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増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2008年09月29日

鬱(うつ)の時代

増改築計画で初めて伺った旅館のオーナーの方から、打ち合わせの最後にこう言われたのが気になっていました。

「 この1〜2年の景気停滞が、旅館の存続にどういう影響を与えるか、やることはやるんだが、じっと見つめ、考え、次のステップへのヒントにしたい 」と。

 計画に伺ったのに様子を見たいとの言に、出鼻をくじかれた様でもあり、又、     ‘ なるほどね ’ と同じ経営者として納得したりもして・・・。

 旅館に限らず我々(設計事務所)をも含めて、時代の閉塞感が日本列島を覆っているように見える。どういう手立てで閉塞感を打破すればいいのか、それともうねり・流れに逆らわず手堅くコツコツと凌ぐのか・・・、ヒントを探し求めて出会った珠玉の対談本。


● 文明は鬱の中で成熟する

五木さん: これから先の何十年かのあいだ、あらゆる世界の文明が緩やかな下山に向けて動いていくなかでは、躁(そう)か、鬱(うつ)かといえば、どうしても鬱のほうが時代の主潮になっていくでしょうね。

ituki











香山さん: 環境問題ではCO2削減という方向に向かっていますけど、その下り坂にあわせて、いろんな意味で、ダウンサイジングをいかにできるかということですよね。
 (ダウンサイジング;downsizing,規模を縮小すること)

kayama













五木さん: 鬱というのはダウンサイジングですね。よき鬱の方向を求めていくという。もちろん躁状態にもいいところがあって、世の中には大胆不敵であるとか、冒険心がなければできないこともいっぱいあります、ベンチャー企業なんていうのは、まさに躁の経済学です。だけど僕は、鬱には鬱で、同じように利点がたくさんあると思うんです。そういう鬱の利点や美点を一生懸命探していく時代になるでしょう。

香山さん: ただ、実際に鬱になってしまうと、自分のことで精一杯で、他人を思いやる余裕がなくなってしまうんです。自分が鬱のとき、どうしたら自分もつらいけど人も大変だという気持ちになれるか。思いやりとか他者理解は、とても大事なことだと思うんですが。

五木さん: 過去のいろいろな哲学者や思想家を見ていると、だいたい鬱のなかで考えています。鬱というのは、これまで外に向いていた目が、自分の精神、魂、内面に向けられる。文明の成熟という意味では、鬱は決して悪いことじゃない。
 たとえば経済では人口が減ることを前提に、未来像を選ぶわけです。どんなふうにダメージを少なくしながら、前年比で売り上げを減らしていくか。

香山さん: そうすると、北海道のようなところも可能性がある気がしてきますね。

五木さん: 車の喩えで言うと、初心者が最初に関心を持つのはパワーなんです。その次にハンドリングに移って、最後に大事になるのはブレーキングなんです。
 日本の戦後は、いわばアクセルを踏む快感だけでやってきた。パワーを誇示して、アクセル全開にして走り続けてきた。これからは、成熟した文化だけが持ちうる、制動のよさみたいなものを目指すべきです。そういうことを大切にしていく経済学や政治学の理論を考えていかなければならない。


● 発想の転換

香山さん: 発想を百八十度転換しないと。

五木さん: 登山でもそうです。登るときは頂上を見ることだけにとらわれて、周りのことなどよく見ていない。むしろ下り坂が登山の醍醐味なのです。下界も見えるし、ああ、こんな植物も咲いているとか、ライチョウがいるとか、余裕を持って下りていける。上って降りて、はじめて登山は完結するわけで、そこまでが文化なんです。日本はこれまでずっと登ってきたんだから、これからはゆっくりエレガントに下りていきましょう、と。加速も文化だけれど、減速もカルチャーなんです。その減速の美を、しっかり身に付けておきたい。

香山さん: 私はどうしても、今の若い人は脆弱なのかと思ってしまうんです。
 朝の八時ぐらいから夜中の十二時まで働くなんていう働き方は、今の若い人には耐えられないでしょう。私はちょうど狭間の世代で、上の世代の人たちをリアルタイムで見ていたから、昔の猛烈サラリーマンはそれくらい働いていたのにな、とも思うんですよ。自分たちもそのぐらい働かなきゃと思っていたし。でもよく考えてみたら、今の時代、そんなに働かなくてもよいのかもしれない。週三回、パートで働くお医者さんの話をしましたが、いまの若い人はもう、そういう働き方しかできないし、それでいいのかもしれませんね。

