろうはずがない。


● 集団的自衛権についての国連の記述:

国連憲章第五一条における記載。
 この憲章ののいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。


● 私(増澤)思いますに、前述の小話で喩えれば:

『 日本ではしなければならないことをしていない。したくてもできないことがあるなら、そのことを変えればいいのに 』。

平和憲法を標榜するのならば、軍隊を持たなければいいのであって。しかしながら現存する自衛隊は正しく軍隊であり、自衛のための軍隊なのだから、自衛武装のために装備を日々更新、最新鋭のものに整える必要がある。攻撃を受けてからの反撃では自衛ではないし、今の時代新兵器を開発、使用したら先手攻撃で全てが決してしまう。世界の人々は日本の自衛隊を軍隊であると認識している。ゆえに、いつも交戦出来る物理的準備、と精神的な覚悟が必要である。

● 私は高校〜大学と、空手道という武道をやっていました。その行き着く先の極意は 

“ 闘わずして勝つ ”であります。

“ 戦争は決してしない。されど備えは完璧にする ” そういう日本であっていい!


  

Posted by masuzawa05 at 09:29Comments(0)

2014年10月21日

地球 THE・EARTH(宇宙における)

 立花隆さんの著作 「宇宙からの帰還」を文庫本で読んでいる。このことは記憶しておかないとマズイとの思いから、地球の有りようをメモした。

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● 銀河系の概念をこのように一括りにしていいかどうかだが・・・!?

◎ 宇宙空間の中で、地球における人間の生命維持には気圧が不可欠なのである。

○ 宇宙空間それ自体は生命にとってあまりに冷たすぎ、また、太陽輻射(ふくしゃ)はあまりに熱すぎる。どちらも人体がそれに直接さらされたら、即座に死ぬことは必定である。

大気のない月では、表面温度は、太陽に直射された部分は最高130度にも達するのに対して、裏側の日陰の部分は、最低零下140度にもなるのである。

 それに対して地球は、昼は大気の熱吸収によって太陽輻射が和らげられ、夜は大気の保温効果によって宇宙空間の冷たさから守られている。だから、地球の上では人間が生きていくことができるのである。

○ 生命にとって死の神である太陽を、恵みの神に変えているのが、地球環境なのである。死の空間である宇宙空間を生命の空間に変えているのは、地球環境なのである。その地球環境の主役をつとめているのは、大気と水である。大気は地球を20キロの厚みで包んで保護している。(実際にはその上層にもごく希薄な大気が広がっている)。20キロというと、大変な厚みであるが、地球の大きさから比較すると薄い膜のようなものである。水の層になるともっと薄い。この二つの薄膜の間に、地球上のすべての生命が存在しているのである。

● 私(増澤)思いますに、宇宙空間で俯瞰すると、こんなデリケートな相関関係の中で地球が成り立ち、その中で我々が生き永らえていることの奇跡を思わざるを得ない。僅か数十キロという層の気圧を伴った宇宙的薄膜と帯水の間で蠢いている我ら地球の生物たち。銀河系という系の隅っこのまた隅っこに在る奇跡のような星、地球。まるでお釈迦様の手の平にいるような我々の命は儚い。欲にまみれてこの環境を破壊しないように心しなければ!

そして、立花さんは: 天体としての地球の美しさは、我々も写真で知っているつもりである。しかし、宇宙飛行士に言わせると、写真では、あの美しさは絶対に伝わらないという。その地球の “ 青さ ” は、大気と水が作り出したものである。水の青さはわかるとして、大気が青く見えるのは、大気が青色の波長の光を散乱する性格を持つためである。と述べています。

自然に生れた ‘ 美しさ ’ は尊い。
  
Posted by masuzawa05 at 08:34Comments(0)

2014年10月14日

神道と仏教

 「 日本がもっと好きになる神道と仏教の話 」 お二人の対話集です。
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● 神様・仏様、いろいろと考えていて・・・・・、手にした一冊。天皇を中心として森羅万象に神を思い、先祖を崇拝し、ひたむきに生まれ変わる万世一系の民族・・・・・
「 日本人 」。
 
