2009年05月25日
平賀敬 美術館
『 巴里 無頼 』
新聞にて知った 画家・平賀敬。 箱根湯本に美術館が在るのと、なにやら色っぽい絵に誘われて訪れた。
住まいを展示スペースにしているので、玄関アプローチはこんな感じ。
● 古い木造別荘の廊下、蔵、座敷に所狭しと無造作に飾り置いてある絵の数々、小さく2センチ角ぐらいの紙切れに鉛筆手書きの値札が脇に付いているのが微笑ましい。
美術館と言うわりには、自由に写真を撮らせる気安さが好きだ。ボランティアの近所の女性が座敷に招き入れ、主人・平賀敬 在りし日のNHK取材ビデオ映像を掛け、お茶と饅頭を出してくれる、またまたこの気楽さにまいる。
此処にお住まいになっている奥様はたまたま病院に行っているとの事で、お会いできなかったが、座敷を一瞥してざっくばらんな暖かなお人柄が偲ばれる。次はぜひともお会いしたい。
いずれも明るい色気がはち切れんばかりに輝いている。こういう‘ あからさま ’も久しぶりだ。
予め頼めば入れる、まじりっけの無い源泉100%の湯、 「 どうぞどうぞ! 」 と勧められたが、目的違いで面食らって・・・・・、次は風呂に入りに来よう。
○ 赤富士:シャンパンの香りのする富士もいいもんだ。
○ 雨:真ん中にある黒い帯は雨の塊で、涙雨なのか、清貧の頃の作品(第7回シェル美術賞展第3席入選)で、売らずに床の間に置いてあるのは、思い出深いからでしょうか。
○ 大観先生のいる風景:真ん中に尊敬してやまない横山大観先生が座り、両脇はへのへのもへじ顔の有象無象(うぞうむぞう)が取り巻くという構図はいいのだが、説明を聴かないとわかりづらい。
○ 花遊図:真ん中が平賀さん、後ろに在る本物の襖絵を閉めると女体が一体となる。
○ 着物絵: 太郎の屋根に雪降りつむ
次郎の屋根に雪降りつむ 云々。
● 三好達治の詩 「 雪 」 の一節(一部)が書かれています。高校生の時、私の友人が彼の詩 「 蟻が蝶を運んでいる、ああヨットのようだ 」 という一節を私に諳んじてくれた思い出、一見がさつそうに見えて、人は見かけによらないとその時思った。今は不動産屋をしています。
○ 太郎
○ 次郎
綿入れ:彼が着ていたのでしょうか、なんともにぎやか。
○ デスマスク・スケッチ:息子の画家の太郎さんが描いたもの。床脇棚に無造作に置いてある
● あっけらかんとしたセクシーさで湯(遊)蕩に明け暮れた、粋な明るさがいい。
障子を開けて本人がひょっこりと現れてきそうな気がする。
ここには家族の‘ 愛 ’が満ちている。洒脱な絵師 平賀 敬。
◎ 私が箱根湯本に住んで何年になるのか湯本の仲間たちが首をかしげるのをいいことに、私も箱根を終の棲家と思い定め、たまに所望される色紙に「 湯場散人 」などと署名して臆面もない。
箱根の良さは当然、温泉と言うことになるのだが、日がな湯に浸り、あがれば当然、ビール、お酒ということになり、酔夢のうちに月日が流れ、温泉必ずしも心身に良いとも思われぬ。
わが庭には湯坂山を源流とする曲水が存在して、仙石原の湿生花園の縮図とでもいうべき水草、山野草が流れに蟠踞し、もはやあまり手入れの要もない。
いまは、箱根ゆかりの生物を流れに忍ばせることに専念している。
そろそろ蛍も遊びにやってくる頃だろう。
この春も素性は分からぬが微小なるメダカを放流した。目にもとまらぬ早業で彼らを捕食する鬼ヤンマのヤゴを目撃し、悲喜いずれをとるかに苦慮した。
いつの夏からか緋メダカの水瓶に河鹿が出現し、ホロホロと哀傷の啼き声を発して縁側の大酒飲みどもをホロリとさせている。昔は河鹿の大合唱だったそうで、木戸孝允こと桂小五郎さんがわが庭を 「 蛙園(あえん) 」 と名づけたそうである。探せばその看板はどこかに存在すると古老から聞いたことがある。
平賀 敬 著: 「 マイウエイ 」 より
● この散人居の画家という文士の名文 久しぶりに ‘ しびれた ’。
新聞で知り、ネットで調べ、矢も盾もたまらず訪れた甲斐があった。
Posted by masuzawa05 at
10:07
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