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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2012年05月28日

ブリューゲル版画の世界 展

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 展覧会の案内を見て、渋谷の BUNKAMURAザ・ミュージアム に出掛けた。 
私にとっては馴染みの薄い作家だが、以前目にしたバベルの塔の印象が深く、ぜひ実物を見たいと思ったからだ。

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 *ネーデルランド ( Neder Land ) とは: もともとは低地の意味で、現今のオランダ・ベルギー地方のこと。


● 以下の版画に見られるように、現代アニメの創始者か、はたまたヨーロッパの鳥羽僧正( 鳥獣戯画の作者 ) か! と私(増澤)思ってしまう。

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◎ 奇想の中に卑近な現実感 ( 日経文化欄より抜粋 ):

 「 ブリューゲル版画の世界 」 は、絵の中の場面やキャラクターをアニメに仕立てている。魚が魚をくわえて歩き回ったり、大食いの末、腹が垂れ下がった男がその腹を一輪車に乗せて運んだり。ごく簡単な動画だが、おかしなリアリティーがある。

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 しかも一枚の絵に人間と怪奇な生き物が同居したり、しんらつな風刺が利いていたりと奇想に満ちあふれている。にもかかわらず卑近な現実感がある。

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 版画の中には、一枚の小さな画中に詰め込まれたさまざまなシーンからストーリーを読み取り、再構成したら長大なアニメ映画や劇画になりそうな高密度の作品が少なくない。それほど奥深い想像力が駆使され、現代人にも十分通用するインパクトがある。



◎ 七つの罪源 ( Seven Deadly Sins )

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 キリスト教の思想。罪そのもので無く、人に罪を犯させる可能性のある欲望・感情など、罪の根ないし源をさす。ここでの罪源とは、貪欲、傲慢、激怒、怠惰、嫉妬、大食、邪淫の七つのことで、人が罪と知りつつ自由意志でもって良心に背くこととされている。この展覧会で展示されている 「 七つの罪源 」 シリーズでは、画面内にそれぞれの罪を表した人物と生物が描かれている。

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 ○ 貪欲: Greed グリード

欲がとても深く、欲に執着する罪。特に富や財について欲を意味するとされている。
<象徴生物> ヒキガエル・ハリネズミ・狐

 ○ 傲慢: Pride プライド(自分を立派に思うことが本義)

 自分にうぬぼれて周囲の人を見下す罪。神の恩恵を理解するさまたげと考えられている。
<象徴生物> 孔雀・獅子

○ 激怒: Wrath ロース

 相手やモノに対して腹を立て、怒りの感情をぶつける罪。人間の最も良くない感情とされている。
<象徴生物> 熊・狼・一角獣・龍

○ 怠惰: Sloth スロウス(動物ではナマケモノの意)

 何もせずに怠ける罪。まじめに仕事や勉強にはげむさまたげになると言われている
<象徴生物> ロバ

○ 嫉妬: Envy エンヴィー(上を見るが原義)

 自分より優れている者や、欲しいものを持っている者をねたんだり、うらやんだりする罪。
<象徴生物> 七面鳥・犬・蛇

○ 大食: Gluttony グラトニー

 必要以上に食べ過ぎる罪。何を食べるかではなく、過度の食欲が問題とされる。
<象徴生物> 豚

○ 邪淫: Lust ラスト

 よこしまでみだらな行為を意味する罪。主として異性間の性的な欲望を表す場合が多い。
<象徴生物> ヒキガエル・猿・熊・蠍・山羊

* このシリーズ詳しく知りたい方は画集を買われたし。



● 作者の鬼気迫る執念を感じる。

身につまされる言葉の数々。わが身の醜態さらけ出し、神の御心鏡の前で、がま蛙のように冷や汗をタラーリと流す。
  

Posted by masuzawa05 at 13:21Comments(0)

