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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2013年03月25日

継続は力なり


 東京で創業100年以上の53店でつくる 「 東都のれん会 」 は去年、発足から60周年を迎えた。呉服、日本料理、履物など衣食住の様々な業種が集まる。江戸からの伝統を今に伝えようと励む店主や女将にとって、大きな心のよりどころとなっている。
 ( 以下 日経、文化より )

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 発足時のエピソードに、 「 老舗 」 の地位にあぐらをかかないぞとの意気込みを感じさせるものがある。
 会の名称を何にするかを話し合ったとき、ある店主が 「 老舗会はどうだい? 」 と提案したところ口々に反対されたという。 「 老舗かどうかはお客様が決めることで、自分たちが名乗るのは野暮じゃねえか 」 

 ● 言うことがなかなか粋ですねー


 各店はなぜ 「 老舗 」 と呼ばれるまで、長年にわたって 「 のれん 」 を守ってこられたのか。秘伝の味や製法を受け継ぐという技術的なことはもとより、先祖代々の心の教えを大切にしてきたからだと思う。

◎ 例えば・・・。


○ 楊子のさるやは: 「 細くとも長く続けること 」

○ かつお節のにんべんは: 「 諸芸を知らずとも恥ならず。家業を大切に精入れ、おごりを禁じ・・・・・ 」

○ うちわ・扇子の伊場仙は: 「 誠実に生き、多くの人々に貢献をする 」

○ 江戸前佃煮の海老屋総本舗は: 「 ハイという、素直な心。 すみませんという、反省の心。 お蔭様という、謙虚な心。 私がしますという、奉仕の心。 ありがとうという、感謝の心 」

○ 榮太樓總本鋪では: 「 味は親切にあり 」

○ 初代会長の山本海苔店の山本泰介さんの言葉: 「 伝統とは革新の連続である 」。のれんをただ守り続けるだけでは 「 古くさい 」 になってしまう。祖業の大切な核を残しつつ時代に合わせた新味を加えてこそ、のれんはいっそう輝く。


● 先日銀ブラをしていて、馴染みの小さな画廊の看板が消えていた。素敵な老夫婦だったのに。と思ったらすぐ近くにこぢんまりとしたお店を開いていて良かった。家賃や建物の耐震性に問題が有ったらしい。

● 石井建築事務所も私(増澤)で2代目、創業56年。 先年、3代目社長にバトンタッチした。


◎ 創業者 石井信吉のことば: 「 我々は他人様(ひとさま)の財産を作っている 」・・・ 心して設計に当たるように。
  

Posted by masuzawa05 at 08:59Comments(0)

2013年03月18日

野見山暁冶を見に行く


● かつて人に薦められてこの人の書いた本を読んだことがある。文も一流である。


言葉でもない、具体的な絵でもない、何か感性で見る絵、心が自由に放たれる。
色と形が渾然一体となったとおもえば、はたまた一人歩きする心象風景と色。
とめどないさすらいの魂・・・・野見山暁冶の絵。

   印象に残る名前、心に残る画家である。

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 ● そして、ジャンルがあるとすれば、何に属するのかと思い悩んでいたら、紙上にてこんな作品に対しての評伝が目に入った。 確かに言い得て妙である。

体感する音楽のような絵: 

『 野見山の表現の多くは抽象の範ちゅうにくくられるべきものでありながらも、不思議に 「 分からない 」 ということを感じさせない。何を描いたのか、なぜ描いたのかを問わずとも、線の動きや色彩の主張によってほとばしり出てくるものに身をゆだねていれば美を享受できる、音楽のような絵画なのである 』  

