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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2013年11月25日

ちょっといい話・その13

 「 この世に恋して 」 と題した曽野綾子さんの自伝小説を読んだ。

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● 気取りのない平易な話の中から、四つほど抜粋して伝えたい。

○ 旧約聖書の人々は、「老病死」を自分の犯した罪の罰だと考えていました。ですから神は怒りの神、ねたみの神であったのです。しかし、ユダヤ教の新興宗教として発したキリスト教はそこに百八十度の意味の転換をしたのです。罰を下す神に替わって愛の神、許しの神の概念を築きました。ですから聖書は私たちに敵を許すことを命じています。本当は敵なんて一度だって許すのは嫌なんですけどね。それなのに聖書は七の七十度許せと書いてあるんですよ。四百九十回ですか、まっぴらごめんと言いたくなりますね。でももしかしたら心の中でひそかに敵を許すことは、人間の一生をかけた偉大な仕事なんでしょう。

 よく信仰の中には現世利益を期待するものがありますが、キリスト教はまったくそうではありません。善いことをした人が東日本大震災で生き残り、亡くなった方がそうではなかったかというといっさいそうではないんです。その不公平がどうしてなのだろうと言う人がいますが、不審に思ったことはありません。
 現世で報われるため善いことをするのは、お茶のペットボトルを買うため自動販売機に百五十円を入れるようなものです。神はそうした安っぽい因果関係を望まない。報われてもそうでなくとも、やるべきことをやる。それが本当の信仰で、人間の美学なんです。そうした思想に軸足を置くことにしたのです。

● 私(増澤)、宮本武蔵が 「 神は信じる為にある、お願いする為にあるんじゃない 」と言ったとか言わないとか・・・思い出しています。


○ 民主党は「脱ダム」や「コンクリートから人へ」を揚げましたが、道路も橋もビルも学校も全部コンクリート。原発が失われた後、高価な化石燃料以外に基本的電力を支えてきたのも、やはりダムなんです。人もコンクリートもどちらも大事なんです。過去を安易に否定すべきではありませんし、大向こうに受けるような脱ダムなどという否定をするべきではありませんね。
 ただ、菅首相が就任時に「最小不幸社会」を目指すと言ったのはよかった。政治家は「安心して暮らせる社会」と言うけれど、不安なく暮らせる社会などというものはあり得ない。この言葉を口にする政治家はすべてうそつきか、人生を見ていない人ですね。たばこを吸わず、空気のきれいな海辺で暮らした人も肺がんになるんですから。人間は安心して暮らすことはできない。しかし、 「 不幸を最小にする 」 というのは正しい目標なんです。

● 私(増澤)、だから社会保障の仕組み、保障が必要なんですね、最小不幸の受け皿として・・・。しかし、仕組み作りの原資は経済の発展に負わざるを得ないのではないでしょうか。


○ 「 平和は願いさえすれば実現する 」 と考える人もいるようだけれど、それもまったくの絵空事ですね。内戦の国を見れば、そんな空疎なことは言えなくなる。血を流す覚悟をするか、辛くなるほどの大金を出すか、どちらかの現実的な行為を担保に手に入れるものです。
 つまり現在の日本人には勇気と信念がないんです。その二つは私から見ると人間の 「 香気 」 のようなもので、その人の生き方をみているとふっと匂うように感じられることがあります。でもそれに気づいたとは一切言いません。でもそういう方には心の中で深い尊敬を抱き続けています。しかし多くの日本人は香気どころか、今は自分の身を守ることで精一杯です。自分に災難が及ぶかどうかが最大の気がかりで、その貧乏くじさえ引かなければ、日本の将来なんて考えないでしょうね。もちろんその気持ちはよくわかりますけれど、その程度の人物と思われて死んでいいものかどうか、私はまだ未練を残しているんです。

● 「 香気(こうき) 」 いい言葉ですね。


◎ イタリア語で 「 Come stata ricca la miavita 」
コーメ・スタータ・リッカ・ラ・ミーアヴィータ という言葉があるのだそうです。 “ なんて私の生涯は豊かだったんでしょう ” というような意味で、ごく普通の生活者が日常的に小さな感動持ったときに。呟く言葉だそうです。
人は、大きな家屋敷を持ちたいとか、上流階級になりたいとか、そうした望みを持つこともあるでしょう。でも、そんなこととは関係ないよ、俺の人生も結構なものだったよ、というのが、この言葉の意味のようです。  

● 神に生かされている日々、人生。・・・感謝の日々。

そんな訳で、 俺の人生もまあまあかな!


