livedoor Blog
このBlogをチェッカーズに追加 このBlogを
チェッカーズに追加
このBlogをリーダーに追加 このBlogを
リーダーに追加
増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2010年04月30日

映画 ウォーダンス ( 響け僕らの鼓動 )

     
 ● 私の好きな恵比寿の東京都写真美術館の一階ホールで観た。タイトルに引き込まれるように入ったのだが、こういう国があることに愕然とし、無知を恥じた。

1





「 村を焼かれ、親を失い、
極度の逆境にあるウガンダ北部の3人の子どもたちが、
生きる喜びや意欲を取り戻していく過程を、
迫力をもって描くドキュメンタリーです。 」
  緒方貞子さん ( JICA理事長 元国連難民高等弁務官 )
の解説より。

2








CAST:

ドミニク(14歳)木琴演奏者
 僕は音楽家になりたいんだ。
 木琴が弾けるのは神様からの贈りものだから。
 音楽のない人生は考えられないよ。

ローズ(13歳)聖歌合唱団員
 お父さんが殺される前、                            
私の歌は素晴らしい才能だと言ってくれたの。
歌うときはいつもお父さんのことを考えるの。

ナンシー(14歳)ダンサー
 歌はキャンプでの嫌なことを忘れさせてくれるの。
 病気や飢えや人が死んでいくのを。
 踊っていると故郷に帰った気分になるの。

3




 アフリカ、パトンゴ難民キャンプには60、000人を超す避難民が生活している。このキャンプ内にある、銃弾で穴だらけにされた学校の壁の内側で、ひそかに奇跡が起こっていた。愛情と才能に溢れる教師達の手によって、歌が、踊りが、音楽が子ども達のもとに戻ってきたのだ。先祖伝来のリズムにのって体を揺らし、足を鳴らし踊る生徒たちの姿。彼らの踊り、それは祖国を思う願い。そして未来への祈り。そして 「 子どもであるべき時間 」を取り戻す儀式だ。そしてウガンダでこの大会を知らない生徒はいないであろう 「 全国音楽大会 」 に参加する、そして入賞する。

 過去20年に渡って、ウガンダ北部に生きる子供たちは反政府武装組織の脅威にさらされ、家も家族も、一切の安全も安心も奪われた。紛争の一番の被害者は、いつも子供たちである。しかし、ウガンダにおける紛争は複雑な側面を持つ。子供たちは犠牲者であると同時に、反抗活動を維持してきた兵士でもあるのだ。反政府軍は、村から拉致した子供たちを少年兵として戦線に補充するという悪逆無道な手段をとっている。結果として兵士の80%は子どもであり、中には5歳の子どもまで含まれているのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


● ウォーダンスのタイトルにつられ、戦場に赴く部族の戦意を鼓舞する踊りかと思い、明るい気持ちで入ったのだが、観進むにつれ、いやはや重いものが心に残った。美しい映像と、リズミカルな音楽と踊りに唯一救われた。
 

ホテルの部屋に戻り赤ワインを飲りながら憩う。太鼓の音が耳底に低く響き、飲むほどに小さな私欲に振り回されているいつもの自分があさましく、それ故に深酒に嵌ってしまった反省の夜だった。
翌朝のチェックアウト時、いくばくかのお金をユニセフの封筒に入れた。
  

Posted by masuzawa05 at 09:27Comments(0)

2010年04月26日

春の高山祭り


 いつもと変わらない街に、いつもと変わらない祭りと屋台。日本の一地方の普通の生活に多くの外国人も見学に訪れる不思議、昔からの町並みに美しい日本が息づいている。
外国人は言うに及ばず、皆が昔からの佇まい、暮らしぶり、そのままの日本を見たいのだろう。そのことが日本を知ることの全てだとは思わないが、まぎれもない一部であり、国籍を問わない郷愁であることは確かだ。

 ここ高山では小京都と言われる如く、 “ 文化 ” が薫る。 そういった意味から、古から今に続く奈良・京都の佇まいはすごいなと思った。


◎ 春と秋に分け、旧高山城下を二分 ( 春は南、秋は北 ) して行われる。春の日枝神社の山王祭は4月14,15日、屋台は総勢12台がお披露目、秋の八幡祭りは10月9,10日に11台がお披露目、巡幸です。