神仏習合: 日本固有の神の信仰と仏教信仰とを折衷して融合調和すること。
維新  : 物事が改まって新しくなること。

 謙虚で勤勉、進取の気性に富む日本人を頼もしく、嬉しく思う今日この頃である。


◎ 『 古事記 』 と天皇と大自然の摂理 より。

竹田; おそらく 『 古事記 』 は国内向け、『 日本書紀 』 は国外向けだと思います。 『 古事記 』 は国内の細かい系譜を詳しく書いていますが、『 日本書紀 』 にはあまり書かれていません。対外向けだから、国内の豪族のつながりはさほど必要ないと考えたのでしょう。また 『 古事記 』 は日本人が読んで、日本人としての美しい生き方が学べるような書き方になっています。
それに対し、正史とされているのは 『 日本書紀 』 のほうで、公式記録としての性格を持っています。しかも完全な中国語で書かれていますから、当時の中国人は 『 日本書紀 』 を原文で読めたはずです。『 古事記 』 は万葉仮名をたくさん使っていますから、読めなかったでしょう。
一方で日本人は 『 古事記 』 『 日本書紀 』 をはじめとする古典を千年以上継承してきました。たとえばイギリスの公用語は七百年ぐらい前までフランス語でした。多くの国では千年以上前の書物を読もうとしたら、それこそ古代ヘブライ語や古代ラテン語などを習得しなければなりません。それが日本人の場合、日本語でだいたい読めます。天皇と国民が、同じ物語を千年以上共有し続けているのは、大変価値があります。

○精神の支柱としての 「 祈る存在 」

竹田; そして、天皇は、贅沢な暮らしをするわけではなく、また、政治の中身をとやかく言うわけでもない。ただひたすら 「 国民一人ひとりの幸せを祈る存在 」 として、よい按配で日本を統治してきました。その下に各地方政権の長が一律に並んだのです。このような王権の形は、ヨーロッパや中国のそれとは全く違うのです。

塩沼; やはりこれも和という精神が根付いているのでしょうね。日本人は一神教的な世界に慣れておりませんので、争いや戦いが繰り返され、主権者が国土および人民を支配するのがどういうことかわからない、という可能性もあるのではないでしょうか。
天皇は常に国民と共に国民のことをかんがえ、国家の安穏を祈る存在であった。それが二千年以上も続いてきたわけですから、まさに奇跡です。

○日本人の生活環境

竹田; 日本人の気質をつくったのは、四季と同時に豊かな山や海があること、そして海によって隔てられた環境が大きいでしょう。

塩沼; 農耕民族であることも、影響を及ぼしているのではないでしょうか。土に植物の種を植え、水や肥料を与え、きちんと手入れをすれば、必ず立派な実が得られる。そんなサイクルを毎年繰り返すことのできる地域は、なかなかありません。農業の神様や、イネの神様、大切な水の神様や川の神様などの神を祀るのは五穀豊穣を願うからです。そして収穫が終わると、神様を招き、人が恵みに感謝する。瑞々しい葦原の水脈に豊かに実った稲穂ということで、この国土を豊葦原瑞穂国と日本人は称えてきました。

竹田; 努力すれば、必ず結実する。生活リズムが、一年単位でちゃんと回っている。この豊かさを、日本にいるとあまり感じませんが、外国と比較するといかに恵まれているかがわかりますね。

● 神主さんが床(とこ)鎮(しず)めの儀式で言う
瑞穂(みずほ)を      ( みずみずしい稲の穂 )
平(たい)らけく
安(やす)らけく
斎(ゆ)庭(にわ)に      ( 神を祀るために斎(つつし)み浄(きよ)めた場所 )
知(し)ろしめせと・・・かしこみかしこみ・・・申す。
  
