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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2012年02月28日

土偶

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 ● 近頃、合掌し深々と頭を垂れることを気恥ずかしいと思わず、自然とそれが出来るようになった。
若くして亡くなった友や先輩・後輩、多くの仕事仲間たち。又、人生の円熟余生の入り口で連れ合いに先立たれた友人のことを思うと、心の中で深いため息が漏れ、目を閉じて祈らずにはいられない。

 ○ これは俗に言う 縄文のビーナスです

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◎ 眺めていると深い安らぎを覚えるから不思議だ。ゆったりとしたパワーも伝わってくる。国立博物館で開催中の 「 土偶展 」 に勢揃いした、縄文時代の偶像たちである。力強くユーモラスで、どこか悲しげな姿が人々の心を打つ。
 土偶にどんな役割があったか、はっきりとは分からないという。しかし女性の特徴をうんと誇張した造形や奇抜な表情には、生命をいとおしむ気持ちが込められているに違いない。長命や安産を祈り、食の豊かなることを願った縄文人の精神世界が知れる。厳しい自然と闘いながら、この時代は1万年も続いた。・・・・・中略

 展覧会の花形の一つは、昨年国宝に指定されたばかりの 「 合掌土偶 」 だ。うずくまって両手を合わせ、ひたすら祈りをささげてように見える。しかし、それも現代人の解釈ではあろう。かの時代の作者はなにか意外なポーズをかたどってみたのかもしれない。想像力をかきたててやまぬ、われらが先祖なのだ ― 日経、春秋より。


 ○ 立像土偶

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 ○ 遮光器土偶 ( 目がシャッターのようになっている為の呼称 )

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 ○ 仮面土偶

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 ○ 合掌土偶

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 ● 私(増澤)思いますに、猪や、仮面だけの物もあるが、なによりも古代人が自分自身をどう見ていたのかが面白い。そしてデザイン化しているのがすごい。1万年も続いた縄文時代の遺品としての土偶の数々に、ゆったりとした人の営みを感ずる。

 ちなみに、合掌土偶は求愛のポーズかもしれないと思っているが、座っての求愛はいささか怠惰な行為だし・・・ならば、立って手でも握ればいいんだろうが、それでは本旨から外れる。諸々の超えがたきものに対しての畏敬の念、跪く気持ちが美しい。
 想いいれ ( 心 ) が形を創る。そんなことを思う。

男か女か?・・・・よく見ると胸にベーゴマのようなポツが二つある。装身具も身に纏っているとこをみると、女か・・・ひょっとすると、出産のポーズかもしれない。

 小さいベーゴマのようなポツだから男かもしれないし、マサイ族の戦士が装身具をつけていることを思うと、男か? ならば、戦いの祈りのポーズかもしれない。


 暗闇にいにしえの土人形たちがきらきらと息づいて、今の私とつながっている。
  

Posted by masuzawa05 at 09:01Comments(0)

