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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2013年06月24日

服飾デザインと広告デザイン そして建築

 ジョルジオ・アルマーニは服飾デザインを語る際の キーワードをこう述べています。


「 過剰ではない慎みの中に存在する美しさ 」 や
「 シンプルなラインから紡がれる純粋なエレガンス 」

              
● 美しい言葉の衣を纏ったデザインのしたたかさがそこにある。と、私 ( 増澤 )は思っている。 そして

  優雅な清楚さ; 白髪のジバンシーの優雅さと、オードリー・ヘプバーンのキュートさにもしびれる。



● 私と同い年であるコピーライターの 仲畑 貴志さんは広告デザインについて日経の文化蘭 「 時代と広告のまわり 」 でこう自問している。

◎ 広告表現は文化だろうか。広告は商業活動の表現だから、ビジネスそのものである。しかし、商品作りとしてのファッションが、生活文化となることを見れば、文化を形成する要因であることは間違いないようだ。

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 「 四十数年も広告屋をやっていて、よく飽きないね 」 といわれた。広告をこさえていて飽きないのは、常にゼロベースから考える仕事だからである。企業も商品も、人々の生活もすべて移っていく。すべて流れゆく中で、作者であるわたし自身も流れつつ表現するのである。嘗ての成功例にとらわれていては良き効果を得ることは出来ない。いつも、その先を求めるのだから、飽きている暇がないのだ。
 しかもお医者さんでいえば外科も内科も神経科も診なければならない。企業と話し合うまでは、どのような処方が効果的であるかわからないのだ。内科的問題で依頼されたが、商品の機能や装備には問題がなく、デザインに改良の余地があったりする。この場合は整形外科的視点から仕事を始めることになる。
 広告表現は、何をいうか(訴求ポイント)を設定し、それから、如何にいうか(表現手法)へと進める。かつて品質が勝負だった頃は良いか悪いかで選ばれていたが、均質化した現代では 「 好きか嫌いか 」で選ばれる。結果、好きになってもらうためのイメージ訴求型となった。
 つぎに、 「 如何にいうか 」がむずかしくなってきた。コマーシャルの爛熟から、下心が見えてきてしまう。どんな技を見せようと、 「 売りにきたんでしょ 」 とバレている。結果、広告はウケても商品は売れない。
 そこで、「 何処でいうか(接触の場) 」 「 どう設計するか(仕組み作り) 」が重要になった。消費者の態度の変化に加えて、インターネットの拡充ゆえである。既存のメディアではなく、肉薄する接触法の開発が必要ではないか?と発想する必要が生れた。

 「 アカウンタビリティー 」 と会議で言う人がいて 「 それなに? 」 と聞いた。「 説明義務 」と答えた。 「 んもう、そんな簡単なこと、日本語で言おうよ 」 私は言った。
 しかし広告屋はなぜカタカナを多用するのだろう。たとえば 「 コンセプト 」 会議で幾度となく発せられるこの言葉の意味は実にあいまいである。まさか 「 概念 」 ではないだろう。 「 商品の価値の発見だ 」 という人がいる。 「 広告の中心となるアイディア 」 という人や 「 商品と人、商品と生活にまたがる橋のようなもの 」 という人もいる。 「 ある商品の価値を、消費者の手に届けやすくするトンチだ 」 という人もいる。わたしは、 「 効率よく売るための工夫 」 ととらえている。いずれにしてもこれほど意図の定まらない言葉は使わないほうが良いのではないか。共通同一の語意を持たなければ精妙な会議は成立しない。

● ちなみに 私(増澤)、 “ ひそかに自分がやりたいこと ” と思っている。


● 私、思いますに、広告宣伝でイメージをふくらます言葉が消えて、直接ネットで物品を映像で検索し購入する。見ての通りそのものズバリの商品ではあるのだが、手にしてみるとイメージと違っていたりする。実物を手にとって見なくて良かったのかと反省もする今日この頃であるが、意外な掘り出し物があったりした時にはわが感性にニヤリとする。しかしながら、実感感性が大切である。

かつてのように、イメージを膨らませ、広告の言葉の魔術に酔った上で現物を手にしての失敗は 「 ま、いいか 」 とパステルカラーのように許せるのだが、ネット上の失敗は原色でギスギスしてしまうことが多い。

ネットといえば後出しジャンケンで球団を手にした 三木谷 某は現代のある意味ヒーローだが、何事も先取りしたものの勝ち的な出世の仕方は如何なものか! そこの辺の慎みの度合いが肝心で、人間力が問われる。メールものべつ幕なしに飛び込んできて不快極まりない。