◎ 『 神仏習合 』 による心の機軸 より。

○ 「 我々は生かされている 」 という発想

竹田; ただここへきて我々は、伝統的な日本人の感覚から離れて西洋人化し、「 自然を支配する 」 感覚を持ちはじめている気がします。
神道的な発想では 「 宇宙の意思 」 や 「 大自然の意思 」 となるでしょう。これらを総合すると 「 神々の意思 」 ということにもなると思います。
何かの意思があり、それによって 「 我々は生かされている 」 と考えるほうが、腑に落ちます。
日本人にとって 「 神 」 とは、わかりやすくいえば 「 大自然に 」 に宿るものなのです。神社に祀られているのも、多くは大自然の神々です。人間が祀られていることもありますが、これも人間を大自然の一部と考えるからです。

塩沼; 「 仏教と神道が似ている 」 という人には観音様や阿弥陀如来、不動明王などいろいろな仏様がいて、そこが神道の八百万の神と似ていると思っているケースも多いようです。ただそれぞれの仏様は、お釈迦様が生きていらしたときには存在しませんでしたこれらは皆、わかりやすく言えば、その後弟子たちによって展開していった仏教の表現方法の一つなのです

本来お釈迦様が人々に説かれた教えは、とてもシンプルなものです。良い事をして悪いことをしない、ありとあらゆるものに執着せず慈しみの心を持ち、生きよ、というものでした。

要するに真理というものは、言葉や文字では表現しきれないものといいますか、限界があります。しかし、釈尊は、自らの悟りの体験を言語化し表現することを決意します。つまり悟りの世界、真実の世界は言葉で表現可能であるという仏教のスタンスは、その後、弟子たちにも伝わり、数々の言葉に仏典が翻訳され世界に伝播し変化していったわけです。

● なにか大きな力によって生かされている自分を思う大切さと不思議。

◎ 「 清く正しい生き方 」 とは何か。

竹田; 昭和天皇が終戦後、マッカーサー元帥と会談なさったときもそうです。元帥は当然 「 昭和天皇は命乞いをしにくる 」 と思っていたのに、昭和天皇は 「 すべての責任は自分にある 」 とおっしゃった。どう考えても昭和天皇に全責任があるはずがないのに 「 政治家や兵隊たちは自分の指示で動いただけで、彼らに戦争責任は無い。だから私一人を処刑して欲しい 」 とまでおおせになったそうです。

塩沼; それでマッカーサー元帥は、昭和天皇に 「 神を見た 」 という思いを抱いたそうですね。

○千日回峰行について。
  
  塩沼; 苦行の行きつくところは死という体験をしたことが何度かあります。山を歩いているうちに、自分が自分で無い感覚を持ったことがあります。地に足をつけて歩いているのに、三十センチぐらい上をふわふわと浮かんでいる感覚なのです。手も、いつもとは少し違う感覚で、動かしているつもりなのに、すぐに動かない。後から遅れて動く、といった感じです。
  このとき、そのような感覚を 「 怖い 」 とは思いませんでした。 「 このままいくと、自分の肉体と魂が離れるのかもしれない 」 という気になるのですが、だからといって怖くはない。ただ 「 戻らなければ 」 と思い、強い意思を持ちながら歩き続けていました。やがて三十分ほどすると、自分の意思と肉体とが一体となっているような通常の感覚に戻りました。おそらく死の一歩手前だったと思います。

  竹田; お釈迦様も、そのような死に至る直前のような究極の修行をなさり、その上ではじめて 「 これは違う 」 と思い 「 中道 」 に立ち至ったのですね。塩沼さんは、まさにお釈迦様と同じようなことを経験なさったように思います。

  ○気遣いについて。

  竹田; 一流の人は 「 気遣い 」 がすごい。
私が聞いた話では、一流の茶人はお客様を迎えるにあたり、きれいに掃除するだけではないそうです。一部をわざと散らかすのです。
  あまりにきれいに掃き清めていると、お客様が 「 自分をもてなすために、相当頑張って掃除してくれたんだな 」 と恐縮してしまう。そこできれいに掃き清めたあと、ちょっと落ち葉を置いたりする。そこまで考えられるのは、大変高度な気遣いだと思います。普通なら 「 きれいなほどよい 」 と考えておしまいです。そこが違うのです。