2012年02月20日

逆境について


若き日の 『 逆境 』 が最大の財産に

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 私は中学二年のときに父親を亡くしました。二人の弟がいて家計はきつかったですね。それで中学を出ると、働きながら、近所にあった定時制の高校に通いました。授業は午後六時前から九時ぐらいまで。それから約一時間、柔道に励みました。冬の稽古は大変でした。畳が凍えるように冷たくて、家に帰ると、出始めたばかりのインスタントラーメンで空腹を満たしました。そのおかげで生き永らえることができたと言ったら、少し大げさかな。日曜は昼まで寝ていました。そうしないと体がもちませんでした。
 そんな日々も昼と夜で2人分の人生が一度に体験できるのだからと、幸せな気分でした。余計なことを考える時間が無いので、ささいなことで悩んだり、迷ったりすることもなかったですね。 「 三つ子の魂百まで 」 ではありませんが、いまだに昼も夜も働いています。それが癖になってしまって、まるで苦にならないのです。
 もし父親が田畑を一町歩 ( 約3,000坪 ) も残してくれていたら、何も苦労せずに暮らせたかもしれません。でも、それでは今日の自分はなかった。ものをつくるより遺産を守るのにきゅうきゅうとしていたでしょう。その意味で、若いころに 「 逆境 」 を味わったことは、私に与えられた最大の財産になりました。高校を出て食品関係の仕事をした後、機械の行商で全国を回りました。そこで中古パチンコ台を改造したゲーム機と出合ったことがアミューズメントの世界に足を踏み入れるきっかけになりました。・・・
 ゲーム機はお金を入れても何も出てこず、腹の足しにはなりません。それなのに、みんな熱くなって、繰り返しお金を入れて遊んでいるのです。それを見て 「 これはいける 」と直感しました。日本もやがて衣食住が足りて、ゲーム産業が脚光を浴びる時代が必ずやって来ると。
仕事を成功に導く一番大切なポイントは着想です。 「 想 」 はアイデア。いくらでも浮かんできますよね。その中から、目先の損得ではなく、自分の力量に見合った分野に狙いを定めるプロセスが着想です。後は決断し、変化に対応していけるよう創意工夫をする。コンピューターが何でも処理してくれる時代になっても、この3つだけは人間にしかできないことだと思います
 ゲームソフトは生活の必需品ではありません。それを買っていただくためには自社にしかなく、かつ、一流のレベルにまで達した物でなければなりません。そもそも、ものづくりというのは出来が悪かったら、もう一度初めからやり直し、一番いいものを作るようにするのが王道です。いくら頑張ったからといって、マイナスの要素を残したまま見切り発車するようなことは許されません。仮にうまく立ち上がったとしても、絶対に長続きしません。これは私の経営ポリシーでもあります。  
―以上、日経 「 今、若者たちへ 」 次世代に送るメッセージより抜粋



 ● いま、私(増澤)、ひと回り歳上の叔父のことを思い出しています。

76歳になる叔父は、家庭の事情で中学卒業後東京に働きに出され、その後家に戻り、今は亡き祖母の農業を手伝いながら、地元の定時制高校に通っていました。私が小学校高学年の頃でしたから、もう半世紀も昔のことです。
当時、柔道部に所属していて、何度か稽古に連れて行ってもらいました。当時の定時制高校の生徒は私の叔父も含めて、歳のいった学生が多く、又昼間働き夜間勉強するというオジサン揃いで、投げを掛けに背負うと重さでつぶれてしまうのがしょっちゅうで、笑われながらも可愛がってもらいました。そのせいか体が小さかった私でしたが、小学・中学を通じ相撲は強かった。長じては空手道に目覚めました。
 
閑話休題、
そんなセピア色の思い出も懐かしく感じる年齢になりました。

『 逆境 』 という言葉を知っている若い人がどれだけいるだろうか?

つらい悲しい言葉だが、反面 『 それをバネにがんばる 』 とか 『 努力 』 という言葉通り、苦境を克服して福となすバイタリティーがあった。それが日本人の勤勉さにつながっていたように思えるのだが・・・・。

近頃は 『 逆境に耐えてひたむきに生きる 』 とか、そんな言葉が死語になるほど豊かになったのでしょうか・・・そうであれば嬉しいことですが・・・辻本さんの思い出が叔父と私の思い出に重なりました。 “ 逆境・耐える・ひたむき ” 忘れないでおこうと思います。

自分にとって不都合なことは、世の中が生んだことで、全て他人やほかのことのせいにする世相は如何なものか・・・。 と、思っています。

● 不都合を

着想
決断
創意工夫  で乗り切る知恵の存在をあらためて思わずにはいられません。


● 生業としての旅館の設計:

子供の頃、父親に連れられ寿司屋でお昼を食べ、その足で温泉旅館に泊まった思い出が一度だけあります。一介のサラリーマンの家庭では、寿司屋ですしをつまみ、旅館に泊まることはなかなかできない “ とっておきのお晴れ ” なことでした。


時代は移り、家族で温泉旅行に行くことも多くなりましたが・・・。

『 旅館は お晴れ の空間 』 であり続けたいと思っています。
お晴れが有るからこそ頑張れるのかもしれません。

確かに、旅館は生活の必需品ではありません。
けれども泊まりたいと思わせるものはなにか。

先ずは、もてなす側の日常がハッピーで明るくなければなりません。もてなす側の暗い感じの宿に泊まるとするとゾッとします。

身の丈にあった 「 着想 」 で地道にお客様のことを考えた諸々を実行する 「 勇気をもった決断 」、困難に出会ったときの 「 創意工夫 」 が設計者、もてなす旅館側、双方に必要ではないでしょうか。 

新聞を読んでいてそんなことを思った次第です。
  
Posted by masuzawa05 at 18:41Comments(0)