五木さん: 株価や為替も、社会的心理に大いに影響がありますね。株価の低迷はいつまで続くのか。低迷すると、一種の鬱状態が広がっていきます。
 鬱の経済学があるとしたら、全体の売り上げが減ったにもかかわらず、質的にはよい利潤が保たれる、という経済学だと思うんです。利潤には水増しの利潤と、ほんとうの純利潤とあって、質の高い利潤を求める方向へ動いていけばいい。それは必ずしも総売り上げを増やすことではない。

香山さん: 利潤がきちんと保たれるのであれば、株主も納得しますね。


● 自分だけのために生きるのではなく

五木さん: 日本はこれから、三千万も人口が減るといわれています。八千万人ぐらいになると、少し静かになる。そうなってくると気持ちも、しんとしてくる。人間と同じで、国にも青年期と壮年期と初老期と老年期が明らかにあります。老年というのは大変だけれども、ある意味での充実感はある。イギリスは老大国といっていいし、スウェーデンも老いた国だと思います。若者の国ばかりではなくて、老年を意識した国があってもいいでしょう。

香山さん: フィンランドが国際学力調査で世界一という結果が出ました。北欧諸国はサステナビリティ(持続可能性)を実現している社会だともいわれて、今は猫も杓子も北欧に学べ、になっている。日本も、成長力や競争力じゃうまくいかないとわかったら、今度は学力やエコロジーで世界一だということで、ある種の国家的なプライドみたいなものを、別のかたちで保てるのかもしれません。

五木さん: 僕は戦争が終わったときよりも大きなターニングポイントがむしろ2000年以降の数年にあったと思うんです。

香山さん: 小泉政権のときですね。あの頃は国民がやっぱり一種の熱狂状態にあったので、その曲がり角に気がつかなかったんですね。

五木さん: あの人自身は決して明るい人じゃないと思うんですが、小泉さんの時代がこの国で最後の躁状態だったような気がします。

香山さん: 小泉さんの時代は、ホリエモンのように利己的なことが美徳とされた時代でした。でもそれは自己責任論とセットで、弱者切捨てにもつながった。
 私は、これからの時代は利己的なだけじゃなく、「 利他 」が大事だと思うんです。他の人のためになにかする、それがまわりまわって自分の幸せにつながったり、誰かが自分のことを思ってくれたりする。麗しき自己犠牲というのではなく、自分自身がもっと幸せになるためにも、もう少し利他的に振舞えたら、ということを私は最近よく考えます。
( 利他:自分を犠牲にして他人に利益を与えること。他人の幸福を願うこと )

五木さん: 鬱のなかには、憂鬱の憂、つまり「 憂える 」 という意味があるでしょう。憂えるという気持ちは、まさに他者へ向けての発想です。地球環境の悪化を憂えるとか、子どもたちの未来を憂えるというのは、これからとても大事なことだと思います。
 世界中が「 躁の時代 」を通過して「 鬱の時代 」に入っていくなかで、そのような意味を含めて、あらためて 「 鬱は力なり 」と思いたいですね。


◎ そして最後に五木さんはこう述べています。

 私は鬱という感覚を、ひとつのエネルギーとしてとらえてきた。

 戦後六十年の躁の時代が終わって、本格的な鬱の時代がはじまったと感じる。そしてこの鬱の季節は、これから半世紀は続くにちがいないと思っている。
 季節に関係なく、人の生きる道は一定だ。しかし、夏と冬では暮らし方がちがう。鬱をいやがって、忌むべきものとして排除しようとする限り、私たちはつねに見えない影におびえつつ生きなければならない    ( 幻冬舎 『 鬱の力 』 より抜粋。 )   


 私(増澤)、先の旅館のオーナーに対する答えになるかはわかりませんが、スロー、減速の時代であれば。
 
お客様の『 求め 』の先をいく『 利他の心 』もて、吾が身の丈に合った『 良心 』に従い『 旅館道 』を構築し、小さくてもキラリと光る宿を目指す。
  

Posted by masuzawa05 at 11:08Comments(0)