● 臨機応変・・・気遣いに決まった形は無い。

◎ 日本の伝統精神が甦るとき

竹田; 大震災で、日本人の愛情にあふれた、優しくも雄々しいすがたをみて、世界中の人が感動しました。愛の精神は日本人のオリジナルではなく、イエス・キリストもお釈迦様も孔子も、みんな言っていることです。だから外国の人たちも、それを実践する日本人の姿に感動したのです。中国人にも 「 日本のそういうところに学ぶべきだ 」と言った人はたくさんいます。ふだんから反日思想にかぶれ、日本をこきおろしている人たちも 「 ここは学ぼう 」 と思ったのです。

塩沼; 震災から一週間ほどしてBBC(英国放送協会)でも、「 こんなにひどい目にあったのに、みんなで食べ物を分け合っています。私たちにまでパンをくれました 」「 これは驚きです 」 と言っていました。さらに、「 この国の民族は大自然に生かされています 」 とキャスターが述べていたのが、印象に残りました。

竹田; 環境問題でも、日本は注目されているのですね。日本は 「 自然との調和 」を常に意識して生きてきました。一方、欧米人は一九七〇年代まで 「 環境を保全しよう 」 という発想がありませんでした。そんな彼らが 「 このままでは自然が破壊される 」 と危機感を持ち、自然と向き合いはじめた。だからこそ彼らは、日本人の感覚を評価するのです。 「 もったいない 」 という精神もそうだし、日本人の環境技術もたいしたものです。今 「 クールジャパン 」 は世界の主流です。

● 私(増澤)思いますに、 「 和とは天地自然と一体になること 」 それゆえに
神々(こうごう)しい。

◎ おわりに; 朝起きて 「 今日も一日よろしくお願いします 」 と手を合わせ、よいことをして悪いことをしない。毎日精一杯みんなでがんばって、夜になったらまた一緒にご飯を食べる。そして一日が無事終わったならば、神様と仏様に 「 ありがとうございました 」 とかんしゃする。これだけでも立派な信仰です。

素朴な信仰を家庭で教えてくれた時代はとても素晴らしい。
  
● 私(増澤)もそう思います。

 
ちなみに、天皇家についての考察!?

*・神代と天皇の発祥; 皇室の系図は712年の『 古事記 』720年の『 日本書紀 』等々の史書に基づいて作られ、日本を創造したとされる太陽神の天照大御神は、夫婦神イザナギとイザナミの性交により生れた初代に当たり、7代目にあたる子孫が初代天皇の神武天皇で、紀元前660年に即位した。神武天皇以前6代までは神話の世界と解釈される。したがって現在は皇紀2674年(660+2014)である。
 天皇という称号; 「 天皇 」 号が成立したのは7世紀後半、大宝律令で 「 天皇 」 号が法制化される直前の天武天皇ないしは持統天皇の時代とするのが通説である。
 天皇は、歴史的には日本の君主であり、大日本帝国憲法においては日本の皇帝 ( 神聖にして侵すべからざる統治権総攬者 ) 、日本国憲法においては日本の象徴及び日本国民統合の象徴とされる。
 ちなみに、天皇の統治権の根拠は、最終的には 「 神々の総意 」 ということになります。神道において 「 神 」 とは主に大自然のことを意味しますので、言い換えれば、天皇の統治権の根拠は 「 大自然の意思 」 となります。
 天皇は、英語においては、通常、皇帝を意味する 「 Emperor 」 と呼ばれる。今日、国際的に承認されている国家元首及びそれに類似する地位にある者で Emperor 号を対外的に使用するのは、天皇のみである。