● 京都の祇園祭、秩父の夜祭と並び、日本三大曳山祭りと言われている。私は未だ祇園祭を見ていない。

 からくりのメイン会場に勢ぞろいした4台です。
 神楽台(かぐらたい)、三番叟(さんばそう)、石橋台(しゃっきょうたい)、龍神台(りゅうじんたい)。 台は ‘ だい ’ とにごらず ‘ たい ’ と読むのだそうです。
1-11-21-3






● 4月14日ですが、朝は粉雪の舞う寒い一日でした。雪も止み青空が顔をだし、桜も咲き始め、古い家並みも今日は特に晴れやかです。町並みの水路には防火用水も兼ね何時も水が豊かに引かれています。
このお祭りちょっとでも雨や雪ならば、屋台やからくり人形の保護の為巡幸は中止だそうで、天気眺めの朝の決断が難しい。中止の場合、わざわざ外国から訪れた人たちはどうするのだろう?余計な心配をしてしまう。
234








● 五台山(ごたいさん)
5









● 崑崗台(こんこうたい)
6









● 琴眤罅覆んこうたい)
7









● 鳳凰台(ほうおうたい)
8









● 恵比寿台(えびすたい)
9









● 青龍台(せいりゅうたい)
10









● 大國台(だいこくたい)
11









● 麒麟台(きりんたい)
12









● 屋台の格納庫2箇所
1314








● 高山らしく竹の御簾に黒の漆でストライプを施すと粋に見えます。
15





● 歴史が息づく街は観光にはいいのは分かっているが、ただ街全体で見ると保存されている地域とそうでない地域とのギャップが激しいのが気になる。今風の勝手に作った俺の家がいっぱいでは困るのだが・・・、観光客はピンポイントでその場所に降り立つわけではなく、リュックサックを背負って付近を歩いて散策しているのです。

伊豆に暮らしていて、観光・誘客の目玉は何かと問われると、ありのままの姿、自然体で売るしかないのかなと思う。

日本の片田舎にふらりとフランス人がやってくるような、グローバリゼーションと共にローカリゼーションが同居するような時代がやってくる。
地方の豊かな自然景観や文化や食に浸っている住民をも含めた、オール・インクルードゥされた地域の魅力が大切なのです。

老いて後、地方の時代を自分自身がどう故郷と関わって生きていくのか! 

伝統の祭り装束を身に纏い嬉々としたお年寄りを見るにつけ、ふとそんなことを考えた高山祭りでした。
  
Posted by masuzawa05 at 10:35Comments(0)

2010年04月19日

観光立国宣言 !?


 掛け声だけに終ってしまう町おこしや、これからは地方の時代だとか、世界の旅人を日本へとか、やたらかまびすしい昨今だが、簡単そうでなかなかむずかしい、如何なものかと思っていました。                  
そんな時私の好きなTV番組 「 出没! アド街ック天国 」 のプロデューサー林さんと夜景プランナーの 丸々もとお さんのインタビュー記事が目に留まりました。
175’






 これまで多くの街を見てきて、改めて日本の観光活性化についてどう思いますか?

◎ 林さん: 難しい質問ですね ( 笑 )。 ただ、思うのは、少しバランス良くやろうとしすぎているのではないのでしょうか。
 先日、他の番組でラスベガスに行ったのですが、建物もショーもカジノもすごい。エンターテイメントという切り口で一点突破、徹底している。そうやって明確に自分の街をアピールしていると、人が集まりお金も落ちる。落ちたお金は他に使うのではなく、もう一度この一点に集中投資する。
 国内だとせっかく温泉が名物で人が来ていたのに、集まったお金を温泉に投資せず、よく分からない記念館をつくったりする。すると肝心の温泉が弱くなって、結局、街の名物が何かよく分からなくなってしまう。
 とはいえ最近は、東京に追いつけ追い越せではなく、地方の特色を打ち出そうとしていますね。この動きが続けば、良い方向に進むのではないでしょうか。