2012年05月21日

犠牲者なし 「 奇跡の村 」


3・11東北大震災から一年が過ぎた今、私(増澤)が住んでいる、わが町伊豆の宇佐美が産経新聞の 「 過去からの警鐘 」 というコラムで取り上げられていた。

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◎ 関東大震災:
 「 おおぢしんがしたら つなみがきました。 うちがながれだしました。おっかなくて なきました 」 
 大正12年9月1日。静岡県伊豆半島の東海岸にある宇佐美村(現伊東市宇佐美)に関東大震災の激震と大津波が襲った。宇佐美尋常高等小学校の全児童728人の作文集 「 大正大震災記 」 に、当時の様子が克明に記されている。
 大津波は地震のわずか数分後に押し寄せた。高さは推定7.5メートル。子供たちは一目散に逃げ出した。昼ご飯を食べていた子は、はしを持ったまま家を飛び出した。はだしで走る子もいた。
 「 地震が止んだと思ったら、『ソレッ津波ダッ』と言った。後をも見ず一生けんめい高いところへとにげた 」 (5年生)
 「 夢中でにげました。すると海の色が変わって、沖からむくむくと水がふえてきて、さあっとうちをひいて行きました 」 (4年生)
 「 ぶるぶるふるえながら、うみの水がへんになるのを見ていたら、お父さんがきて、なんにもいらない、いのちだけあればよいといって、みんなで山へにげました。家はながされてほんとうに、いのちだけになってしまいました 」 (3年生)
 迫りくる津波と、流されていくわが家。恐怖と悲しみに震える子供たちの言葉が胸を打つ。
 約10万5千人が犠牲となったマグニチュード7・9の関東大震災、・・・・・未曾有の地震と火災被害に隠れ、当時の大津波はあまり知られていない。
 津波は静岡県の熱海で12メートル、伊東で8メートル、鎌倉でも6メートルに達し、沿岸部は壊滅した。作文集の記録によると、熱海では88人が死亡。伊東でも294戸が流失し、95人が死亡した。しかし、隣接する宇佐美では111戸が流失しながら、一人の犠牲者も出なかったのだ。 
「 宇佐美の奇跡 」 はなぜ起きたのか。・・・と、記事は続く。

○ 子々孫々 語り継いだ記憶・・・:
郷土史家の加藤清志さん(84)は甚大な津波被害が出た元禄地震(1703年)の教訓が生かされたとみる。 「 親が昔の津波の記憶を伝え、子供は普段からその怖さや逃げる場所を知っていた。情報が生きていた。あの津波でよくぞ一人の死者も出さなかった 」
温泉地として知られ、商業が盛んだった伊東は移入者が多かったのに対して、半農半漁宇佐美では親から子へ、孫へと記憶が語り継がれた。その様子が作文集からもうかがえる。
「 お父さんが『津波が来るかもしれない』とまだ言い終わらないうちに水はふえて来た 」 (5年生) 「 おぢいさんが『つなみが来るから逃げろ』といったので、みんな又、大さわぎで上の山に逃げていきました 」 (5年生)

海岸近くの高台にある行蓮寺。ここに元禄地震(1703年)のときの供養塔がある。時代がさかのぼること、寛永小田原地震(1633年)の津波は引き波で始まり、しばらく来なかったので、今回も同じだろうと話していたら、いきなり津波が来て380人余が死んだと刻まれている。同じ過ちを繰り返すなと、碑文は静かに訴える。 ( 産経新聞より抜粋 )


 これは今の宇佐美、海岸線の写真です。

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 港の突堤から見返した町並みです。

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● 私(増澤)、小学校5年生のとき狩野川台風に遭遇し、大人の胸まである濁流に家は押し流され、かろうじて地元消防団の若いしの肩車で助け出されて、九死に一生を得た思い出があります。
私は経験していませんが、宇佐美でもかつて “ 若衆宿 ” なるものも有って地域のつながりが密であったと聞いています。そんな土地柄なのです。

東北の被災地の復興を思うと、建築に何ができるのか暗澹たる気持ちになります。高台移転もいいでしょう。が、大雨によるがけ崩れもあります ( 2011年度全国で2400件もの土砂崩れが起きています )。住み慣れた平地がいいに決まっています。

● 白砂青松の景観守るべし:

無粋な工作物としての河口堰は未曾有な大津波には無力だった。津波の波は川を使って逃がし、要所に防塁と公園化したタワーの設置、美しい石積みの堤防。どうしても又元のように海の近くに住みたいのなら、住んでもいいと思います。
避難を最優先、綿密なシュミレーションのもと、ふるさとの海・山・川を最小限の逃げ残り対策を施しつつ、負けて勝つ手法を施し、景観の再構築をする。

但し、コンクリートむき出しの単なる構築物に頼るのではなく、初期避難を助け、津波の圧力を分散させる為の、景観に配慮した人工の構築物を設置する。そしてなによりも、命が大事、徹底した早い避難をこころがける。そんなことを思います。


◎ 建築家の 隈 研吾さんは日経のコラムで、個人主義優先の近代に幕!と題し次のように述べています。

リスボン地震は建築や都市が変わる契機に
震災や原発事故で建築の無力さが明らかに
きずなつなぐ作業は地場産業復興にも寄与

そして、きずな、つなぎ直しを! 

○ ではいったい何が、われわれを守ってくれるのだろうか。きずなが鍵となることをわれわれは今回発見した。
○ われわれは3・11の後、逆に、きずなによってしか、人間は守れないことを再発見している。IT(情報技術)という新しいきずなも、大きな力を見せつけた。
○ 例えば人とのきずな、仲間とのきずな、そして大地とのきずな。自分を育ててくれた場所から離れて「白い箱」を築くのではなく、自分の場所と自分とをもう一度つなげてみたらどうだろうか。
○ 場所を無視し、場所を殺す「白い箱」頼るのはもうやめよう。場所と自分をつなぎ直す作業から、まったく別の姿をした、やわらかく温かい建築と都市が生れて、くるかもしれない。



● 原発事故及び地震・津波に関しての、専門分野の学者達のだらしなさを知った今回の災害と事故、われわれは誰を頼ったらいいのだろうか!? 学者や政治家は実態を知らなすぎるのでは・・・住民の生活感覚との乖離を感ずる。

かくなる上は、自分と地域 ( 人・自然 )との絆の確認と再構築であろう。
土地柄を良く知り無理の無いランドスケープデザインを住民の想いをベースに築き上げること。

学問のための学問ではなく、もっと自然と人間、人と人の心の関わり合いの中で具体的な方策を呈示して欲しい。 と、つくづく思いました。

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● 我家は市の測定標識で海抜15メーター位です。然しながら大津波はここまで来るでしょうから、そのときは率先してより高台に避難しようと話し合っています。
  
Posted by masuzawa05 at 22:27Comments(0)

2012年05月14日

湯治について


 国際観光施設協会の旅館観光地分科会の有志による企画 「 新湯治 」 体験会があった。東鳴子温泉の大沼旅館さんに二泊三日でお邪魔し、一汁三菜コース ( 一泊¥8,500円 )、五穀飯を食べての温泉三昧に出掛けた。地酒をいただき、湯治とは程遠い? 美味しい旅だった。
 ちなみに、観光交流空間のまちづくり研究会の夏会は長野県別所温泉で開催されました。私なりの 「 湯治の新しい形 」 を探りたいと思っていますがなかなか思うようには進んでいません。
 国際観光交流が進んでいる昨今、日本全国に点在している温泉場 ( おんせんば )の復活・復権を図りたい。・・・これからの温泉宿の有り様に思いを馳せる私です。

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○ これは陸羽東線・御殿湯の外観です

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○ 東鳴子の旅館街です

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● 通りで見かけたコンクリート打放しの郵便ポストカバー、なかなかです。

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◎ 湯治とは:温泉地に長期間(少なくとも一週間以上)逗留して特定の疾病の温泉療法を行う行為である。日帰りや数泊で疲労回復の目的や物見遊山的に行う温泉旅行とは、区別すべきである。又、農閑期に時間が発生した農民が、蓄積した疲労を癒す目的で湯治を行うようになった。
  湯治場は多くの場合、自炊が基本となっている。これは、長期逗留客の金銭的負担軽減という理由もあるが、個々が自分にあった食事を行う必要があった。
そのためお米、味噌、醤油、布団持参の場合もある。惣菜は近所からの調達とする・・・・・・etc。