*・大阿闍(あじゃ)梨(り)とは;
 奈良県吉野の大峯山で、1999年に千日回峰行を成した塩沼亮潤大阿闍梨。翌年、四無行 ( 断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける ) も満行し、大阿闍梨の称を得て、現在は故郷仙台市秋保に開山した慈眼寺の住職を務める。大峯千日回峰行は1300年の歴史の中で2人!しかいない。
 奈良県・大峯山の頂上にある大峯山上本堂までの往復48キロの山道を1000日間、1日も休まず歩き続けるという行である。(1000日間連続というわけではなく、山を歩く期間は5月3日〜9月22日までであるため、千日回峰行が終わるまで約9年かかる)
 標高差1300メートル、いったん行に入ったら、決して途中で止めることができないという掟、もし途中で止める場合は短刀で腹を掻き切るか、紐で首をくくり、命を絶たなければならない。
 一日のスケジュールは、標高364メートルの蔵王堂を0時半に発ち、漆黒の中を提灯と杖を頼りに延々24キロの険しい山道を登り、8時過ぎに標高1719メートルの大峯山頂に至る。同じ道を下って15時半に帰堂、自ら掃除洗濯、翌日の準備をして19時に就寝、23時半には起床。
  
Posted by masuzawa05 at 09:39Comments(0)

2014年10月06日

世界文化遺産 「 富士山 」 によせて

 富士山が信仰の対象と芸術の源泉として、ユネスコの世界文化遺産に2013年に登録された。ゴミの不法投棄などによる環境悪化や、開発により本来の自然が保たれていないなどの理由で、自然遺産としての登録は叶わず、文化遺産としての登録である。 
しかしながら私はその方が良かったと思っている。なぜならば信仰と芸術の両分野において、生活に結びついた形で伝承されてきたからである。そして日本人の心の糧として、未来永劫美しい山であり続けるであろう。 が、・・・個人的にはトイレの整備が進んでいないことへの心苦しさがあり、未登山である。知人に聞いてみたら、登る前に富士宮でトイレして、そのまま帰りまでトイレはしなかったという。
今回は信仰の対象としての富士山(二つと無い山として不二山ともいう)、芸術の源泉としての富士山、外国人から見た富士山、国際的な観光における日本の宿のありよう、そして三保の松原伝説について、私なりに捉えてみたいと思う。

一、 信仰の対象としての富士山:
日本で一番高い山で、四季折々に美しい。この写真は、遠く三重県の鳥羽に私共で     
設計した御宿「 The Earth 」 から年数回しか見られない伊勢湾越しの富士山です。なにか思わず手を合わせたくなる崇高さがあります。
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火山としての富士山の噴火は記録に残るものでは781年(天応元年)〜1707(宝永4年)の間で25回記録されています。景観の美しさと共に、火を吹く山に対して古くから畏れ敬う畏怖の念が生れたのは自然なことでしょう。
世界のすべての事物に霊魂や精神が存在すると信じる、宗教の原始形態であるアニミズム。日本人の天地自然全てに神が宿ると言うアニミズム的感性をもってすれば、美しい山に手を合わせ、自身や家族、多くの人々の安寧を祈る心が、日本人の精神世界のすべてであると言っても過言ではないだろう。

○先ごろ亡くなられた まどみちおさん の詩「一年生になったら」を引用すると
いちねんせいになったらともだちひゃくにんできるかなひゃくにんでたべたいなふじさんのうえでおにぎりをぱっくんぱっくんぱっくんと  

* 日本一の山の上でさぞかし痛快であろう。
民俗学者である山尾三省さんは 『アニミズムという希望』 という著作の中で 「 美しいということは、神のひとつの属性といわれています。けれどもぼくの立場からすると、美しいものはそのままカミなんです」。太古の昔より美しいもの、喜びを与えてくれるもの、安心を与えてくれるもの、慰めを与えてくれるもの、畏敬の念を与えてくれるもの、そういうものは何でもカミであり、現代においてもそれはいささかも変わらないと思うのです。と述べています。
信仰面における具体的「講」組織としては、富士山とその神霊への信仰を行うための講社である「富士講」があります。特に江戸を中心とした関東で流行し、祈りと登山を含む巡礼等で構成されている。色々な山岳信仰の映像で見かける、杖を突き登りながら唱える「六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)」とは目・耳・鼻・舌・身・意 のことで、これら現世との執着を断ち切って清浄無欲になることであるという。富士登山はその最たるものであろう。