2012年02月13日

建築士会研修の旅


 私が支部長だった頃(20年前)は80名から居た熱海の建築士会会員も、徐々に減少をたどり、このたびの公益法人化とともに東・中・西に大括りされ、現状は東部支部熱海地区だけで38人の小所帯になってしまった。
 マイクロバスを貸し切って9人での妻籠宿・飛騨・下呂温泉の一泊旅行は和気藹々、賑やかな道中となった。

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これは水明館さんの若女将をまじえての集合写真です。

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 立ち寄った東濃桧の製材場では目から鱗、いろいろの発見があった。
 
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「 東濃桧 」 : 年輪の目の詰まった香り高き最高級の建築材。気温・湿度・日照・降水など、桧の育成に理想的な風土である岐阜県東濃地方。ここから産出される年輪のつまった良質の材を 「 東濃桧 」 と呼びます。
 ここの桧材は、急峻な山に特有の弱乾生土壌と、厳しい冬の寒気が造り上げた独特なきめの細かさ、高密度な粘り強さが特質の木です。材色は淡いピンクで品があり、木目が美しく節が少ないのが特徴です。

● 発見その一

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 この丸太材齢100年、4M物で150角の柱が取れて一本35,000円。幾星霜を経たこの材でこの値段、安いと思われませんか。

● 発見その二

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 これは天然物、年輪が細かい。

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 これは植林物、年輪が荒い。


● 発見その三

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 傷のように見えるのが枝打ちした枝の痕跡です。若木の頃に枝打ちすれば、角材に挽いたときに表面に出ない。一般的には若木(ビール瓶ぐらいの太さ)の時に枝打ちすると良い。昔は枝打ちに補助金が出たそうですが、今は無いそうです。その分良質の材が得にくくなっている。


● 発見その四

年輪も先端の方は少なく、木も筍のようになっている。
又、写真は撮り忘れましたが、台風による風害が桧の皮から読み取れて、いつ頃の台風か分かるのだそうです。これは確か伊勢湾台風の頃でとか仰ってました。


● 発見その五

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 杉の削り丸太を、腐りにくく顔浸し、杭に使用する。アースオーガー併用で杭基礎を造る。しなやかで腐りにくく折れにくい。地盤の悪い木造などの基礎に良さそうです。

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● 過日、伊豆の修善寺で伊豆流域林業活性化センターの講演会が有りました。

 低層建築物をなるべく木造で作って欲しい。日本の林業の活性化のためには木材の地産地消を推し進めたいとの意向でした。

 地域によって木材強度にバラツキがあり、強度と大量調達には問題が残るものの、個々の住宅等には十二分に応えることができる。
 構造計算上、又材の調達からいって、6mごとに桧の120角の柱を立ててラーメンフレームを組めばかなりの規模までの木造建物が出来る。( 最高高さ13m、軒高9m、床面積1,000屐,糧楼脇發如 法‘本は木の文化の国です、挑戦してみましょう。

● 長い年月の丹精が木造建築を支えていると思うと、頭が下がる思いです。ハイテク技
術に支えられ、人肌に優しい木造の建物に囲まれたスローライフな暮らしが、これからの日本人のライフスタイルにいちばん合うのではないでしょうか。公共建築物を木造で作る為の勉強を個人的にはしたいと思っています。

我々設計者もいろいろ見学研修の必要性を感じた次第です。
  
Posted by masuzawa05 at 19:52Comments(0)

2012年02月06日

英詩訳・百人一首

 “ いにしえの感性、香り立つやまとごころ ”

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 「 One Hundred Poems, One Poem Each. 」


 ● ドナルド・キーン博士が絶賛する、ピーター・マクミランの 「 小倉百人一首 」 を書評で知った。なにやらの興味と、歌留多でうろ覚えの三十一文字の読解に挑戦しようと思った。


『 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ 』 光孝天皇

For you,
I went out to the fields
to pick the first spring greens
all the while on my sleeves
a light snow falling.