● いずれにしてもキーワードは “ 健康 ” である。心と体のリラクゼーションとリフレッシュをもたらす、楽しみな逗留でなければならない。そこに湯治の新しい形があり、同時に温泉場の活性化が図れる。新湯治と一言で括れない多様な要素をどうからめ、夫々の地域特有のオリジナリティーを発揮した形が創れるか。


● 地域の食(農業・漁業)、環境、施設をからめたロハス的業態の創出が必要で、低成長・熟成・生きがいをベースに文化の華を咲かせなければならない。


● 3万人の自殺者を出す国、飽食が病人を増産する国、お金をためるのが趣味の国、もっとゆっくりでもいいんじゃないかと思う私、湯足りた生活を送ろうではありませんか。


● 町並みの第一印象として、寂れた感じではいけない。静かなそのままの自然を残しつつ、鄙のまちなみに植栽と散策路の整備を施す。ヒトの息づかいが感じられる、心楽しい赤いあかりの灯る小路の創出が急務である。



以下に大沼旅館さんの湯治に関する考え方と、私(増澤)の感想を述べます。

◎  湯治 「 TOJI 」

I went to Toji at Narugo onsen in Miyagi pref in north east Japan from 6th to 8th March.
Japanese meaning of Toji is hot−spring cure.
I quoted from Mr Ohnuma :

“I believe Toji is in an act of regaining
One’s ownself in which hyumans,
Ourselves, a part of nature,
Receive the power of the earth.
By soaking in an onsen,
The embodiment of the great nature “

Shinji Ohnuma ( 5th generation owner, Ryokan Ohnuma )
 
 湯治とは
自然の一部である人間が
温泉という大自然に浴することで
大地からの力をいただき
本来の自分を取りもどすことと      *スケッチ・12いれる
私は考えています


 旅館大沼 五代目湯守
      大沼伸治

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I felt refreshed and my mind and body relaxed by the hot_springs.
We shouldn’t forget the famous Japanese culture of 「TOJI」



● 私(増澤)、色々旅館作り ( 湯治宿も含め) について考え始めています。温泉街が活性化しないことには始まらないと思い、ある場所で小さな企みをしています。そのうち報告しますので乞うご期待!
  
Posted by masuzawa05 at 08:55Comments(0)

2012年05月07日

 NARASIA(ならじあ)―日本と東アジアネットワーク

● 奈良のことを知りたいと思っていて、NARASIAという本に出会った。 ( NARASIAの件はMY・ブログ:ちょっといい話・その9を参照されたし )

地中海文化圏があったように、東アジアには日本海をめぐる一大文化圏があり、そのたどり着いた先が日本であった。そのことを含めて、先日の日経の経済コラムに、松岡正剛さんのこんな記事が出ていたので紹介したい。


○ 日本は1300年前に東アジア文化を集約

○ 平城京モデルは戦後の日本にも連綿と続く

○ アジア的価値観はさらに多様に広まる必要

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◎ 日本の歴史は東アジアの風土・社会・制度・経済・文化の影響と無縁ではいられない地政的な立地をもってきた。そこには植相、人口密度、食べもの、肌の色、住まいや建具、漢字文化、交易事情、美術様式など、多くのコトやモノが一衣帯水となっていた。
 大陸・半島・海洋・列島はひとつながりなのである。このことはいまでも、中国大陸からの黄砂が日本に降ることでも、鳥インフルエンザが大陸と海と日本列島をつないでいることでも、また竹島や尖閣諸島の問題をみてもわかる。日本海を中心として東アジア地図の南北を逆さまに回転させたいわゆる 「 環日本海諸国図 」 を見れば、もっと実感できる。古来、シルクロードが奈良とつながっていることはよく知られてきたけれど、そのつながりは1300年前からすでに絹や布や文様だけのつながりではなかったのだ。     
―中略― 
 しかしその後の日本は、そうした共通性からの離脱や自立をはかり、漢字から仮名を生み出し、稲作社会を定着させ、藤原時代には国風化によって美意識を磨き、徳川の鎖国期では国産の産物を充実させ、さらには儒学を日本化し、ついに幕末維新をまたいでは西洋列強のシステムとテクノロジーのまるごと導入に踏み切った。それが過剰なナショナリズムと大アジア主義を蔓延させて、結果として太平洋戦争とその敗戦に至ったことはよく知られている。
 かくして現在の日本は米軍基地があり、東アジアとの交流よりもグローバルスタンダードを全面的に受容する国になっている。では平城京モデルはあのまま歴史のかなたに死んでしまったのかといえば、そんなことはない。