そして、小松の建設用重機の業績がいいからといってもてはやす今日この頃。日本国内の需要が減り発展途上国に向かっただけのことで、混沌とした今どき、新産業に革新的大物の登場が望まれる。 もちろん乗り遅れた門外漢の呟きではあるが・・・・。

他にも、 「 月の屋 」 グループ。地方の有名旅館で立ち行かなくなった施設をファンドと組んで経営する。施設はそれなりに良いのだから、ビジョンを語り、人的効率化、設備の省エネ化を計れば、設備投資資金が少ない分、必ず成功する。

昔から、地方には地方なりの地元志向の宿があって、ローカルな 「 お晴れな場 」 としてうまく回っていたのだが・・・設備投資資金の過剰か、商品計画の失敗か、どうなのか、凹んでいるのが気がかりだ。
時代の流れに翻弄されずに舵を取るフットワークのよさが必要なのだろうが・・・・・どうしたものか。

小さくても自分の資金で設備投資し、経営に工夫して頑張っている宿を応援したい。

話し変わって、アマゾン! 私のことを知っているかのように、購入書籍のリスト、お勧め本が出てくるシステムは分析力が素晴らしい、送料が無料で翌日届くものが多いのもありがたい。

先日、建築構造家の 金箱さんの講演を聞いた。彼の師匠の話としてこんなことを教えられたという 「 君ねえ 構造家は飛んでいる鳥を見て、それを撃とうとしての解決策を出してもだめなんだよ、鳥の飛んで行く先を撃たなければ当たらないんだよ 」!・・・  なるほどと、先をよむこと、思いを巡らすことの重要性を感じました。


たとえば宿、ネットの写真映りの良さに引かれて訪れてみると、たいしたことは無いものが多く、詐欺師のようで、我がことのように反省しきりである。
フォトジェニック賞と呼んで、冷笑しているが、安易な受け狙いの広告写真は問題だと思っている。いずれ化けの皮ははがれる。
空間の良さは “ それなりに ” にしか表れない。それなりのものを、 “ それ以上 ” に見せようとするから間違える。

自分の仕事に戻って考えてみると、旅館の在り様は自然との取り合いの中で、とことん誠意を込め、あれやこれやと思いをめぐらせた後、大自然に嵌め込んだ建物の形態と、削り込んだシンプルな内・外部一体となった空間が一番だ。
和食が世界に広まったように、自然との共生を目指す数奇屋建築がこれからの世界の主流になると確信している。


心を尽くして後、残ったデザインは 「 過剰ではない慎みの中に存在する美しさ 」 を秘めている。 それを目指したい。
  

Posted by masuzawa05 at 09:15Comments(0)

2013年06月17日

ポール・セザンヌ 展

● 有名な割にはこれだ!という記憶に残る作品も無く、名前だけが一人歩きしていた。そんな混沌とした気持ちのまま、私にとってのセザンヌをもとめて国立新美術館に出掛けた。

多分、モネやルノアールと混同していたきらいがある。印象派と一括りしていたのだが、初期の稚拙さから、風景画を経て、静物画、晩年の肖像画の傑作に至る過程をつぶさに眺めてみると、確かにセザンヌがいた。そして静物画のりんごの旨そうなこと。

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◎ 一つにとどまらぬ世界像 人の評価よりも信念を貫く。


○ 機―藉 ( The early Years )

 セザンヌの画業における最初の10年間は、「 ロマン主義 」と形容される場合がある。のちにセザンヌは、もっと強烈な言葉で、いわばまさしく肉欲の荒々しさを表現する 「 クイヤルド(睾丸の大きな、の意) 」 とこの時期を呼んだ。多くの場合、カンヴァスの陰鬱さの原因になっているのは絵の具の厚塗りである。


 女神の接吻(The kiss of Muse )―詩人の夢

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 林間の空地(Vacant Land through a Forest)

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 パンと卵のある静物(Still Life with Bread and Eggs)

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 サント=ヴィクトワール山と水浴の女たち(The bathers in Front of Montagne Sainte –Victoire)

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 ジャス・ド・ブッファン 春>夏>冬>秋

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○ 供”景 ( Landscape )

 安井曽太郎曰く: パリでセザンヌを初めて知った安井はすぐに理解できなかったが、数年後に別の展示を見たときには衝撃を受け、後年こう記した。 「 その辺の景色や、道行く人なんか、皆セザンヌの絵に見えました。自然はセザンヌの絵の連続で、それだけ忠実に写実せられたのに驚き感心しました。(中略)それが一生懸命に全力をもって描かれてあることがよく見えます。そしてその態度に敬服します 」