以下に私(増澤)が心に感じた作品を挙げてみた。


◎ 不安から覚醒へ



○ 自画像

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○ 澁谷風景

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○ 糸満

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◎ 形をつかむ―滞欧時代


○ 工事場

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○ 脱ぐ女

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○ 落日

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○ アンダルシア

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◎ 自然の本質を突きつめる


○ 蔵王

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○ 黄色い風景

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○ 近づいてきた景色

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○ 冷たい夏

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◎ 野見山さん曰く:
古代の人間が、洞窟の壁にその日その日の収穫や、他部族との闘争を刻みこんだように、そうして時には、皆でその壁の前に集まって、その歓びや興奮を共に分けあって飲んでもいただろう。それを展覧会だとぼくは思っている。



◎ 水彩・版画のコーナー


○ どこにいるのか

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○ 夕暮れ

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○ 忘れていたこと

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○ コーヒーを飲もう

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○ 季節がかわる

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○ 明日にしよう

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◎ 自然の本質を突きつめる


○ 風のたより

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◎ 響きあう色彩 ― 新作をめぐって


○ 言いたいことばかり

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○ 予感

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◎ 装丁・絵本のコーナー


○ 「 しま 」 どこにもいかないで

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○ 「 しま 」 ゆうひがうみのかいだんをおりてゆく

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◎ 洞窟の壁に刻み込む興奮は、いつの間にか枯れていったが、少年の日の不思議はつねにぼくをそそのかしつづける。ある年齢になれば、もう目の前の現象一切が消えて、暗がりの中でも構わずに、腕が動かせるものだと信じていた。

ぼくは年齢を重ねることなく、傍らで時が流れてゆくのを、ただ見ていただけだ。



○ 自画像

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● 読書・閲覧室で画集を括っていると、隣でことば少なにサインを頼まれたおじいさん、よく見れば野見山さんだ。私の母と同い年92歳、矍鑠たるものだ。

これくらいの歳になると、背負った荷が軽妙になるのだろうか、ゆったりふわふわ悠然と会場を浮遊していました。

 
こんな歳のとり方もいい。
  
Posted by masuzawa05 at 10:22Comments(0)

2013年03月11日

心に残る建築家の言葉・その32( F・Lライト )


旧・帝国ホテルの作品、そして粋な落水荘ゆえに、フランク・ロイド・ライトの作品と名声はゆるがない。
そして女性にまつわるゴシップはつとに有名であるが、私自身いざとなると彼の言行録を意外と知らないことに気が付いた。そんな訳で彼の著作 「 自然の家 」 をひも解いてみた。

◎ 私は信ずる: 家は芸術作品となることによって、単なる住まいを越える存在となる。

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○ 単純であることは勇敢なことである:

 有機的建築の本質的特性のひとつは、その自然な単純さである。それは納屋の横っ腹にあいた扉のような単純さとは違う。たしかに簡素であることは単純性のひとつのあり方ではあるが、私の言っているのは別のものだ。 『 単純性とは、そのものの本性の中にある本質的特質の直裁かつ明快な表現である 』 だから、あらゆる形に潜む自然で有機的なパターンは、真の単純なる形式である。
そして 
「 デザインとは自然の要素を純粋に幾何学的な表現手段によって抽象することである 」 と言い、一貫して自然と建築の共存を提唱し、有機的建築を数多く残しました。


○ 有機的建築: そして、自然であること

 有機的単純性は、見ようと思いさえすれば、そこかしこに現れている。それは、峻厳でありながらも調和した秩序の中で、意味のある個性をつくり出す。この秩序こそ、自然という名で呼び習わしているものなのだ。


○ プレイリー ( 大草原 ) 住宅の成長:


 例えばこんな具合

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 屋根勾配を低く抑え、鋭い軒を外周に連続して突き出し、軒下に窓と腰壁が連続して、水平性基調がいっそう強められている。腰壁を外側にずらせば、リビングポーチに相当する空間を自由に作り出すことが出来る。細長い帯状の要素が束になって走るかのような水平方向の延伸性。これによって住宅の造形は、固定した箱型のプロポーションから脱し、周辺環境に応じて自在に成長していけるようになった。 
 師 ( ルイス・サリヴァン ) が摩天楼を題材にして鉛直方向で行った試みを、ライトは水平方向に転換し、住宅の空間的造形に移行して行った。