◎ 共通の価値観、確認を:

一、 東アジアと日本はユダヤ・キリスト教・イスラームの一神教社会とはきわめて異なる多神多仏の共存を許容した。このことは、いまなお 仁・道・空・無・大同小異・和光同塵・あいだがら・人情・メンツ・仲間うち などのコンセプトが生きていることでもわかる。加えて日本はここから神仏習合という類まれなしくみをつくりだした。初詣は神社でも寺院でも可能になっているし、神社にも寺院にもヒンドゥの神々や密教の諸仏がまじっているままなのだ。

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二、 漢字文化圏や仏教文化圏が多重に組み合わされる発信源となった平城京モデルからは、「 和魂漢才 」 という方法が生まれた。それが建築から茶の湯まで、尺度から浮世絵まで、門前町から商人の工夫まで及んで、その後はそこに 「 和魂洋才 」 や 「 亜魂和才 」 が混入していきながらも、なおホテルと和風旅館の、洋画と日本画の、世界料理と日本料理の、西洋医学と漢方の、マーケットの併存などとして今日に至っている
三、 平城京には東アジアから技術が入って間もなくして多くの仏師が誕生して、やがて寄木作りなどの独特の才能を発揮していったのだが、同様のことが鍛冶から鉄鋼技術へ、漬物から醗酵技術へ、陶芸から化学反応技術へ、機織から繊維技術へといった多くの場面での大きな技術トランスファー(移転)の準備となってきた。トヨタが織機から自動車に発展していったことを含めて、こうしたアジア→日本→世界、の技術ベクトルは、今後も 「 世界→アジア→日本 」 「 日本→世界→アジア 」 といった組み換えや逆転をおこしながら、新たに活性化する可能性が高い。
四、 東アジアには民族・地域・資源の多様性が著しく、それを生かすことが東南アジア諸国連合(ASEAN)から東アジアの各国のお国自慢になっているのだが、これらを工場化や製品化するにあたっては日本人が示すクオリティーコントロールが抜群の説得力を持ってきた。それは戦後のQC(品質管理)運動に顕著だっただけではなく、そもそも近世日本のポータブル化・ショートサイズ化の技能に発揮され(小袖・箱組・家具など)、さらにはトランジスターラジオから半導体を経て1980年代軽薄短小ブームにも開花していたともいうべきなのだ。
五、 東アジアでは華人ネットワークを筆頭とする 「 横の連携 」 が見逃せないのであるけれど、これは日本の中世の職人ネットワークにも、また奈良時代からあった 「 結(ゆい) 」 がヴァージョンをふやして、 「 講・座・連・組・社中 」といった 「 やわらかい組織 」 になっていったことにもあらわれている。これからの東アジアと日本のあいだで求められるのは、今日の法令順守 (コンプライアンス) にもとづく監視型の組織と、伝統的な柔組織とが自在な組み合わせをさまざま試すことであるかもしれない。
六、 現在の東アジアの経済発展は欧州連合(EU)の政治・制度先行型に対して市場主導型の経済統合スタイルと呼ばれているのだが、実は日本は平清盛の日宋貿易、足利義満の日明貿易や日朝貿易、徳川家康の日蘭貿易など、以前から2国間取引がめっぽう得意だったはずなのだ。それがいまや新たな自由貿易協定(FTA)などにおける日本のイニシアチブとして期待されているとも再認識すべきなのである。