二、芸術の源泉としての富士山:

「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺(たかね)に 雪はふりつつ」
Sailing out on the white crests of the Bay of Tago, I look up. There before me
Even more dazzling−on Fuji crowned in white. (マックミラン・ピーターさん著、英訳詩・百人一首より)

 万葉集 山辺(やまべ)赤人(のあかひと)の詠んだ歌である。私の住む静岡県は日本一の高峰と日本一の深い海である駿河湾がある。富士山を介した水が海を潤し、桜海老や多種類の魚を産する。

◎ 葛飾北斎の描く富嶽三十六景(富士の絡むもの)模写してみました。と写真色々。 
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富士を巡る芸術の旅 絵と写真のビューポイントです
  
○ 上総ノ海路(かずさのかいろ)
  江戸湾を間に挟んで遠く富士を望む雄大な眺望 木更津から。
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○神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)左、印象派を魅了した増殖する波
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○相州箱根湖水(そうしゅうはこねこすい) 

波ひとつない静かな水をたたえる芦ノ湖  
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○ 甲州三島越(こうしゅうみしまごえ)
 巨木を画面の中央に配す構図は画面を分断しがちだが、背後に広がる富士の稜線が、それを見事に防いでいる。
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○ 我がふるさと伊東市から見た富士               
伊東湾のバックに連なる天城連峰越しに富士が見えるんです。
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○東海道江尻田子の浦略図(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず)7

         


万葉集に詠われし田子の浦。
   
○ 西伊豆・戸田から見た富士
写真・右                  
戸田湾から見た富士は西伊豆一
美しい。
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○ 駿州江尻(すんしゅうえじり), 静岡市 
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予期せぬ突風に困惑する旅人
                  
    
○ 東海道金谷の不二(とうかいどうかなやのふじ) 
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大井川、波立つ

                 
○尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)
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名古屋あたりからの眺め大きな円と小さな三角構図が素晴らしい

● 印象画の世界に一石を投じた、浮世絵。その中でも富嶽三十六景は秀逸である。
三、 外国人から見た富士山と日本: 南アフリカからやって来たシェーン・イングリシュスクールのレスター青年(39歳)に聞いてみました。
I am from South Africa and as a young boy has looked at many pictures of Mount Fuji in books and magazines and has often dreamed about Japan. Thirty years later, I moved here to teach English and have been living in Japan now for five years. I love this country, its culture, its food and its people.
In the summer of 2010 my friends and I climbed the mountain to watch the sunrise. We watched it together with many other climbers and tourists, both foreigners and Japanese. It was very cold at the top. We had climbed quickly during the night, so we had to wait in the cold darkness for about three hours for the sunrise. When the sun’s rays fell over the land everyone went quiet. I felt peaceful watching this beautiful scene. I looked around at the other people’s faces. Some people were tired, some were sleepy, but all of them had the same peaceful look.
Long ago the original people of South Africa connected gods with nature, similar to the Japanese Shinto religion. Today only a few people still continue the tradition. The Japanese religion is still continuing and is protected. When we climb Mount Fuji or travel in Japan, we can learn about this mountain.
Japan and Japanese people has taught me many things. They appreciate simple things. They are disciplined, focused and respectful in everything they do. I hope to learn from this and continue my life with these lessons. There are many things I will never understand about Japan and its gracious people, but on top of Mount Fuji, for that one moment four years ago, I imagined I could understand the Japanese spirit.
  