● なぜか増築を繰り返し、イレギュラーに伸びやかな連なりを見せる桂離宮に似ていると思いませんか

● 彼の手懸けたプレイリー住宅の世界は自由奔放、日本の数奇屋に通じていると思える。又、大きな住宅の居間をロビーに、寝室を客室にすればホテル・旅館としても充分に使える。


○ 有機的建築と東洋: ヴァナキュラー ( 土着的建築 )の域へ

 東洋人は、その感覚を持ち続けているのであり、あらためて頭で考えるまでもなく、本能的にそのやり方で建物を建ててきたのである。彼らの本能は正しかった。

 得意の絶頂期にあった私の手元に、駐米日本国大使が送ってくれた、岡倉天心の 「 茶の本 」 を読んで私は次の一文に行き当たった。 「 ひとつの部屋の実体は、屋根と壁によって囲み取られた空間にこそ見出されるべきものであって、屋根や壁そのものに見出されるべきものではない 」 

 その一文に、私は自分自身を発見した。一人前のケーキなったとうぬぼれていながら、実はその生地にすら入れてもらえていなかったのだ。私はその小さな本を閉じ、道ばたの石でも蹴飛ばして、千千に乱れた気を取り直そうと表へ出た。

● 尊大のようにみえて、内に秘めた謙虚さはさすがだ。



● これは二十数年前に手懸けた茶寮 宗園のロビーです。

 赤茶の革の、私(増澤)が蟹のような椅子と呼んでいるライトの椅子です。カッシーナでいろいろ見ていたらたまたま見つけ、小ぶりですが似合うとピンときて、どうしても欲しくなり置いたものですが、旅館ではここだけだと思います。

土壁と木と障子の現代の日本旅館によく合います。

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Posted by masuzawa05 at 09:01Comments(0)

2013年03月05日

常識・強靭さ・強い頭


● 私(増澤)数年前から考えが有って、広告宣伝が多く、軟弱さと皮肉屋の朝日新聞を止め、産経新聞に替えた。朝日は興味本位の面白記事が多く、それなりの読み応えがあるのだが・・・・・どうもと思ったからだ。

産経とて特に面白いわけではないのだが、時たま意を得た正論が出る。それがいい。
新聞配達店は料金は結構ですのでどうぞと言って、夕刊だけは今までの朝日を無料で置いていく。会社では日経を読んでいる。

今日は啓蟄である:虫にはそれぞれ基準の温度があって、毎日の気温がその温度を超えた分だけどんどん足していくことで春の訪れを知るという。それが虫の「春の数えかた」だと動物学者・日高敏隆は書いた。今日は虫が冬ごもりからはい出してくるという・・・・・・・
(日経・春秋より)

 そんな訳で、様々な(右・左・中道・・・?)記事・コラムに目を通すことになるのだが、新保祐司さんの産経新聞の記事が目に留まった。 年頭にあたり 『 強靭な頭脳と精神こそ国難を救う 』 とありました。
 
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◎ 新保さん曰く: 
思い返せば、3年余りの民主党政権下の日本に生きていることが実に不愉快であった。「戦後民主主義」日本に生活していることがそもそも不愉快なことであり、だから、「戦後レジームからの脱却」を強く願っている一人なのだが、この3年余の期間はその不愉快さも極まったかの感があった。 (レジーム:rejime:政治体制)
 不愉快さのよって来る原因は、数え上げればきりがないが、「事業仕分け」とか「近いうち」といった茶番劇もさることながら、根本的には人間の卑小さばかりを見せつけられ、人間の偉大さや高貴さを示す事象が実に稀であったことである。日本人が日本に生きていることに誇りを感じさせることがなかった。そして、この民主党政権を選択したのが日本人自身であることを思えば、ほとんど国民の現状に絶望しそうになった。
 だが、待ちに待った総選挙で安倍晋三自民党が大勝したことで、何とか絶望しきることがなくてすんだ。これでうんざりすることも減っていくことを期待している。

