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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2014年08月25日

ふるさと・東京 ( その2 )

引き続き池田弥三郎さんの第二弾です。

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○ 東京人と東京ッ子:

東京生れのわたしは大学生になった時、学校の学生用の掲示板に、県人会主催の、その県の出身学生歓迎会のビラを見て、東京生れの東京育ちを、あらためて自覚したものだったが、つまりは東京に、いかに他国の人々がいるかということの、認識の始まりだった。

わたしは、人が不用意に使う 「 東京人 」 ということばを、少し厳密に使いたいと思って、上のようなことばを述べて来た。それは、 「 東京人 」 と 「 東京ッ子 」 とは違うということだ。 「 東京人は・・・・ 」 と、批判されるときには、往々にして、上に述べてきたような、全く単に東京にいるだけという人々までも、一網打尽に含まれていて、本来、東京生れの人が負うべき責任でないことまで、負わされている傾向がある。
東京生れの東京育ちで、よきにつけあしきにつけ、そのすべてを責任として負わねばならぬ東京者は、 「 東京ッ子 」 であって、単なる東京在住者たる 「 東京人 」 とは違う。 「 阪僑 」 の面々も東京人であり、何々県人会のメンバーも、東京人であるが、東京ッ子ではない。東京人の負うべき責任まで、東京ッ子に負わされてはたまらない。

さりとて、東京ッ子は江戸ッ子とも違う。実は、江戸ッ子と言う人種は、さすがにもう絶えた。わたしは、自分で江戸ッ子だと自覚したこともなく、そう人に言われることが嫌いであり、江戸ッ子だと自負しているものが今でももしいるとしたら、さぞかしキザな奴だと思う。わたしの考えている江戸ッ子とは、元来、職人階級に属した人々である。人生字を知る有患の初めで、大学教育などを受けてしまったから、とても江戸ッ子などにはなれない。江戸ッ子には、インテリジェンスの要素はない。

それでは 「 東京ッ子 」 とは、ということになるが、おそらく江戸ッ子の中にははいらなかった、東京山の手の住人の生活気分が、多分に加わって来ているのだろう。そして、江戸ッ子にあった、上方文化に対する劣等感というものは、もはやない。江戸は、文化的には日本のローカルであったが、東京はもはや日本のローカルではない。
東京ッ子は、東京の自慢など、ことさららしくしない。他と比べて優勢を誇る必要がないからだ。それが大阪へゆくと、タクシーの運転手までが、地下鉄は東京より大阪の方がいいと自慢する。おくに自慢は東京に対する劣等感の裏返しである。東京ッ子は、お上りさんに向かって、東京の悪口は言うが、あまり賞めたり自慢したりはしないようだ。
東京ッ子は、郷土としての東京を持っている東京在住者であり、東京人とは、植民地としての東京に住んでいる人々である。

東京の行政は、というほどひらき直ることはないが、本来、 「 東京ッ子 」 の手によって行われるべきはずである。そして 「 東京人 」 は、だまって、都民税を多額に納めていればいい。納めた税に対する権利は認める。しかしそれ以上のことは、東京ッ子に席をゆずるべきだろう。

● 東京ッ子は自慢しないのが粋だ。
● 最後の所、行政の一節、私(増澤)、新しく誕生した舛添・東京都知事に聞かせたい言葉である。東京ッ子ならずとも、是が非でも日本橋上の高架橋を撤去してもらいたい。


○ バーばやり:

わたしのような若ものでも、ややきざっぽく、昔を語らしてもらうなら、バーを名のる店では、銀座あたりだと、ビールはおいてなかったものだ。銀座の裏の、ある老マスター一人でひらいていたバーで、中年の紳士がビールを注文して、こっぴどくマスターにやられているのに居合わせたことがあった。バーでの飲み物に、ビールはいらなかったものらしい。もっとも、今ほどビールが、酒界に君臨していなかった時代でもあったが、一本いくらとお値段がおしきせのビールは、飲み物としても、ただせんをぬくだけのもので、腕自慢のマスターとしては、うでのふるいようがないというのが、ビール拒否の理由だった。たしかにビールでは、マスターでもバーテンでも、うでのふるいようがない。せいぜい乱暴に威勢よく、せんをポンとぬいてみせるぐらいのことが、腕のみせどころにすぎない。― ビールが飲みたけりゃ、表通りのカフェーへ行ってくださいよ。
と言っていたマスターのことばを、今に記憶している。
酒と、酒の飲み方とを修行していたその時分のわたしは、なるほどそういうものかと、心に銘記したのだった。