○ 丸々さん: 多角的に自己分析して、街の強みは何なのかを考える。そしてそれを見つけたら徹底してそこに集中する。やはり、アド街的な手法が一つのヒントになりそうですね。
 私も多くの観光町おこしを手がけているが、林氏が語るような 「 ストーリー性の創出 」 は最も重要だと考えている。例えば、対象となる観光地の夜間観光を盛り上げる場合、歴史的建造物等をライトアップする試みが多いが、愛でる美しさ、デザイン性だけでは短期的な集客に陥る場合も少なくない。本質的な観光活性は時間がかかるものだから、長期的な視野が必要となる。となるとライトアップはストーリーの 「 起 」 と考えるのが自然だろう。その明かりが灯ることで、誰を幸せにしたのか、どんなエピソードが生まれたかなど、様々な物語が生まれ、さらに展開していくことで 「 起承転結 」 へと受け継がれていくのだ。ということなら、 「 起 」 の時点で 「 起承転結 」をある程度予測、いや構築しておけば、長期に耐えうる活性化につながると言えるだろう。
 街のキャッチコピーもまた 「 起 」 の役割を担うもので、その先の 「 起承転結 」 を考えておくことが重要であると思う。と、まとめています。


 ● 私(増澤)、観光地における宿泊施設である ‘ 旅館 ’ の設計にあたり、滞在のストーリーを描き、それに基づきドラマを演出する様にデザインをすると以前述べたことがあります。 『 起承転結 』 に託す我が想いがすなはち “ 宿り ” なのです。


 空間の変化は出会い
 期待感を醸し出し
 期待感の連続は感動へと昇華する・・・・・。


 貴方(客)・・・宿・・・街・・・地方・・・国 それぞれに 起承転結 のドラマの輪が波紋のように拡がる旅。・・・・・楽しそうだ。


 それではグローバルな視点で観光を見るとどうであろうか? 

私が所属している社団法人 国際観光施設協会 の副会長でTVの 「 サンデーモーニング 」 のコメンテーターの涌井史郎さんはこう述べています:

◎ 世界は、ただ単なる経済情勢の悪化というより、世界史的大転換が図られようとしている。
 いずれにせよ大きなパラダイムの変化が起きようとしている。 ( paradigm:時代の支配的なものの見方、時代に共通の思考の枠組み ) 一言で言えば、産業革命以来の石油エネルギー依存の富の蓄積や拡大が終焉を告げ、環境に配慮し、人類も生物社会の一員であることを再確認し、生態系を重視した持続的世界への模索が世界的規模で始まったと見てよいと思う。つまり、 「 環境革命 」 の始動である。

 環境負荷が少ない新たな新材料とエネルギーを基にした新たな生産の形態が、そして 「 幸福の追求 」 に根ざした産業が台頭する方向であろう。観光もまたそうした重要な分野に位置づけられ、それを充足する供給の手法と楽しみのメニューが求められ、その成功が内需を拡大し、新しい経済の拡大につながることになろう。
 つまりグローバリゼーションと共にローカリゼーション、地域の自然や景観そして文化が色濃く投影された地域作りやメニューが、これまで以上に観光を支える基盤となることは言うまでもない。

 こうした方向に国も大きく舵を切り始めた。これまでの景観法を補完する 「 歴史・まちづくり法 」 が制定され、加えて 「 生物多様性国家戦略 」 と 「 国土形成計画 」 の双方にまたがる計画として 「 全国エコロジカル・ネットワーク 」 の検討が、小生を委員長として開始されている。
 つまり世界規模の環境への取り組みを我国からも強く発信し、その意味からも、我国の世界に発信する方向と矛盾がなく、且つ国民の未来を支えるに相応しい、自然を資本財として重視し、地方分権を進め、その地方の固有性や多様性を重視した新たな国土像を描き出そうとする方向である。

 観光をただ単に誘客や行楽産業としてのみ捉えようとする方向は終った。その地域や地方の自然と交感して久しい伝統や文化、それを投影した景観や風景を再生し、そこに心の安らぎや、生涯教育への満足、そして何よりも 「 感性価値 」 という新たな製品や商品を生み出す創造的な基盤を、観光行動や消費と共に地域中心に生み出そうとする新しい時代がそこに展望される。



 ● 私(増澤)思いますに:
                          
