2010年02月23日
キース・へリング美術館 ( 露天風呂棟付美術館 )
● 小淵沢の圧倒的な自然の中で、黒と白と原色 ( 赤・黄・緑・灰 )のうねり。 キース・へリング、作品は見たことは有るのだが名前は知らなかった。
車を停め杜の中をそぞろ歩き、小さな流れに架かる黒い木橋を渡ると原色の建物が見えてくる。
外部と一体になった ‘ あしらい ’ に好感がもてる。
プラン ( 描き入れた赤線は順路 ) です。
彼の作品には、子供に好かれそうな天真爛漫さがある。単純で明るい絵・絵・絵、子連れの若夫婦が楽しそう。そこにはシンプルでなんとも言えないヒューマニティーとエネルギーが満ち溢れていた。
全体の構成としては 展示室順路 「 闇 」 → 「 ジャイアントフレーム 」 → 「 希望 」 となっている。
○ 闇 : 作品 The Blueprint drawings
○ ジャイアントフレーム : 作品 Untitled 1-5 , Dog , Apocalypse 1-10
○ 希望 : 作品 Precida , Secret Pastures ,
◎ 私の大好きな芸大教授のアーチスト日比野克彦さんは開館によせてこう述べています:
美術館とは一体何であろうか?キースは街の中で自分の絵を描き始めた。それがいつか美術的な価値が付き、ギャラリーで売られるようになり、美術館にもコレクションされるようになる。キースの絵を街の中から剥ぎ取ってくることにより、いつでもそこに行けば見られるようになる。それはいいことなのだろうか?
NYのキースのアトリエに遊びに行ったとき、そこに彼の描きかけの絵が壁にあった。既に活躍していた彼はギャラリーの展覧会のために絵を描いていた。アトリエで一緒にお茶を飲んだとき、そのテーブルのコースターに彼の落書きがしてあった。それは壁の大きな絵よりも、その場には生き生きとしていた。
そのコースターでさえ今はアトリエにいることはできなく、ガラスのケースに閉じ込められる。街の中の絵も同じである。絵たちは絵のライブの会場に入ることは出来ないのである。
ライブを見たい、その絵が一番生き生きしているところでその絵を見たい。その絵がどんな気持ちで描かれたのかをその絵が描かれた場所でその絵を見ながら感じてみたい。
そんな願いを叶えるのはたやすくはない。美術館で絵だけを見るのは簡単だが・・・・。
と述べています。
● なるほどこの美術館、日本の静謐な田舎に閉じ込められてしまったお茶目なニューヨーク子のイメージ、今は亡きキースも戸惑っていることだろう。
◎ 設計をした北川原温(きたがわらあつし)さんは自作についてこう述べています:
この空間で私たちが忘れてしまったもの、失ってしまったものを思い出すひとつの 「 寓意の森 」 をつくりたいと考えた。
与条件を整理して空間的な解を見出し、全体を一定の秩序のもとに統合していくという計画手法がいわゆる一般的な設計作法だとすれば、この空間はその作法から悉く(ことごとく)外れた道を辿った。いろいろの意見、悩み、あきらめ、挫折もあり、しかし思いがけない発見や壮大な構想萌芽もあり素晴らしい夢もみることができた。
そうしたことこそが建築作りの面白いところだ。私はそのような情況を映画や小説のように捉え表現することが出来ないかと考えた。そして、計画論的な概念を棚上げし、新しい道を模索した。( *寓意:他の物語にかこつけて、それとなくある意味をほのめかすこと)
( ちなみに 2008年のJIAの建築大賞に輝いた建物です。)
● 緑多い自然の中では ‘ 白 ’ はやはり異質だ。
凸な建物のゆるい凹面屋根の部分が外壁と一体になるデザインは、見切りがないほうがシンプルできれいだが、耐久性を考えるのであれば屋根庇は必要でしょう。又、大架構(ジャイアントフレーム)の鉄骨の上にコンクリートスラブを乗せるやり方は、クラック防止に苦労したと有りましたが、庇無しのせいか、大架構のせいか知りませんが、カベの赤のモザイクタイル面に白化現象が出ていました ( 無理は劣化を早めると思われる )。
黒い逆円錐の外壁、屋上は当然のことながら円形平面になっている。北川原さんはデザイン上、末端下部地面すれすれのピンポイントに痺れるのだと言う・・・!?
解らない訳ではないが、建築家のひとりよがりと言われそうだ。
一通りの作品の見学を終え、広報担当の美しい女性に案内されるままに、お願いしてあった露天風呂棟見学に向かう。
雨の道すがら彼女と話した。
曰く、「 キースはゲイで彼は進んでカラードの恋人(彼氏)達を選んだ 」 という。
唐突な話に戸惑いながらも、さもありなんと思った。
キース曰く: 「 私は間違って白く生まれてきてしまった 」
そして、若くしてエイズで亡くなった。
● 私(増澤)、考えてもみれば、自然界の生き物では、例えば蛇や虎にも時たま表れる 突然変異としての “ 白 ” は異端だ。
● お待たせしました、今回の訪問のもう一つの目的、建築家の作る露天風呂の見学です。
平面と外観写真です。
露天風呂周りです ( 見ての通り開放的であっけらかんとしているのは、ここでは水着着用だからでしょうか・・・水着を着けたらつまらないのだが )
凹の浴槽が床と一体になる、屋根の部分でも述べたが、見切りが無い方がすっきりきれいだが、汚れや耐久性を考えたら玉縁は必用だと思うのだが・・・・・。オーバー水は床面のゆるい窪みの先の排水に吸い込まれてゆく。
グループ貸し切りや、外国人の予約もあるという。
夜のライトアップされた露天風呂、フラットな砂利敷きの先に拡がる緑の竹林と林は美しいでしょうと先ほどの広報の女性に尋ねると、夜の星空もいいが、明け方の空が素晴らしいとの返事。 えっ! と思って聞き返したのだが、明け方でも予約なら貸し切り可能だと言う。
考えてもみれば漆黒の闇の景色は、美しいけれど単調なのかもしれない。
「 しらしら明けの星と月。 ささやき始める小鳥達。 夜と朝をつなぐ刹那・・・・・ 」その方がドラマチックであろう。
私(増澤)、デザイナーとしてまだまだ修行が足りないと思う今日この頃ですが、新しいものを見ると、もっと良いデザインが出来そうな気がしてくる。果てしないロマンが道を拓き、光明が射す。
多分、・・・・・そう思えるうちはこの仕事を続けるのだろう。
Posted by masuzawa05 at
09:37
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