  

Posted by masuzawa05 at 09:02Comments(0)

2013年11月18日

空間を断面で考える

 これからの宿空間は、使い勝手を平面機能的にペラッとした感覚で捉えるのではなく、常に断面で考える。空気を入れた間の空間をつなぎ合わせることで、想いが息衝く(いきづく)。つなぎ合わせたりちょっとずらせたり、そして新しい形が生れる。

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そんな時、服飾デザイナーの山本耀司(Y‘s)さんはそのあたりをこう表現し、述べています。

◎ 僕は必ず体と服の間に微妙に空気を入れている。つまり僕の服には間があるのです。

「 行間(ぎょうかん)を読む 」 というような意味での 「 間 」 です。間の美学というのは、残念ながら日本にしかない。これは誇るべき美学なのかもしれない。

音楽でいうと、黒人の生んだブルースなどが代表作ですけれども、彼らが一番大事にする 「 グループ 」 、日本語で 「 のりがいい 」 とでもいうのか。楽譜には表すことができず、その感受性のない人には届きにくい感覚です。
 だいたい優れた音楽というのは、ちょっとコンマ何秒遅れて音を出したり、ちょっと早めに音を出したりしている。ずらし や ずれ、狂いとか。それは僕が大事にしている 「 間 」 と似ています。

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 そして、黒は何色ありますかとの問いに:茶系の黒と緑系の黒、それから墨から来た黒。



● 私(増澤)今、SOUL・FULL な宿をつくりたいと思っている・・・衣服と体、心と肉体、建築空間をうねるように流れる情念、間の美学。
空間もちょっとズレていたりすると、カチカチと堅くなくホッと安心、リラックスすることがある。完璧よりもフィーリング、そんな境地に早く達したいものだ。

  
Posted by masuzawa05 at 09:12Comments(0)

2013年11月11日

クロワッサンで朝食を

 年を重ねてもなお新しい人生を始めることができる

 原題はフランス語で Une  Estonienne a  Paris (パリのエストニア人)
英語で A LADY IN PARIS (パリの御婦人)と言う題の映画。
 
“ 男と女そして老い、 エストニアとフランス・パリ ”
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 監督・脚本は イルマル・ラーグという45歳のエストニア人。彼はこう述べています。

 この企画の根底には、ひとりの女性の人生が反映している。僕の母の人生だ。母は50代のころに離婚を経験した。僕をはじめとする子供たちもすでに成人してそれぞれの人生を歩んでいたこともあり、離婚後、母はひとりきりの人生に孤独を感じ、少しばかり鬱状態に落ち込んでいた。そんなときだった、エストニア出身でパリに住んでいる裕福な女性の世話をしないかという話をもらったのだ。パリに行って、やがて戻ってきた母は、見違えるばかりだった。それが、この映画 『 クロワッサンで朝食 』 のもとになった。

( *エストニアはラトヴィア、リトアニアと並ぶバルト三国のひとつでもっとも北に位置する。現在の人口は136万人ほど。その歴史は複雑な変遷をたどっており、19〜20世紀には、ロシア、ナチス・ドイツ、そしてソビエトによって絶え間ない支配を受けたにもかかわらず、自国の言語と文化を守り通してきた歴史が、エストニア人の誇りでもある )



◎ 老女・フリーダ: ジャンヌ・モロー演じるエストニア出身80歳代、パリに住む富豪の老女。シャネルスーツに身を固め、好き嫌いの激しいわがまま者。今は部屋に閉じこもりぎみ。
朝食はベッドで摂るベーカリーで焼いたクロワッサンとティーと少々のチーズ。それが定番。

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◎ 家政婦・アンヌ: ライネ・マギ演じる50歳代の女。雪深いエストニアの田舎町。アンは、夫とも離婚し子供たちも巣立った後、2年間介護をした母が息を引き取ったときには、心身ともに疲れ切っていた。母の葬儀も終わり、抜け殻のように部屋で物思いにふけっていると、一本の電話が鳴った、パリで暮らすエストニア人の老婦人が世話係を探していた・・・・・。憧れのパリ・・・着いてすぐ、何も知らない彼女は朝食にスーパーで買ったクロワッサンを出すのだがフリーダは当然のことのように何も手をつけない・・・・・。その訳を、ステファンから後で聞くのだが・・・・。

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○ 空港に迎えに来てくれたのはステファンという同年代の男性、案内されたのはパリ16区の高級アパルトマン。何かあったら経営しているカフェへ連絡するよう言い残して帰っていった。


◎ 男・ステファン: パトリック・ピノー演じる50歳代のカフェの店主。フリーダの面倒を見ている。

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○ ステファンはフリーダの息子かと思っていたのだが、話が進むにつれフリーダの若い恋人で、彼女がカフェを出させてやっていたのがわかった。いまだにステファンを深く愛していて、彼が訪れると彼女の心が華やぐ。