「 これは、今までのところ、もっとも卓越した名訳である 」− ドナルド・キーン 


 ● 私(増澤)、理系の頭では、上記の歌ぐらいの解釈がせいぜいで、古典(文語体)の読みくだしが出来ないもどかしさ・・・。もっとも、英語力が堪能で感性豊かであれば、そちらから理解し問題が無いのだが、英語の方はもっとあやしい情けなさ。

恥を忍んで女房に解説文(漫画イラスト入り)の本を借り六十路の貧脳の虎の巻とした。

 そこで、日本語の解説文、英訳本を別々に読んで、なるほどと納得・感動が重複したものを自分勝手に取り上げることにしてみた。



◎ 四: 山辺赤人
 『 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 』

Sailing out on the white crests ( crest:波頭 )
of the Bay of Tago, I look up
There before me
even more dazzling− ( dazzling:目もくらむほどの )
snow still falling ( still:静かに )
on Fuji crowned in white

 ○ 田子の浦に出でてはるか彼方を眺めて見ると、真白な富士山の高い嶺に雪が降り続いていることよ。



◎ 九: 小野小町
 『 花の色は 移りにけりな いたづらに わが見世にふる ながめせし間に 』

A life in vain. ( vain: むなしい )
My looks, talents faded ( talent: 才能、fade:褪せること )
like these cherry blossoms
paling in the endless rains ( paling:<色が>薄くなる )
that I gaze out upon, alone. ( gaze:何かをじっと見つめる )

 ○ 美しい桜の花の色はすっかり褪せてしまったよ、むなしく春の長雨が降っている間に、私の器量もすっかり衰えてしまった。むなしくこの世を過ごし、物思いにふけっている間に。



◎ 四十: 平兼盛
 『 忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで 』

Though I try to keep it secret,
my deep love
shows in the blush on my face. ( blush:赤面する )
Others keep asking me
-----Who are you thinking of ?

 ○ 人に知られまいと心に秘めてきたが、私の恋心はとうとう顔色に出てしまったよ。「 なにか物思いをしているの 」 と人が尋ねるほどに。



◎ 六十一: 伊勢大輔 ( いせの・たいふ )
 『 いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな 』

The eightfold cherry blossoms ( eightfold:八重の )
from Nara’s ancient capital
bloom afresh today
in the new palace of Kyoto
with its nine splendid gates ! ( splendid:華麗な )


○ その昔、華やかに栄えていた奈良の都で咲いた八重桜が、今日はこの九重の宮中で、色美しく咲ほこっている。



◎ 百: 順徳院
 『 ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり 』

Memory ferns sprout in the eaves
of the old forsaken palace.
But however much I long for them,
they never will come back−
the days of old.

( memory:~を回想してしまう、ferns sprout: シダの芽、eaves:軒、forsaken:見捨てられた
Palace:宮殿、but however much:どんなに、long:思いこがれようとも ) 

 ○ 宮中の古く荒れ果てた軒の端に生えている忍び草を見るにつけても、いくら偲んでも偲びつくせないほど、恋しく懐かしい昔の御世であろうか。
   ( ももしき: 宮中の意、枕詞 「 ももしきの 」 から転じて内裏、皇居 )



◎ ありがたいことに、マクミランさんはこう述べています:

「 古いチェコの格言に “ 一つの言葉しか知らないものは、一つの人生しか知らない ” とあるように、日本の言葉と文化を学ぶことで、私は第二の人生と心を与えられたのである 」

そして、 「 私の知る限り、皇室や王室が詩作の伝統を支援している国は、世界でも日本だけである。それも精神的支援にとどまらず、自ら和歌を詠むという実践にまで及んでいる。 天皇家が詠まれた歌には優れたものが多い。最近の世界の王族の多くは、車や競馬、その他、過去の贅沢にばかり関心を向けている。その点、高い教養のある日本の天皇家は、国民が誇りにしていい文化の継承者であるといえよう 」


 ● 広きにわたる日本の文化の継承者である天皇家を、政治力誇示のカードとして扱う不埒な政府の要人は教養低く、友愛や日本の文化力を論じる資格が無い。そういうトップを戴く政党人、われわれ国民は恥ずかしく、そして哀れだと思っていたら先年失脚した。

 年に一度の書道展に去年も出かけ、大先生との初めての記念写真に納まり、娘は教師コースに進まれたらとの推薦を受けた。娘の書いたひらがなの百人一首を見て、まだ固さの残るものの美しい字を書く日本人を誇らしく思い、続けたらと勧めた。英文科出身の書道家なんて素敵じゃないか。


 「 One Hundred Poems、One Poem Each 」
 
本との出会いに感謝 !
  
Posted by masuzawa05 at 08:59Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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