● 私(増澤)、先日も原宿在住の東京ッ子の友人と銀座のバーに行った。松坂屋の建て替えで他の場所に仮設で営業していて昔の風情がない。ゆったりした幅広のロングカウンターで、一部フロアーには、一席だけゆったりしたテーブル席もあり、面と向かって、グラス片手にわけありの話をするのには良かったのだが・・・、一部そのカウンターを再利用していると言うのだがぜんぜんイメージが違う。老いて、気のきいたママさんももういない。

今度恵比寿あたりでいいバーを探そう。


○ おの字の使い方:

女の人が女らしさを言葉の上で示そうとして、なんにでも 「 お 」 をつけたがる。なんでも行きすぎは不愉快だが、とくに女の人の神経衰弱的な 「 お 」 の乱用にはおそれいらざるをえない。
なかでもカタカナで表記するのが普通のことばにまでつけて、おビール、おコーヒー、おジュースという。さすがにおココア、おチョコレートとはいわないようだが、おトイレは、ついに男までが使う。あれは音がはいるから 「 音入れ 」 というのだろうと、にくまれ口をたたいていたら、うちの中学生が 「 録音 」 といっているのを聞いた。 「 ちょっと録音に行ってくる 」 という。これはなかなかいい。
もっとも手洗いとお手あらいとでは、使い方が違うらしい。手洗いといえば正真正銘の手を洗うところで、おをつけてはじめて一方の用がたせる。あしという語におをつける場合、足のほうはおみあしといい、おあしといえば、お金のことになるのと似ていて、微妙な使いわけをしているわけだ。しかし自分の手を洗うのにおをつけるのはおかしい、といえばおかしいが、おそらくこれは 「 お手 」 洗いではなく、お 「 手洗い 」 という成り立ちであろう。

● 私(増澤)の近辺にも約一名 「 お別荘 」 と言う人がいるが、これなどはいい方だろう。言葉遣いにはその人の生き方が反映されるので、いろいろむずかしい。
  

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2014年08月18日

ふるさと・東京 ( その1 )

 池田弥三郎さんは銀座生れの銀座育ち、実家は 「 銀座天金 」 という天ぷら屋で、今の 「 和光 」 の所に在ったらしいが、現在、店は無い。今で言うタレント教授の走りである。私(増澤)の死んだ親父と同い年で大正3年(1914年)生まれ、心意気が懐かしい。生きていれば100歳か・・・いまどきあり得る年齢である。 
( 以下同名の随筆集より抜粋 )

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○ かぞえ年:

わたしは年齢を満でかぞえる西欧流のかぞえ方はあまり気にいらない。しかもそのかぞえ方に戦後、急に切り替えてしまったことも気にいらない。
かぞえ年というのは、不合理なようでいてなかなか便利である。ある個人について年譜を作る時などは、かぞえ年だと作りやすい。生れた年から一年ごとに事項をまとめてゆくのだから、一年めを一歳、二年めを二歳としてゆくやり方は合理的でさえあると思う。

いままでは元日は一年のはじめの日という社会的な意義のある日だったばかりでなく、個人個人にとっても、全員そろって一つ年齢をかさねる日でもあった。門松はめいどの旅の一里塚だといわれたのも、そのためだ。
元日は社会にとって意義があり、個人にととっても意義があった。それが満年齢になって、一年365日、毎日、だれかが年をとっていて、その代わり元日にいっせいに年をとるということがなくなってしまった。元日の個人的な意義は失われてしまった。

( ● 私(増澤)なども、正月を迎えると一歳年をとり、それ故に新たな気持ちで、下着や下駄も新(さら)のものにしたものだが・・・、今でも当年とって何歳ですと言っている )

それに代わって、当然個人個人の誕生日というものが大きな意味をもつのだが、誕生日を騒ぎたてるのは、日本的な風習ではない。それは、日本ではもともと、おぎゃあとこの世に生まれでた日そのものは、一般庶民の生活ではさして記念すべき日ではなかったからだが、ともかく個人の誕生日がやかましく祝われるようになったのは、近年のことだ。ロータリーにスピーカーとして招かれて、いちばんばかばかしいのは、日本の中老紳士が仲間の誕生日を祝い、調子はずれの声で英語の歌を歌うことだ。いかにもぴたりとしない、落ち着きの悪さがある。

( ● ロータリークラブのことをノータリンクラブと揶揄した人がいたが、思うとこがあって私、その手のクラブ等には入らなかったし、これからも入らない。誕生日、英語の歌などではなく、誰か心得のある方が “ 謡い ” などを詠じたらよいのにと思う )


○ かんしょう:

かんしょうは 「 癇症 」 である。干渉や鑑賞や姦商ではない。

小料理屋の どうこ は、 あか ときまっていた。それこそかんしょうに磨かなくては、すぐろくしょうがつく。さび易い赤銅をわざわざ客の前にすえて、いやでも応でも目につかせるのは、それほどこの店は掃除のよくいきとどいた、清潔な店だという、無言の誇りなのである。所轄の警察の、AだBだ、秀だ優だなどというはりがみより、この方がずっと信用がおけるのである。さびないナイフなどが出来たから、日本は戦争に負けたので、本来さびるものをさびさせないところに、ふだんの生活の心用意や心意気があったのだ。 ( *癇症:病的なきれい好きなこと )

乗った円タクの灰皿がきれいだと、まことの気持ちがいいが、朝、車庫を出たきりで、もうとてもはいりませんという程に、吸いがらがあふれている円タクに乗りこむと、しまったとおもう。
しかも灰皿には、みんな案外のんきで、デラックスだと誇る国鉄の特急 「 朝風 」 の寝台の灰皿が、最近乗った三度が三度とも、よごれたままだった。
行き始めてやがて三十年になろうというあるバーは、マダムが癇症で、一本吸い終わると、サッと灰皿を換えてくれる。こんな気持ちのいいことはない。

● 私(増澤)、週始めに会社の玄関ファサードのガラスを内外部ともに濡れ雑巾にて磨くことにしているのは、熱海駅前の人通りの多いアーケードに面しているからだ。
とやかく言わずに、いいことを、身づくろいよろしくやるのがイイ。

○ しわくちゃなお札:

万事のんきだった大正のころは、わたしの生家では、祖母だとか母だとかが帳場にすわっていて、金銭の出し入れをしていた。まだ金銭登録機のような機械は、わたしのうちのようなところへは、はいってきていなかった。
冬になると帳場に火鉢がはいったが、それにはときどきコテがさしこんであった。まだ電気のコテやアイロンなどのない時分で、母はしわくちゃなお札やへりの折れ曲ったお札をひざの上にのせて、一枚一枚ていねいにコテをかけて、のばしていた。

商売が看板になると、父はその日の売り上げ分をきちんと始末した。一枚一枚お札をかぞえながらきれいなものとそうでないものと、上中下三種類ぐらいによりわけ、お札の向きまできちんとそろえてかさねていった。父はとりわけきちょうめんで丹念であったせいもあるが、お札そのものを大事に尊重することが、商人のおきてでもあった。自分のうちの営業を商売といわず、必ず 「 御商売 」 といった。だから、お客に出すつり銭にしても、しわくちゃなお札を出すなどということはけっしてなかった。もちろんいつも手の切れるような新品というわけにはいかなかったが、せいぜい中ぶるぐらいまでのものを、それもちゃんとコテをかけて、へりなどの折れこんでないお札を使った。

お金などというものは、労働にたいする当然の報酬であり、給料などはいただくものではなく団結の力でかちとるものだ、ということになってきた。そういう考えは、それはそれで結構だ。しかしたとえかちとった給料にしても、すくなくとも、しわぐらいはきちんとのばしてあるお札のほうが、どのくらいお互いに気持ちがいいかしれない。たとえ賃金はたたかいとるものであっても、お金のとおとさというものは、それとは矛盾なく考えられるし、それゆえに、お札を大事に扱うくらいは、あたりまえの心がけのように思う。

● お札に込めた “ 稼ぎの尊さ ” を思えばそまつにできない。どんなお金であれ、お金の質に貴賎はなく、ありがたく使わせていただく。
  
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2014年08月11日

シャガール展・その2

 今回は イメージの伽藍―シャガールのモニュメント と称して、静岡市立美術館で開催された一味違うシャガール展を見に行った。

● 私(増澤)思いますに、パリオペラ座の天井画に見られるように、空中に浮遊しているような構成と、色彩の交響は大空間ドーム天井にピッタシのような気がする。そして、“ モニュメント(記念碑) ” としての大作に多くの画家を駆り立てたといっても良いだろう。
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◎ 第1章 祝祭の空間−色彩の交響:

長い間わたしは多少突飛な考えに取り憑かれてきています。ドンキホーテ的と思われるかもしれませんが、それが頭から離れないのです。壁画を描きたいという思いです。蒐集家用の小さな絵ではなく、壁画で思いっきり自分を表現してみたいのです。

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● 私(増澤)思いますに、次のステンドグラスに見られる、祈りとか夢遊性はこれ又画風にピッタシのような気がする。

◎ 第2章 精神の光−祈りの造形:

シャガールは、旧帝政ロシア(現在のベラルーシ)に生れたユダヤ人であり、ユダヤ教徒に属する。この連作で表現されたのも、ユダヤ教の聖典たる 『 旧約聖書 』 の物語。天地創造に始まり、ノア、アブラハム、モーセ、ョシュアを経て、ダヴィデ王、ソロモン王へと連なるイスラエルの民族の歴史であり、様々な預言者のたちの物語であった。
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● 私(増澤)思いますに、次に訪れたもの・・・晩年の恐いもの無しの心安らかな芸術精神が、いろいろのものへの挑戦意欲を湧き立たせたのであろう。陶芸、彫刻、レリーフ、タピストリーといった多彩な作品群が晩年のシャガールの生活を彩った。

◎ 第3章 南仏での安息−晩年の境地:

かつてはヴァイオレットに、イエローに、あるいは白に黒に夢中だったが、彼は今日青に夢中だ。フランスに戻ってきた今、彼は青がもつ透明な明るさの注釈者になった。シャガールはこの土地の中にしか存在しないあの純粋さ、最も麗しい夢たちがかたちになることで消え去る、あのコバルトブルーを再び見出したのだ。
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● 私(増澤)、そのうち閑居にて高校時代のように絵でも描いてみようかと思っている。

  
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2014年08月04日

成長から成熟へ

 ユーモアやウイットに富んだ批評でいつも気になっていたおじさん、CM天気図でおなじみの天野さんが先年亡くなった。
(表題の本、最後のメッセージから抜粋)


◎ 経済力にせよ軍事力にせよ、日本は一位とか二位とかを争う野暮な国じゃなくていい。
 「 別品 」 の国でありたいと思うのです。

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別品とは:

[ 昔の中国の皇帝は画家や陶芸家の品等を、専門のスタッフと相談してきめたらしい。一等=一品、天下一品の一品、で、以下、二等・三等ではなく、二品・三品で格付けした。その審査のモノサシでは測れないが個性的で優れているものを「 絶品 」とか「 別品 」として認めた。別品(別嬪(べっぴん))といったら関西では美人のことを指しますが、それは正統派の美女に対して、ちょっと別の、愛嬌のある美女等を別嬪と呼んだわけですが、ところが今は俗流化して別嬪といえば美人のことになってしまった。・・・哲学者久野収先生の話 ]


○ 『 私説 広告五千年史 』のまえがきより:

 犬がいかがわしい生き物だと、思ったことはありません。猫もそうだし、蟻もそうです。つまり、いかがわしい動物などというのはいないんですね。
 が、たったひとつだけ、人間というのはかなりいかがわしい生き物だという気がする。もちろん、それは自分を含めての話です。
 それはなぜだろうと考えてみると、やはり 「 ことば 」 というものを、それも複雑なシンボル体系としての 「 ことば 」 というものを、人間だけが持ってしまったからではないかと思うのです。
 何がいかがわしいって、この 「 言葉 」 くらいいかがわしいものはありません。だから昔の人は 「 不言実行 」 が大切だと言いました。雄弁は銀だが沈黙は金だと、雄弁より沈黙を上位に置きました。 が、「 不言実行 」 とか 「 沈黙は金 」 とかいうのも、ことばを使わなければ言えないわけで、つまり、ことばがあるから人間はいろいろ言ったり考えたりすることができる。逆にことばがなければ、人間は人間でなくなってしまうんですね。
 そう考えると、 「 人間はことばを使う動物である 」 という定義は、 「 人間はいかがわしい動物である 」 と言いかえても、別にかまわないんじゃないかという気がする。人間の歴史は、いかがわしい生き物たちの、いかがわしい所業の歴史と言いかえることもできるでしょう。
 で、人間の持っているそんないかがわしさを、一身に体現しているのが、実は広告いうものではないか、とぼくは考えています。ま、芸術や芸能も、祖先は広告と同じですから、それぞれ十分にいかがわしい。が、100パーセント濃縮還元のいかがわしさを持ったものと言えば、やはり、広告にとどめをさすでしょう。
 だから広告の歴史を考えることは、人間の歴史そのものを考えることになるんじゃないか、少なくとも、人間の歴史の一つの側面を考えることになるんじゃないかと、前々からぼくは思ってきました。


◎ 「 ほしいものはいつでも
あるんだけれどない
ほしいものはいつでも
ないんだけれどある
ほんとうにほしいものがあると
それだけはほしいとおもう
ほしいものが、ほしいわ。 」



● 私(増澤)思いますに、歪んだ世の中も、世の中。 受け入れて暢気に生きるしかない。

天野祐吉さんの辛口のコラムを聞けなくなったのが残念だ。
  
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心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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