日本の旅館もこの時代のうねりから 門外漢ではいられない、社会がエコロジーを求め
低成長・成熟化に向かう中、観光のありようが問われている。あくせくせずにゆったり考えよう。     
閑話休題

〔 近頃中国に行ってきました。かつての我国のように目まぐるしく動いてい
ます。近隣国ですから、公害 ( 黄砂煤煙・海流汚染 ) 等、気になりますね! 人の幸せとは何だろうか? 繁栄と豊かさ、消費が先走りして 環境倫理・人間大事 が後追いというか、置き去りにされている様な気がします。まるでかつての日本のように。そして土地の私有が出来ないこの国において、たとえば農民は何のために作物を作り続けるのか? 土地の私有が出来ない分、借地権という名のもと、お金持ちの権益が農民の頭越しに跋扈しているように思えてならない。そのうち、中国における ‘ 農 ’ の実際を見聞したいと思っている 〕

 それからこの歳になって初めて気がつき、解った。大きな時代のパラダイムがそうさせたのか、それではちょっぴり寂しい気もするが 『 農は国の礎、農民は国の宝 』。
野菜や農産物を食べずに、サプリメントだけでは潤いのある生活はおくれないはずです。人間も生きものなのです。
         
馬車馬のごとく工業化に突っ走っているときは分からなかった。ショックが理性を呼び覚ました。( イギリスでも食料自給率は7割という ) 家庭菜園をやりながら思う肥沃な国土に暮らせる幸せ。
うねるように拡がる山並みと肥沃な緑の沃野、きれいな水の流れと美しい農村の佇まい、おいしい野菜、ひねもすゆったりとした時間が流れる野良の一日。
                        
グローバルな視点で見て、全てが豊かでオリジナルな日本の景、これを生かさない手は無い。


世界は 人間の幸福と平等という名のもとに新しい価値観と具体的な施策をもとめている。魚と海、農と国土の美しい景の創出、海と山林の有機的なつながり、それゆえの維持保全に向かう、スローだけれど生きがいのある生活の流れをつくらなければならない。
  
Posted by masuzawa05 at 12:46Comments(0)

2010年04月13日

ホテル・アークリッシュ豊橋に行ってきました

 いつも通過するだけで、 『 ちくわ 』 以外はあまり知らなかった豊橋。近くに豊川稲荷があるのだが・・・、以前インターネットで調べていて、地方都市としてはお洒落なホテルが有り、どうしても一度泊まってみたいと思っていた。
たまたま、 『 JIA東海大会2009 INほの国 』 の指定宿泊ホテルのうちの一つだったので、大会出席を兼ねて金曜〜土曜で出掛けた。  Hotel Arc Riche 。
1









 ARC RICHEとは、フランス語で架け橋を表す ‘ ARC ’ と 豊かさを意味する ‘ RICHE ’ をあわせた創造語で、 「 人とまち、暮らしと文化をつなぐ豊かな架け橋でありたい 」 という想いを込めています、とありました。
2







○ 外観です
34
  







 ● ホテルは上階10〜16Fを占めています。フロントは最上階16Fに在り、その階からチェックインカードで動く別のELVに乗り継いで客室に下ります。客棟最下層10Fがグレードの高いフロアーとなっています。

 ホテルレストランはアペリチフ ( フランス語で食前酒 ) を供すBARカウンター付きで、最上階から豊橋の素晴らしい景色が臨めます。又、別棟3FにはアラカルトレストランとBARがあります。 ( 設計: 日本設計とのこと )

 ○ 1Fフロントです: バックに昔の町並み写真が飾られています。写真で見る限り日本の街並みってこんなヒューマンスケールなんですね、往来を行く人力車が絵になる。
5






 ○ 3Fの別棟をつなぐ連絡通路と通路脇の小・ホールです
67









 ○ 別棟のレストランと屋上テラスです。ちょっと緑があるだけで安らぐ。
8910









 ○ 別棟会議スペースとレセプション周りです
1112






1314






○ 3F屋上通路脇にある、森田恭通デザインのシャンデリア街灯です
15











 ● 『 ココラ・フロント 』 と呼ばれるこの再開発の前線は “ ここから始まる ”と言う意味。シャレを込めたに相応しく、間違いなくフラッグシップ・ホテルとしての風格とサービスがあリ、モダーンシック・・・さて、豊橋らしさとなると・・・・・?