アンヌの憧れていたパリの日々が複雑に、かつ淡々とつづくのだが。

ある日、フリーダは訪れたステファンから家政婦アンヌの移り香を感じ、二人ができていることを知る。

ステファンとアンヌにとっては、心の隙間を埋め合うには充分な年齢とシチュエイション、めぐり合わせであった。

そしてフリーダ、同郷出身のアンヌとステファンに老いゆえの最後の許しをする。


● 私(増澤)思いますに、クロワッサンとカフェオレではなく、クロワッサンと紅茶なのもいい。
三人がそれぞれに主人公のように感じる役柄が割り当てられていて一本で三本分のお得感。
監督彼自身の母に対する賛歌である。

老いらくの恋を隠さず、淡々と描く感性に脱帽である。

だれもが、生きているうちが花なのだろう。哀切さの中に華やかさを秘めた物語はまるでパリの街のように薫る。
  
Posted by masuzawa05 at 09:57Comments(0)

2013年11月04日

2020年 TOKYO・オリンピック開催決定 雑感

「 今、ニッポンには この夢の力が必要だ 」

招致のためのキャッチコピーである。

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東京開催は喜ばしいことなのだろう・・・、私自身の生活に何の不都合もないのだが。
 
 メインスタジアムの監修者がコンペで決まった。

私が唯一の日本の良心と尊敬する建築家の槙文彦さんが、メインスタジアムのコンペに参加しなかった理由 ( その土地の成り立ちや歴史からスケールアウトしていて、景観・自然保護に対しての配慮に欠ける ) 等を読むにつけ、招致レースの馬鹿騒ぎもあって、どうしたものかと思ってしまう。もっと後々のことを考えてコンパクトな施設と合理的な運営を企画したらどうだろうか。
人口縮小、高福祉、高文化度な縮小国家を目指さざるを得ない、これからの日本に於ける序章としてのオリンピックの開催であれば、違う選択肢があり、それゆえの意義があるように思えるのだが・・・。

そして、キャッチコピー後の政府の本論はこう続く。


オリンピック・パラリンピックは夢をくれる。

夢は力(生きがい)をくれる。

力(生きがい)は未来をつくる。

私たちには今、この力(生きがい)が必要だ。
ひとつになるために。

強くなる(正しくある)ために。

ニッポンの強さ(正しさ)を世界に伝えよう。

それが世界の勇気になるはずだから。 

 アピールとしては分かるが、いまどき 力や強さ ではないだろう! そう思って括弧書きを入れさせてもらった。

世界の勇気になる為には

‘ 力 ’ より ‘ 生きがい ’
‘ 強さ ’ より ‘ 正しさ ’ 

 生きがいは力を生み、正しさは強さを生む。

 大震災による津波は力強い人工物を破壊し、人々の心に生きとし生けるものに必要な人間の “ 絆 ” をもたらし、 「 生きがい と 正しさ 」 を問いかけているように思える。
世界は夢ではなく希望という生きがい、公平・公正という正しさを求めているように思えてならない。


スポーツの原点に還って考えれば、忘れてはいけないもの、それは 心・技・体 に言い表せる 「 バランスのとれたオリンピック 」。

平和・友好・スポーツマンシップという枠組みでは、以下に挙げる三つのことが気になっている。

一、 仮に夢は力をくれるのであれば、夢の欲しい国は他にも沢山あるだろう。
一、 スポーツはもっとシンプルであるべきで、豪華なスタンドなど無くてもできる。そうすれば、開催できる国はもっと増える。
一、 ヨーロッパとアジアの接点であるイスラムの国イスタンブールが今どき適地だと思っていた。
 気配りの出来る日本人にとって、遮二無二な誘致レースは国際的な気配りが欠けているようにも思えた。

 東京開催により、首都圏のインフラ整備は進むだろうが、東日本大震災地のインフラの整備は遅れ、ガレキの処理に関して言えば、日本中が二つ返事で手を挙げると思っていた。こういう時にこそ日本人の絆が発揮されるべきだと思うのだが、あれこれ理由を挙げて断ったりして、遅々としている。 特に福島の被災地退避住民の定住地問題はまったく進んでいないとの新聞記事に心が痛む。
わが事務所でも、原発汚染で継続居住が出来ない、双葉町の造り酒屋の転地再生計画を土地提供者と共に、とっくの昔にしたのだが、生活の為の営業施設さえ止まったままで前進がない。最優先で国・県が融資すれば済むことなのだが。

どういうことだ 日本人! なさけない!!

 オリンピックの力を借りなければ、日本人の元気さと、経済発展、震災復興が前に進まないような雰囲気があるが、それは被災地に対して失礼だと言わざるを得ない。それは正しく政治の貧困でもある。

 今のニッポン、オリンピックというこの夢の力が必要だ! というのは解からないでもないが、そのことに頼るというのではあまりにも情けない。
冷静に世界に目を向ければ、手放しで浮かれてばかりはいられない気がするのは私だけであろうか。

 輝きに満ちた未来に向け、オリンピックを挿みつつ、 『 美しい日本を取り戻す 』 にはどうしたら良いか、皆で考えるには良い機会かもしれない。
  
Posted by masuzawa05 at 09:00Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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