 首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ(The House of the Hanged Man ,in Auvers-sur-Oise)

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 ベルヴュから見たピロン・デュ・ロワ(The Pilon du Roi,Seen from Bellevue)

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 田舎の家( House in the Country)

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 サンタンリ村から見たマルセイユ湾( The Gulf of Marseille Seen from Village of Saint-Henri)

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 ジャス・ド・ブッファンからの眺め(View by the Jas de Bouffan)

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 風景( Landscape )

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 ガルダンヌの村( The village of Gardanne )

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 葉を落としたジャス・ド・ブッファンの木々( The Bare Tree at Jas de Bouffan )

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○ 掘/搬( Body )



パリ: 裸体の誘惑
 1870年から77年にかけてセザンヌは、男性の視線に晒された、時に恐ろしい誘惑者としての女性の身体を通じ、エロスをさまざまな角度から探求した。


 聖アントニウスの誘惑( The Temptation of Saint Anthony )

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 永遠の女性( The Eternal Feminine )

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 ナポリの午後( Afternoon in Naples )

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 ピクニック (草上の昼食)( Luncheon on the Grass )

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 草刈人(裏面:鍬を持つ男) ( The Reapers(Verso: A Reaper )

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 舟にて ( On the Boat )

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水浴図:

 3人の水浴の女たち ( Three Bathers )

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 水浴群像 ( The bathers )

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○ 検‐啻 ( Portrait )

 セザンヌは、ピサロやモネといった印象派の友人たちと異なり、肖像画というジャンルに生涯を通じ取り組んだ。


 赤い肘掛け椅子のセザンヌ婦人( Madame Cezanne in a Red Armchair)

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 ヴィクトール・ショヶの肖像( Victor Chocquet seated )

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 アンブロワーズ・ヴォラールの肖像( Portrait of Ambroise Vollard )

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 坐る農夫 ( Seated Peasant )

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 庭師 ヴァリエ ( The Gardener Vallier )

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● 私(増澤)、肖像画に登場する町の人々を見ていて、近頃亡くなった彫刻家・佐藤忠良さんの農夫のブロンズ像を思い出していた



○ 后\妬 ( Still Life )

 セザンヌのりんご: 伝統的にセザンヌは 「 りんご 」 に結びつけられてきた。この果物は彼の作品の象徴となっているほどである。確かに、批評家にして執筆家であったギュスターヴ・ジェワロワが、1894年、「 りんご一つでパリを驚かせたい 」 という彼の発言を伝えたのは当然のことであった。又ある人は 「 りんごの画家 」 と彼を称した。


 開いた引き出しのある静物 ( Still life with Open Drawer )

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 りんごとナプキン( Apples and Serviette )

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 骸骨と本 ( Skull and Book )

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 青い花瓶 ( The Blue Vase )

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 りんご、グラス、瓶 ( Apples,glass,bottle )

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○ 此“嫻 ( The Last Years )

 彼が晩年、不朽の名作の多くを作り出したのは、まさしくこの場所である」
それは、プロヴァンスのレ・ローヴのアトリエである。


 5人の水浴の男たち ( Five Bathers )

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 サント=ヴィクトワール山 ( Mont Sainte-Victoire )

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 庭師ヴァリエ ( The Gardener Vallier )

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● 落ち着いた、危うさの無い、完成された美しい心の領域を感ずる。
色がクリアーできれいだ。

妥協することなく求め続けた彼自身のオリジナルな境地、やはりセザンヌは凄いと私の中で位置付けられた。

  
Posted by masuzawa05 at 14:49Comments(0)

2013年06月10日

TV 考

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● 最近のTV番組が面白くないと常々思っている。大きめのTVに買い替えたこともあって、元々好きだった “ 自然もの ” にはまっている。

 BSチャンネル;世界の街歩きや、日本の田舎、船旅、漁、アフリカの野生動物達、世界の人々の素朴な営み・・・・・美しい自然。 自然にはウソが無い、海や山の動植物の生態や人々の暮らしを見て、心が安らぎのびやかになる。

 わが家ではこれらを総称して “ 自然もの ” と呼んでいる。おもしろそうな番組を探しあぐねていると、最後はそこにたどり着く。
考えてもみれば我々人間なんて新参者で、自然や動植物たちの世界に最近入れてもらったわりには、やけに威張っていて鼻持ちならない。今更やめるわけにもいかないので、多少の悪あがき度合いは大目に見てもらって、仲間に入れてもらおうと思っている。

