2011年12月26日
ゴッホ展
ゴーギャンを取り上げたら Vincent Van Gogh を語らないわけにはいかない。
早速、新美術館に出掛けた
私(増澤)、高校時代美術部で油絵を描いていた。友人が描いた向日葵の絵を見てこいつには絶対かなわないと思ったことがある。今思えばあの色遣い、そして絵のタッチはゴッホを引きずっていた。
個人的には黄色が好きで、特にゴッホのヌクッとしたグリーンを含んだ黄色はたまらなく好きだ。
○ 曇り空の下の積み藁:
自然は重要な霊感と慰めの源だった。彼は荒れ狂う空の下の広大な小麦畑を3点描いた。そしてその後間もなく、この小麦の積みわらを描いた風景を戸外で製作したに違いない。部分的に曇り空を映している草地の水溜りから判断して雨模様の日であろう。
○ ヒバリの飛び立つ麦畑:
思わず引き込まれてしまうような動きの感覚である。鑑賞者は、まるで刈り取りの終わった畑の前に立っているかのようで、その背後では麦の穂が風に揺れている。
○ マルメロ、レモン、梨、葡萄:
ゴーギャンをして 「 黄色い静物画 」 と呼ばせた。
○ アルルの寝室:
今度もまたごく単純に自分の寝室を描いたものだが、色彩が大きな役割を成し、要するにこの絵を見れば、頭なり、あるいはむしろ、想像力が休まらなければならない。
○ ゴーギャンの椅子:
「 今や僕は想像で描き始めている 」 ゴッホはモデルなしで肖像画を描く妙案を思いついた。空っぽのいすは、普段そこに腰掛けている人物を表現できると考えたのである。
○ 種まく人:
ゴッホの眼には、ミレーの <種まく人> は “ 自然 ” 以上に確固とした存在で、ほかの何とも比較することが出来ない作例であった。
「 あそこにあるのはただの種まきではなくて、むしろ魂なのだ 」 大胆な構図は日本の版画からヒントを得ている。
○ 夕暮れの松ノ木
○ アイリス
背景の黄色と花瓶の置かれた台の黄土色に対して、紫のアイリスがまばゆく際立っている。
● 彼の経歴についていろいろ言われている。
ミレーに心酔していたとか、基本的な絵の勉強をしていないまったくの独学であるとか云々、私(増澤)、そんなことはどうでもいいじゃないかと思っている。テクニックを教わらずとも心で感じて描けばいいと思っているからで、彼の塗り重ねて見せる色の表情がいい。 そして、黄色がなによりも好きだ。
Posted by masuzawa05 at
16:57
│Comments(0)