 ○ 16Fフロントとラウンジ周りです
161718








 ○ 食前酒用BARラウンジとメインダイニング
1920






 ● 夕食はコンベンションでのビュッフェパーティーでしたから、朝食はここのダイニングで光る町並みを眺めながら摂った。野菜ジュース2種類、スペイン風オムレツ温野菜添え、オリジナル厚切りベーコン、パンいろいろ、フルーツ、カフェオレ・・・etc.
 久しぶりに充実したホテルの朝食セットメニューでした。旨い! 朝食のみでも訪れる価値がある。 ¥1,800也では安い。 ( 残念、食い気に走って写真を撮り忘れた、ごめんなさい ) 全体的に利用し易いホテルだが、採算性はどうだろうかと余計な心配をしてしまう。


 ○ 15Fに在る宿泊客専用のライブラリー ( 総客室91としては立派だ )
21

 








 ○ 客室いろいろ
22










● 客室、パブリックにわたり素晴らしいのだが、唯一、画竜点睛を欠くのが客室のユニットバスで、ごくごく普通の物で残念。夢を架けたアークリッシュらしい客室水周りが欲しかった。
23







クチコミ総合点数は確か4.7か4.8なのだが、風呂だけは4.2なのだ。それで大きく評価を落としていると思う。何とかならなかったのか!
 客室水周りは豊かなたっぷりとスペースを取った洗面とトイレ、快適なシャワールームで良いと思うのだが。

 それと、最上階になぜ露天風呂併設の大展望風呂を作らなかったのか、高層だから覗かれることもなく、星空もご馳走なのに、それが惜しい。地方都市に、ハイグレードでセンスフルな大風呂を持った、旅館の感性を持ったシティーホテルが欲しい。クチコミ評価に、声なき声を聴いた気がする。もし、シンプルで、スタイリッシュで、清潔感溢れる素敵なホテルスタイルの露天風呂があれば、部屋のユニットバスのことはサラッと忘れ、私は満点 5 をあげる。

 熱海の駅前に事務所を移転してつくづく思う。駅前にこんなお洒落なホテルが有れば、なにかにつけ楽しいだろう。
今までのイメージを払拭し、これから熱海が目指す心意気を形に表した熱海らしいホテルの出現・・・・・駅舎の新築が始まったことだし。


 豊橋は港町で建築家・故内井昭蔵さんの御祖父さん設計の木造・ハリストス正教会 ( ロシア正教会 ? ) があり、見学してきました。
昔のまま残して置きたい感じのする街ですが、残念かな現代の日本、何処も金太郎飴のような街並みになってしまっています。でも街中を市電が走り僅かに昔の面影を残しているのが救いです。
 湾があり、それに注ぐ川があり、要衝に城があり、川と湾との中州に庶民の住む街並みが広がり、庭先から遠く山並みを望み、人々の息づかいが感じられるそのままの日本は何処に! 歳のせいか昔の地模様の感じられる街が好きだ。

 最後に豊橋と言えば忘れてはいけない。 創業文政年間、200年続く菜飯田楽の 「 きく宗(そう) 」 で昼飯を食べました。ご飯に混ぜてある葉っぱは、大根葉でした。菜飯だから菜の花の葉っぱかと思っていましたが・・・? 総括りして菜っ葉 ( 野菜の葉っぱ ) でいいのだろう。それから、くれぐれもご飯の上に田楽を置いて食べてください、ズボンの上に味噌が落ちると大変なことになりますよ。・・・以上。
24  

2010年04月05日

勤めて40年

     
 1970年 ( 昭和45年 ) 3月、学校を卒業して石井建築事務所に4月1日入社して40年が過ぎた今、私的なことを中心に来し方を省みてみたい。
 
『 四十而不惑 』 人間で言えば40歳、不惑の歳である。自分の仕事を客観的に見ることができる年齢になっても、いっそう戸惑い多く、仕事の質も、建築家と言われるのにはまだ道半ばである。
1 増澤似顔絵