 宇宙レベルでみても、この地球は大宇宙・銀河系の塵程度のもので、か細くたよりなく、ほんの小さな気候の変化に、涙し、おののく、繊細な感性を持ち合わせている。

たまたま大昔、他の惑星がこの星にぶつかり、地軸が傾き、それゆえに四季の変化をもたらしたと、ものの本に記されている。私の頭では難しく到底理解できないのだが・・・かくなる上は地球を世界遺産 ( 宇宙遺産!? )にすべきだ。
 そんな訳で、力の及ぼし難いあるがままの姿に感動し 『 自然もの 』 に思いを馳せるひと時が好きだ。


 ところで 「 地デジ 」 ということば、美しくないのだが、そちらに目を転じればお笑いタレントの総動員、品がなく馬鹿馬鹿しいこと極まりない。TV局も安く使って番組作りと思いきや、結構なギャラを貰っていると聞くに及んで、安易過ぎないかい!? と疑問を呈しつつ、一部のタレントの親が生活保護を受けているという事実を知るにつけ、善悪以前に、安易に施しを受ける姿勢に怒り、この国の正義のあり様に愕然とする私です。

美しい所作や、思いやりの心、香り高き文化を育んだ自然への崇拝の気持ち、見返りを求めず己を高める清貧の思想・・・・。
漢字につながる対岸の国々 ( 中国、韓国etc ) から受け継いだ文化を是々非々とし、しっとりとしたオトナの心で、それらを凌駕した先人たちの矜持に、今正に答えなければならない。


 そんな折日経の春秋にこんな記事が出ていた:

○ 「 テレビは今も暮らしに欠かせない。けれどオトナの鑑賞に堪える番組はいよいよ少なく、コドモだってだんだん見なくなっている。 『 高学歴タレント 』 が教科書知識の競い合いを演じてくれても教養とは縁遠く、笑えるはずのお笑い番組もさのみ面白くない。受像機が売れなくなった一員はそこにもあろうか。」

● たしかに高学歴タレントが、そういう番組に出ているというだけで色あせて、ペラペラに見えてしまう危うさ・・・・・。


● 例えば、オリンピック柔道。ポイント稼ぎのチョコマカ技に翻弄され、スポーツの型として相手の目も見ずに、組み手も取らない世界柔道は異端でしかあり得ない。まるでレスリングか軍鶏の喧嘩である。加えるに連盟は世界ランク制を導入し、いろいろの大会を連戦しなければならないという縛りのほかに、ランクによっては出場さえ危ぶまれるという。柔よく剛を制すという心の技を見せてほしい。
かくなる上は世界柔道から脱退し、日本柔道として真っすぐ一人歩きすべきである。といきまいているのだが、足取りダメとか、主審一人ジャッジとか、ビデオ併用判断とか、いろいろと改革が行われ、本来の日本柔道に近づくようだが・・・取り敢えず良し、としようか。

● 少子高齢化・円熟文化の低成長社会に向かう一里塚としての今の日本、社会保障と消費税等の一体改革には異論は無いのだが、日本人よ、主張すべきはキチット主張し、もっと賢明に感性豊かに、世界から笑われないように爽やかに生きようではないか。このままでは日本人総馬鹿になりますよ。
  
Posted by masuzawa05 at 09:13Comments(0)

2013年06月03日

かんなみ仏の里美術館 

 伊豆半島の付け根・箱根へとつながる函南町桑原区では、平安時代 ( 817年 ) 新光寺の本尊であったと伝えられている「 薬師如来像 」や鎌倉時代の 「 阿弥陀三尊像 」 など、二十四体の仏像群が、里人の厚い信仰心によって守られてきました。

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◎ 堂としてのたたずまい
新しい 「 心の拠りどころ 」 を目指す、とありました。



○ 薬師如来坐像 ( 薬師経に説く、東方の浄瑠璃世界の教主。十二神将を従える )

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○ 阿弥陀如来像 ( 西方にある極楽世界を主催するという仏 )

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○ 十二神将立像 ( 薬師如来の従者 )

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○ 十二神将立像の一人 ばさら大将のアップです

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● 素朴な農民たちから長い間守られてきた仏像達。シンプルなお堂の形を成す、建築家・栗生明デザインの佇まいがぴったりで、好感が持てる。

しかしながら、仏像のなんと安らかな表情であろうか。

新たな心の拠りどころとして、多くの人が集う美術館として、近くに在って時折訪れてその凛々しいお姿に触れられる楽しみが増えた。



  
Posted by masuzawa05 at 15:25Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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