○ 以上はレポートが示すいくつかの例示に過ぎないが、ことほどさように平城京モデルにひそむしくみやその後のNARASIA的なネットワークの歴史的有効性はいまこそ注目されるべきものだった。
○ しかしながら、これらのことからただちに東アジア共同体やアジア通貨基金(AMF)の青写真ができるかといえば、まだそういうわけにはいかない。先ずは東アジアと日本のあいだをつなぐ価値観、制度感、コミュニケーション力などを根底に戻って相互確認し、これを高めていく必要がある。 
( 松岡正剛―平城京モデルに学べ より抜粋 )


● アジアの中の日本を考えていて、歴史に学び、そのつながりの深さを思うのだが、それぞれに価値観と習い性の違いが露呈することが多い。例えば我々が生業としている日本旅館の設計についても、日本の旅館文化が一時的に物見遊山なお客様に受け入れられるのではなく、アジアの国々の日常生活文化として根付く為にはソフトもハードも含めて、臨機応変な国情に合った対応が求められる。


● 日本国内の旅館・宿文化も、時代のグローバル化に伴ってのハード・ソフトにわたる見直しと工夫が求められている。


● 成長著しいアジアにあって 「 衣・食・住 」 を満たしつつ、同時進行的に余暇を過ごすリフレッシュ手段として、日本的宿文化が定着し広がることをライフワークとしたい。
  
Posted by masuzawa05 at 12:34Comments(0)

2012年05月01日

 JAL ( 日本航空 ) の行方


 40年程前に、JALパックでヨーロッパへ新婚旅行をした。しばらくして当時の添乗員Kさんが宝塚のスターと結婚したニュースをTVで知り、JAL職員もたいしたものだと思った。Kさんお元気でしょうか。

 最近は、かつて娘がグランドホステスとしてANA ( 全日空 ) に勤めていたこともあり、ANAを利用していた。

 今回はお世話になっている会社の協力業者の慰労会で、会社更生中のJALに乗っての4泊6日のハワイ旅行をしてきました。お米屋さんや、魚屋さん、肉屋さん、ガス屋さん、金物屋さん等、名前は覚えずとも 「 何屋 」 で顔を繋げた。私は会社御用達の設計屋の立場で和気藹々の賑やかな旅でした。もちろん送客大手・JTBの企画です。

 昔に比べ機内はチーフ・キャビンアテンダント数名を除き、アジア系の女性が殆んどで、にこやかに仕切り、サービスも良かったです。
但し、バゲージの重量については帰路でのチェックが厳しく、多分燃費に影響するからだと思うのだが、採算面からそこまでするかと思うほどでした。再建途中としては・・・致し方ないのでしょう。やり方次第では黒字になることをあらゆる面から追求するのは、 “ 利益を出してなんぼの会社 ” ですから当然です。


◎ 頑張ってるな、と気に入ったことが一つありました。


○ 往路のJALの機内パンフレットから:
タイトルは

 「ハワイで
 何する? 」

What to do in Hawaii ? hints・50 と題して、ハワイの名所旧跡、食材、レストランの写真50が載っています。もちろん地図付です。

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● ここからは帰りの機内ですが、FOLLOW UP を忘れません。そこがえらい!


○ 復路のJALの機内パンフレットから:
 タイトルは

 「 次は
 どこ行く? 」

 Where to go next ?  hints・10 と題して、各国の楽しそうな、又美味しそうな写真の数々と、世界地図に10の国名を記してあります。興奮のほてりを引きずりながらの機中、その一言が旅心をくすぐり次へと誘います。

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● 小洒落た小冊子、10センチ角に折り畳んで置いてあります。これならJALは復活できる、そう思った次第です。

( 旅館なんかでも利用できそうな・・・例えば冬のお客さんには、着いた時こんな楽しみがあります・・・。帰るとき、春にはこんなお花見が・・・夏には・・・。四季折々・イベント折々にパソコンで製作出来ますよ、いかがでしょうか。 )

 ちなみに、美しいコオリナ・カントリークラブでゴルフをしましたが、先日のLPGAツアー・ロッテチャンピオンシップで宮里藍ちゃんが優勝しました。 「 俺がやった所 」 なんて言いながら、なつかしくTV観戦しました。

スコアーですか・・・?5〜6年ぶりの再チャレンジゴルフですから、未だ言えません。
  
Posted by masuzawa05 at 10:05Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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