● 話し替わりますが、暗い話題が多い中で、唯一の晴れ晴れしい出来事として、私(増澤)ならずとも、山中さんのノーベル賞は嬉しかった。


○ 新政権に期待することは、あれこれ具体的な政策というよりも前に、日本の歴史と伝統に基づく日本人の考え方の「常識」という大道を歩むことである。憲法改正も安全保障も経済政策も教育問題も、すべて日本人の「常識」から発想すればいいのである。逆に言えば、この3年余りの間ズルズルと続いた政権が、いかに非常識な考え方を振り回していたことか、ということである。亡国の悪夢を見ていたような気がする。
 近代日本の代表的な基督者、内村鑑三は、「武士道と基督教」のなかで「我等は人生の大抵の問題は武士道を以って解決する、

正直なること
高潔なること
寛大なること
約束を守ること
借金せざること
逃げる敵を遂わざること(追いかけてやっつけないこと)
人の窮境に陥るを見て喜ばざること

是等の事に就いて基督教を煩わすの必要はない、我等は祖先伝来の武士道に依り是等の問題を解決して誤らないのである」と書いた。政治は「人生の大抵の問題」の領域を扱うものである。そして、日本人の「常識」とは、「祖先伝来の武士道」を基盤としたものに他ならない。

○ 安倍自民党の公約に「国土強靭化」というのがあるが、確かに大震災への備えの必要やトンネル崩落事故などに露呈したインフラの老朽化は危機的な問題であり、それを解決していくために「国土」の「強靱化」は不可欠であろう。
 それにしても、「強靭」という表現はいい言葉である。強大や強盛をモットーとする国家と比べて、 「 強靭 」 という言葉には引き締まった語感がある。強大や強盛には張りぼて的な虚勢の悲喜劇が感じられるが、「強靭」には自らに厳しい節制がこめられている。  
 今年の日本は新たな門出のときを迎えるが、その重大な節目にあたって必要なのは、日本人の精神の「強靱化」である。尖閣諸島や竹島、あるいは北方四島といった領土問題や他の外交・安全保障の問題のような、「戦後民主主義」の安逸の中で眼をそらしてきた問題と堂々とぶつかる「強靭」な精神であり本質的な議論を避けない「強靭」な思考力である。

○ 小利口さではもはや通用せぬ時代にあって、「強い頭」これこそ今後の日本に必要なも
のである。教育改革の要諦も、ここにある。戦後の日本の教育は、「いい頭」に価値を置き、「強い頭」を持った人間を育成することを怠ってきた。自分で考えず、ただ回転の速い、整理能力の高い、要領のいい、といった頭を「いい頭」としてきた。
 しかし、こういう頭は、時代の風向きに敏感なだけの小利口な頭に過ぎない。戦後世界の中で小利口に立ちまわってきた日本も、もうそれでは通用しなくなった。いつの時代にもいる「新感覚派」的な小利口な人間たちが、日本をこんなありさまに引きずり落としてしまったのである。
 日本を再生させて内外の国難に取り組んでいけるのは 「 強い頭 」 に他ならない。 「 強い頭 」 とは、人間と世界の過酷な現実を直視する水平的な勇気を持つにとどまらず、その現実を貫く垂直的な希望を抱いているものだからである。



● まさしく正論である。
● 日本人が正しく豊かに生きるには 『 武士道 』 をもってすれば常識豊かな国民として世界に通用する。厄介なことにも目を逸らさず立ち向かうしかない。
日本人よ、胸を張って生きようではないか。

● 武士道を論じるキリスト者の著作を追って紹介しようと思います。
  
Posted by masuzawa05 at 08:58Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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