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増澤信一郎の心模様

2013年07月29日

 数奇屋考・その7 「 陰翳礼賛 」

● 数奇屋については 『 闇 』 を語らずしてなんとしょう。
久しぶりに谷崎潤一郎の 「 陰翳礼賛 」 を読む。

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◎ われわれが住居を営むには、何よりも屋根という傘を拡げて大地に一廓の日かげを落
し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。もちろん西洋の家屋にも屋根がない訳ではないが、それは日光を遮蔽するよりも雨露をしのぐための方が主であって、蔭はなるべく作らないようにし、少しでも多く内部を明りに曝すようにしていることは、外形を見ても頷かれる。日本の屋根を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。しかも鳥打帽子のように出来るだけ鍔を小さくし、日光の直射を近じかと軒端に受ける。けだし日本家屋の屋根の庇が長いのは、気候風土や、建築材料や、その他いろいろの関係があるのであろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。
われわれは、それでなくても太陽の光線の這い入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたり一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透かしてほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線にほかならない。われわれは、この力のない、わびしい、果敢ない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。土蔵とか、厨とか廊下のようなところへ塗るには照りをつけるが、座敷の壁は殆んど砂壁で、めったに光らせない。もし光らせたら、その乏しい光線の、柔らかい弱い味が消える、われ等は何処までも、見るからにおぼつかなげな外光が、黄昏色壁の面に取り付いて辛くも余名を保っている、あの繊細な明るさを楽しむ。我等にとってはこの壁の上の明るさ或はほのぐらさが何物の装飾にも優るのであり、しみじみと見飽きがしないのである。

 そして “ 美 ” についてこう述べている:

「 美は物体にあるのではなく、 物体と物体との作り出す陰翳のあや、 明暗にあると考える 」


● 以前、いにしえの公家や源氏物語の女性たちは眉をそり落とし、そこに白い繭玉のような眉を描いていたのは、暗がりの家の中での目印であったという話を聞いたことがある。昔は闇が世の中を支配していた。
● 志村けん演じるバカ殿の白塗りメイク顔も、史実から来ていると思えば笑えない話となる。


○ また谷崎は “ 宿 ” について こうも述べている:


「 若い時分には洋式のホテルも悪くないけれども、年をとるといろいろな点で日本宿屋がなつかしくなる。私なども、ひとしきりホテルのない地方へは旅をしなかったほどであったのが、今はその反対に、多少の不便を忍んでも日本風を選ぶようになった。いや、その不便を忍ぶところに言いしれぬ旅情を覚えるのであるから、あまり行き届きすぎた、都会風に気の利きすぎた待遇も、合理的な間取りも、却ってどうかと思うのである 」

● 谷崎さんの言、云い得て妙である。清潔な畳の上に伸びをしてゴロッとするのもいい。 真夏の夕間暮れ縁側に座り、冷え冷えの水割りを飲るのもまたいい。

えもいわれぬ、旅人をひきつける魅力の宿・・・創らねば。



◎ 陰翳礼賛の解説文を吉行淳之介が後日書いている中から、二つほど紹介します。


一、 このごろの芸者には日本髪の女はほとんどいないが、節分とか燈籠流しの日には昔ながらの姿を見ることがある。そういうときに、私が最も厭な気分になるのは、真っ白に塗った顔から覗く歯が黄色くみえることである。不潔に思えるし、薄気味悪いし、美しくない。 
「 陰翳礼賛 」 を途中まで読んだときに、気がついた。芸者のあの化粧は、わが国の照明がまだ燭台とか行燈によっていて部屋が仄暗かったときのものにちがいない、ということだ。つまり仄暗さのなかで効果が出て、美しくみえる化粧法である。

二、 西洋人の老年の死は、巨象が老いて大きな形のまま衰えてゆき、やがて‘どたり’と倒れるという感じである。日本人は、植物が枯れてゆくような死に方になる。これは、抜きがたい体質の違いだが、その体質からそれぞれに美点欠点が引き出されてくる。要するに、日本人の体質に深くかかわり合う 「 陰翳 」 というものについてのユニークな意見を述べたものが、この作品である。



● 私(増澤)が子供の頃、夕暮れから漆黒に染まる暗闇のグラデーションが有った。そして、季節ごとの感性を刺激してくれた。

夕闇迫る野っ原で、木っ端を空に投げ上げると、それを餌と間違えるのか蝙蝠が地面すれすれまで追いかけ舞い降りてくるという遊びをしたことがある。
遊びが飽きた頃、辺りは闇に包まれる。

 ウサギ小屋のような、納屋を改造した粗末な造りのわが家と母屋とをつなぐL字型の中庭には、大きな夏蜜柑の木が茂り、完熟な実りを待たずにもいで食べたりもした。 近くの大きな洞のある椎の大木にはフクロウが毎晩物憂く鳴いていた。
夏は、蝙蝠が飛び始める夕闇と共に風向きが変わり、海に向かう陸風が海水浴で火照った頬をなで、闇のおとずれとともに、裏手の石積み護岸に掛かる、木造一枚板のコンニャク橋の下で蛍が乱舞し始める。

なつかしいセピア色の思い出・・・・・闇にまつわる記憶。
  

Posted by masuzawa05 at 09:30Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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