 「 建築設計を選んだ理由は 」 と問われるとおぼろげながら思い出されるのは、高校生時代の夏休み、代々木ゼミに通う為上野の親戚の家に下宿している時、毎日通る上野公園に在るコルヴィジェ門下の前川さん設計の文化会館・舞台部のそそり立つ外壁の圧倒的力強さに感動し、建築もいいなと思った。又、卒業間直の韮校の進学指導では血液型による適正チェックがあり、AB型は精神にムラが有るが、狂気性と芸術性が同居し、建築は向いていると出たのが決定的だったような気がする。今ならそんなご託宣信じるわけがないが、まことしやかに行われた。 働き始めてからはコルヴィジェの影響が大である。

 学生時代は学友会 ( 体育会系と文化会系が有る ) 空手道部の主将として、4年時には東京九段下の武道館で開かれた全日本大学選手権で準決勝まで進み、チームとしてはベスト4に入り、スポニチに載った。
 準決勝の試合から中央の1コートで試合が行われ、天井からの強力スポットライトを熱く感じるぐらいに浴びると、どんな顔の男でもいい男に見えると言われ、それこそ当時の選手にとっては晴れがましい舞台でした。
2




















 勉強嫌いな学生であったが、いろいろ発想すること、感覚的なことは好きで、その面からはデザイン関係の授業に限っては嫌ではなかった。建築を目指したものの、空手道部・空手学科で4年間を過ごし就職となると、建設業に入り現場監督になる道があまりにも当然すぎて面白くなく、一番苦手と思われる設計という仕事を選んだ。

卒業の頃は70年安保で学園紛争の嵐が吹きまくっていて授業も無く、学生の心も荒んでうつうつとして毎日を過ごしていた。そんな中、脳天気な体育会系としては柔・剣・空手・ボクシングの面々とバリケード破りもした。追い詰め、追い詰め、最後に屋上に逃げ残った2〜3人の学生のヘルメットと覆面を取ると、その内の一人はかつて空手道部に所属していて退部した一人だった。ビックリ、愕然とし、 「 なぜ!? 」 という疑問と共に、言うに言われぬやるせなさを感じた。今でも彼の顔は憶えている。

引きずり小突こうとする、 ‘ がたい ’ のいい柔道部の学生を制し、丸一日拘束したが、深夜、全共闘の学生が知らず知らずの内に人数が増え、我々のいる建物を包囲する無言の圧力の不気味さを体験した。その中にいた中核派の一員であった高校の同級生の忠告も有り、私の判断で解放した。内ゲバで殺人事件が起きる時代だった。

 今思えば、そんな時代のドサクサだから留年もせずに卒業できたのかもしれない。不思議なことに追試は統計数学を一度受けただけで、単位は取れていたはずなのに、時たま今でもたった一つだけ単位が取れずに卒業できないと、焦りもがく夢を見て魘(うな)されることがあり、女房に笑われるのだが、何が原因かよくわからない。


中島敦の 「 和歌(うた)でない歌(うた) 」 の中に、 

『 夢 』 と題した歌がある。

「 我が声に驚き覚めぬ冬の夜のネルの寝衣(ねまき)に汗のつめたさ 」 

● ネルの寝間着なんて、なんとなつかしいことか。
我流にもじって、 「 我が声に驚き覚めぬ冬の夜の妻の叱責汗のつめたさ 」 と詠んでみた。 又、 中島さんにはこんな歌もある。

「 我が歌は拙(つた)なかれどもわれの歌他(こと)びとならぬこのわれの歌 」

● そこでなつかしついでに子供の頃を思い出して、我が ‘ 蚊帳の歌 ’

