2010年03月29日
誠実に生きる ( マハトマ・ガンジー )
一杯の水をあたえられなば
山海の珍味をもってこれに報いよ
親しく挨拶されなば
誠心をもって ひざまずきてこれを受けよ
一銭の施しを受けなば 黄金をもって返せ
一命を救われなば 一命を惜しむなかれ
いかに小さき奉仕であれ 十倍にして報いん
されどまことに心貴き人は 万人を一人と知り
悪に報いるに善をもってし これを喜ばん
中央文庫 「 ガンジー自伝 」 より
◎ 松岡正剛さんは文庫本の解説文の中でこう述べています:
本書はいかにもガンジーらしい自伝である。こういう自伝はめったにない。ガンジーのほかにこういう自伝は書けなかったなどといえば、何を当たり前のことを言っていると思うだろうが、どうしてもそのように言いたくなるものがある。
理由ははっきりしている。この自伝にはガンジーがもっと遠慮なく自慢してもいいだろうことや、われわれが誇りたくなるようなガンジーのことがいっさい触れられていないのだ。たとえば、世界中を驚かせ感動させ、インドの民衆にとっても忘れられない誇りとなった1930年3月の 「 塩の行進 」 については、一行も触れられていない。のみならず、反英独立運動の再三にわたる歴史的な高揚についても、まったく触れられてはいない。
これはガンジー自身が自分の履歴を綴る事を1920年あたりで、確固たる自覚のもとにあえて打ち切ったためでもあった。書こうと思えばいくらも書けた。ところがそうしなかった。ガンジー自身がこのあと突入していく政治の季節の叙述を拒否したともいえるわけなのだ。そして、そのように自伝の趣旨をも頑固に貫いたところに、やはりただならないガンジーがいる。(*塩の行進:イギリス植民地政府による塩の専売に反対し、自国製塩の為に約380kmを行進し、独立運動の重要な転換点となった)
ただしもうひとつ、第二の理由もある。それは、ガンジーが 「 自伝 」 という様式に疑問をもっていたということだ。
周囲から自伝の執筆を頼まれたとき、ガンジーはこのことについて悩む。けれども周囲の希望は熱心だった。誰もがガンジーの生い立ちやイギリスでの日々やインド回帰のことを知りたがっていた。もともと寡黙なガンジーはあれこれ弁解しない人だったけれど、まして自分の個人的な悩みなど、周囲に漏らさない。そうでなくても、毎週月曜日を 「 沈黙の日 」 にして、筆談でしかコミュニケーションをしなかった人なのだ。
しかし、たっての執筆要請が募ってくると、アジアの誇るべき伝統を曲げて、ガンジーは自伝を書くことにした。そのかわり、この自伝を 「 真実のための実験 」 の記録だけにしぼることを決意するのである。それも最初は刑務所に投獄されたときに限ろうとした。これがガンジーの自伝が珍しいものになっている第二の理由にあたる。
ガンジーの 「 真実のための実験 」 とは、ガンジーが 「 ここ30年間になしとげようと努力し、切望してきたこと 」 と書いていることだが、それは 「 自己の完成 」 「 神にまみえること 」 「 人間解脱に達すること 」 である。
このことをガンジーは本書の副題にも掲げた。 「 真実をわたしの実験の対象として 」というものだ。ガンジーのこの言葉は、ガンジーにはどうしても掲げるべきモットーであり、告白であり、確信だった。本書にはくりかえしこの確信が述べられる。
タゴールは 「 ガンジーは自分自身に完全に誠実に生きた。それゆえに神に対しても誠実であり、すべての人々に対しても誠実だった 」 と、そしてさらに加え、 「 ガンジーは勇気と犠牲の化身である 」 と結んでいる。
(*タゴール:インドの詩人、思想家、詩聖。1913年アジア人として初めてのノーベル文学賞を受賞)。
以上、解説文より抜粋。
● 私(増澤)、淡々とつづられている、単調な日々の真実の出来事の中に、いつしか引き込まれてしまう。心が萎えているときに読んだから、やさしい有機野菜スープのような滋養が心に満ちた珠玉の一冊だった。
Posted by masuzawa05 at
10:41
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