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南アフリカから来て滞日5年になるレスター先生は子供の頃から本や雑誌でみて日雑や雑誌で富士山の写真を見て日本にあこがれていた。私は日本の文化や
  食べ物が好きだ。2010年夏に富士登山をした。夜中に登り頂上で暗く寒い中、3時間日の出を待った。ご来光の瞬間、美しい一条の光のもと、静かで幸せな時が流れ、周りをみわたすと皆疲れて眠そうだが晴れやかな表情をしていた。
昔々、南アフリカの人々も日本の神道(しんとう)のように、自然の中で神と一体だったが、今はその伝統を守る人は僅かである。日本ではその伝統が息づいているのを、富士登山や旅行をして感じた。 そして、日本や日本の人々から 質実であることや、規律正しく、集中力があり、全てに礼儀正しいことを学んだ。日本や日本人のことは分からないことがまだいっぱいあるけど、4年前の富士山頂の出来事から日本人の心を理解できたことを忘れない。

四、 国際観光における日本の宿のありよう:
富士山・和食が世界遺産になり、イン・バウンド客が増える傾向の中で、国際観光における日本の宿のありようが問われています。私共の事務所が一貫して求めている日本の宿 ( RYOKAN ) に必要なものは、自然環境との調和であります。
ローカルな空間の中で、宿と人は 『 天地自然と一体になる 』 ことが大切で、その事が “宿り”や“食” に託す日本人の感性そのものだと認識しています。

◎ 作家の沢木耕太郎さんは、国際化にあっての宿についてこう述べています:
異邦の人を迎えるのに必要なのは、過剰な 「 おもてなし 」 ではなく 「 お 」のない、ごく普通の 「 もてなし 」 であるだろう。
「 もてなし 」 の精神とは、もてなす側の自己満足のためではなく、相手の望むであろうことを、さりげなく、淡々とするところにあるのだから。
 そして、私が旅の宿に求めるもの、その第一が 「 時間 」における、自由度であると述べています。 
私(増澤)思いますに、
● 旅館が一番むずかしいのはお客様の時間に対する自由度をいかに確保するかだと思います。(チェックイン、チェックアウトの時間の自由度)
● そして客室に於いては、和の設えの中のベッド化(好きな時に眠れる)
● 食事:世界無形文化遺産「和食」 フルコースの懐石料理だけが和食ではありません。
B級グルメも含め、食事については、どういう食事をどんな場所で摂るのか、食事場所と食事の種類の選択が急務と思われます。( 絶景を眺めながら、お酒と軽い食事だけでいい場合もあるし、居酒屋風居食屋、はた又・外メシもある ) そしてローカルな地産地消の食べ物がいい。

○ この写真は私どもで二十数年前に手がけた、仙台秋保温泉 『 茶寮 宗園 』の一部和室のベッド化の写真です。数奇屋旅館も和の風情を残しつつ、時代の流れに敏感でなければなりません。新しい時代の 『 宿 』 の模索が始っています。
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● 世界文化遺産登録後、静岡県は2013年度、対前年度比で2%観光客が増えているという、これからはもっと増える傾向にあり、迎える側の心構えが必要でしょう。

五、三保の松原伝説: 白砂青松のビューポイントからの写真です。
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忘れてはならないのは、富士山の世界文化遺算産登録の構成資産に、自然景観として三保の松原がセットで認められたことです。

○羽衣の松:ご存知でしょうが、三保の羽衣伝説は次のようなお話です。 

『 昔々、三保の村に伯梁という漁師がおりました。ある日のこと、伯梁が松の枝にかかっている美しい衣を見つけて持ち帰ろうとすると、天女が現れて言いました。 「 それは天人の羽衣です。どうかお返しください。 」 ところが伯梁は大喜びして返す気配を見せません。すると天女は 「 その羽衣がないと天に帰ることができません 」 と言って泣き出しました伯梁は天上の舞を見ることを条件に羽衣を返しました。天女は喜んで三保の春景色の中、羽衣をまとって舞いを披露。やがて空高く天に昇っていきました 』 満月の夕刻、美しい月明かりの中で舞ったと言われております。

毎年10月に松林を背景に薪能が舞われるという。
美しい景色ゆえにこの伝説が生れたのか、伝説ゆえにこの地がクローズアップされたのか、わかりませんが、静に聳える富士山のみが御存知でしょう。

     
  
Posted by masuzawa05 at 13:16Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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