「 夏風邪で 朦朧として もどしつつ うなされ明けぬ 蚊帳の中かな 」

夢にはそれなりの因子があると言うが、忘れた頃にやってくる。精神医学的にどういうことなのか、不思議に思っている。


 卒業の頃、一般学生の中に自称剣道六段と言うそれらしき男がいて、私に的を絞っていたのであろうか、あるとき大宮のキャンパスで彼がこう切りだした。 「 一緒にアメリカに渡り、俺が剣道を教え、お前が空手を教えながら、二人で建築を学びながらアメリカ全土を廻らんか 」 という誘いだった。 ‘ 青雲の志 ’ 六段+三段、二人で都合九段ならなんとかなるかと思ったものの・・・・、ガチガチに固そうな男でもあり、返事を逡巡していた。
横田基地で体の大きい黒人のアメリカ軍人と稽古、組み手をした経験からしてスタミナ・運動神経・体力の差は判っていた。又、一応武道をやった者として、それで食べていくということ、まして片手間では至難のわざであることを冷静に自己分析し、ややあって鄭重に断った。

 それでも 「 すんなりと社会のベルトコンベアーに乗る人生なんてイヤだ 」 と嘯( うそぶ ) いて、2〜3年外国を放浪してから、就職すればいいだろう位に暢気に思っていた。その為のお金の無心に自宅に帰り、父にその事を告げると、言下に 「 苦労して大学まで出したのに、すぐ働け 」 と一喝された。一介のサラリーマンで子供三人を育てた身としては、当然の言葉だった。

後日母方の叔父に連れられて、早稲田大学の同窓である石井信吉先生の熱海に在る事務所に連れて行かれ、トントン拍子に話が進み、叔父曰く 「 信一郎は空手をやっていたので、現場に行く時はボディーガードとして連れ歩いてくれ 」 と体力売り込みのシャレをまじえた落ちがつき、叔父と石井先生の間で、ニコニコしながら話がまとまった。私はなるがまま、勤めることになり爾来今日まで。寂しいかな父も叔父も石井先生も、もう鬼籍に入ってしまった。

 どうせ建築をやるのなら、設計だろうと思っていたので渡りに船であったが、計画系の研究室でもなく、一番卒業し易いと思われた材料施工研究室で卒論を取ったので、仕事については設計のノウハウも無く、どうしていいかわからない。正直言って、最初はその事務所の作品を連れられるままに、一ヶ月ぐらいあっちこっち見て廻って、そういう勉強から入るのだろうと思っていたのだが、初日から一日中製図台に向かう日々は、ただただ退屈なつらい時間だった。
 入社当時は製図台の上にT定規と三角定規、たまに勾配定規を走らせ縦・横・斜めの線を焼き損じた図面の裏紙に、一日中ひたすら線を引く練習をチーフから教えられた。もちろん平行定規のドラフターなどまだ無く、シャープペンシルなども使わず、ホルダーの鉛筆を芯研器で研ぎながらひたすら線を引く、そんなスタートで、CADの図面など想像すらできない時代であった。

 22歳で働き始め有給休暇もなく、3年程は残業・休日出勤がしょっちゅうで、たまに徹夜の日が有り、イヤだから辞めようと思った。確か初任給が2万円位で、同級生の中では他業種を含め一番低かったが、残業代が給料よりも多い月もあり、自宅から通っていたので給料全て小遣いで、貯金はゼロでも飲み食いは充分にできた。
設計事務所は先生に教えてもらい勉強をするところだから、お金を貰えるだけで幸せと思え、イヤならば早く技術を盗んで独立しなさい。という時代の気風が一般常識で、まるで丁稚奉公の様で、且つ体力勝負の世界で、スマートな設計士のイメージからは遠い職種だった。

 居たたまれなくなって、25歳の8月に辞める覚悟で、カナダ〜アメリカ本土〜ハワイを13日ばかり婚前旅行し、心と生活の区切りにしようと思ったのだが、事務所に戻ってみると、私の勝手な休みを、有給休暇扱いにしてくれたのだ。今時は有給休暇なんて当然といえば当然なのだが・・・当時の小さい事務所では就業規則も無く異例なことだった。素直に感謝して、もう少し勤めてみようと思った。

30までは一人でいるつもりだったが、一転意を決してその年の10月10日・体育の日に25で結婚した。一級建築士の資格も取れていたので、嫁を貰いに行き易かったのと、高校の同級生ということもあり、加うるに向こうの母親の 「 清々としている子 」 と言う評価がなによりの決定打で即決した。若さゆえお金は無くとも何とか生活できるだろうと思えたが、婚約指輪代は妹に十数万円借金をした。結納金は給料の5倍が相場だといわれた時代だった。

 28歳で娘が生まれ、 『 この子が一丁前になるまでは死ねないな 』 などと思ったのが親としての初めての自覚で、相変わらず給料は安く、女房が自宅で近所の子らに数学などを教える塾の真似事で家計の足しにした。

 事務所はその頃から、主に旅館・ホテルの仕事が多くなり 「 我々は他人様(ひとさま)の財産を作っているのだから、心して取り組むように 」 との石井先生の言葉の様には設計は捗らず、商売として稼ぐのはなかなかしんどい仕事であった。今思えば、若いのに実力以上の仕事をしようと思うから大変なのであって、いつも逃げ出したく、何度ももう辞めようと思ったのだが、入社の動機もいいかげんなように、辞めようとする動機も他に目的が有るじゃなし、ただ能力が無く “ 嫌な ” だけのいい加減さであったが、嫌と嫌の間に好き勝手にやったデザインがたまには評価されたりして、そのままズルズル・・・・今日まで。

 悩んだ挙句、ラーメン屋でもやろうかと思って先輩に相談したこともあった。 「 俺も昔そんなことを考えたことがあったが、簡単にラーメン屋なんて言うが、一人前のラーメン屋になるのにも、大変な苦労と努力が要る。 バカ言ってんじゃない! 」 と、当時の東京事務所の専務にしっかり説教され、深く反省、今に至る。


 閑話休題

 近頃の新聞に学生の 『 戦略的休学 』 という記事が載っていた。

 
 『 このまま就職活動に入っていいのかという疑問が頭をもたげ、1年の回り道を選び、自分の向き不向きを実感し、お金を稼ぐ大変さと面白さを味わう学生が増えているという。慶大は昨春の新入生から、理由次第で休学時の授業料を免除している 』 との記事。 

 動機こそ違うが、一瞬、あの頃の自分に戻り、熱い想いが胸をよぎった。

あのまま外国に行っていたら、想像も出来ないような人生を送っていただろうと、思わずにはいられない。
たぶん金髪の美女と一緒になり、ハーフの子供・クゥオーターの孫らに囲まれ、大金持ちのハッピーリタイアメントを過ごしているかもしれないし、はたまた夢破れ落ちぶれて一人路頭に迷っているかもしれない。

そして今、そんな回想に耽っていられる自分をハッピーだと思っている。  
それは、建築設計という綺麗な仕事 ( 他人のお金を使ってデザインあれこれ、鉛筆一本で身を立てる。好きな大工さんの木の香りのする仕事 ) を得て、恙無く( つつがなく ) 過ごせて来られたことに感謝したいからです。
されど、我が人生において、少しでも 『 建築家の薫り 』 がするかと問われると、自信が無い。 創業者石井先生には その “ 薫り ” が有った。


2010年4月1日、40年と1日目、家に帰り自分に乾杯。
ちらっと40年をにおわすが、女房も関心が無さそうだ・・・。遅い食事の一人酒、ビールに始まり、日本酒、ウイスキーといろいろ飲み連ね、酔うほどに、にんまりとして我が来し方をひたすら称え、悦に入る。

心の中で 「 俺は自由だ 」 と小さくつぶやいてみる。 今この歳だから許される 『 戦略的●● 』 なんて事が有ってもいい・・・・・と。
さて、具体的に何をするかだが、気力・体力さえ有ればなんでも出来る。 それが嬉しくて、荒削りの来し方をここで見つめ直し、もう少し自分に正直に生きようと只今思案中である。

 ロートルは次なる 『 荒野 』 を目指す。


『 一寸の光陰 』

少年易老学難成  しょうねんおいやすく がく なりがたし
一寸光陰不可軽  いっすんのこういん かろんずべからず
未覚池塘春草夢  いまださめず ちとう しゅんそうのゆめ
階前梧葉己秋声  かいぜんのごよう すでにしゅうせい



40年はあっという間に過ぎ、特に60をすぎてからの1年の早いこと早いこと、今年63歳になる。 Time flies like an arrow。

人生、 光陰矢のごとしである。  
  
Posted by masuzawa05 at 12:12Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
MONTHLY ARCHIVES
アクセスカウンター

アクセスカウンター