2008年09月22日

詩人の感性に学ぶ・その8

宮崎駿 「 千と千尋の神隠し 」の主題歌 「 いつも、何度でも 」
の作詞家。 というよりも、その詩にメロディーがついた。

 おじさんとしては知らなかった。けれども知っていたい女性作詞家でもある。

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 この詩が好きだ・・・。

『 アプローズ 』

毎日の晩ごはんのごちそうに 拍手
食うや食わずの暮らしは ごはんとおしんこだけでもおいしくて 拍手

道端の犬のうんこに よくまあこんなに出たもんだと 拍手
それをデートのときしかも 新しい革靴で踏んづけて
めったにできない経験だから 拍手

生まれてくる あかんぼうに 拍手
生まれてすぐ死んだ弟に
わざわざ苦労しなくってすんでよかったと 拍手

九十で死んだおじいちゃんに
こんな世の中に九十年もよく生きたと 拍手

大天才の芸術作品に おおブラボーと 拍手
迷いの尽きない芸術家には 長い旅の楽しみに 拍手

できたお方だと 拍手
みえっぱりの 見栄を切る男気に 拍手
ぐちのこぼしやには 見栄をはらない素直さに 拍手

結婚の決まった娘に 拍手
行かず後家の娘は その気高い誇りに 拍手

ぴちぴちと健康な身体に 拍手
抱え込んだ病気には 乗り越えられる力を試されていて 拍手
不治の病には たった今生きているという そのことの眩しさに 拍手

善人は そのまんまで救われて 拍手
悪人は その罪深さのせいで なおのこと救われる余地が有って 拍手

垣根に咲いた赤い寒椿の その赤さに 拍手
枯れ落ちた赤い寒椿から 地面にその種がこぼれて 拍手

覚 和歌子さんの詩集: 「ゼロになるからだ」 より。



拍手し続ける
私(増澤)の                                  
素直さ(単純さ)に
拍手。
  
Posted by masuzawa05 at 09:37Comments(0)

2008年09月16日

今どきの旅館に必要なもの・その14

ひとつには 「 食 」 新鮮で健全な食材を、シンプルな味付けで素早く供する。

ふたつには 「 清潔 」 よく掃除の行き届いた天然素材の空間・寝具で憩う。

みっつには 「 湯 」  混じり気の無い適温のたっぷりな温泉。


良い景色と環境
さりげないもてなしと室礼(しつらい)
リーズナブルな料金

これらが付随すれば、ほかに言うことはない。


お客様からの多少の不満はどこでも有ることだから、ゆったりと構えて、あれもこれも
の要求には諂(へつら)わず、真っ直ぐに 我が道 をいく。そんな旅館が有ってもいい。

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旅館側のお客様へのもてなし・施設創りも、 本道からズレタの気づかず 「 そこまでやらなければダメなの? 」 「 ちょっと違うんじゃないの! 」 「 やり過ぎじゃあないの?! 」 と思うことが多いい。 一式揃えないと安心できないのだろう。それも分からないではないが・・・・・、面積に応じ施設のランニングコストも掛かる。
ソフトの為の施設作りから言うと、 “ 空間概念の集中化 ”  が大切で、シンプルな空間の方がもてなしのソフトもつけ易いのに・・・・・。 何か勘違いしているような要望の渦・渦・渦。 故に、あれもこれものもてなしを考えて、身動きできなくなる。


こう言うと、なんですが・・・・近頃いささか食傷気味で、サラッと特上のお茶漬け( 例えば昨晩の残りの 固めの冷や飯・静岡の安めのお茶・加島屋の鮭・私の漬けた浅漬けの沢庵 ) でも食べたい気分。 そんなことありませんか?
  
Posted by masuzawa05 at 09:56Comments(0)

2008年09月08日

映画・マンデラの名もなき看守

マンデラのスケッチ

     

     




 南アフリカでは、人口の18%にすぎない白人が、自分たちの王国を維持し得たのは、まさにアフリカ人内部の部族対立を含む徹底した分断政策によってであった。


「 楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである」
「 勇者とは、何もおそれない人間ではなく、おそれを克服する人間のことなのだ 」

 「 肌の色や生まれ育ち、宗教などを理由に生まれつき他者を憎むものなどいない。人は憎しみを学ぶのだ。憎しみを学ぶことができるなら、愛することも学べるはずだ。なぜなら愛は、人間の本性により自然によりそうものだからだ 」。
                  ネルソン・マンデラ 「自由への長い道」 より


 この映画は、監獄でマンデラの監視に付いた名もなき一看守の日常を通じての人間愛の物語である。

 私(増澤)、どうしても観たくて、日曜日に有楽町まで出かけた。
           
ずっと私の心の中に澱んで離れない、もろもろの内なる 「 差別の意識 」 を少しでも取り除き、「 学んだ憎しみを捨て、愛することを学ぶため 」と思って・・・・・。  
人種や、容姿、美醜、心持について、差別的なことを言う人をさげすみながら、知らず知らずにその人の軽蔑的な目つきやおしゃべりに感染している自分を感ずるがゆえの、せつなさ、やりきれなさがある。

 シネカノン有楽町1丁目(昔のSOGOデパートの読売ホール、建築家磯崎新と外国の建築家の講演を聴きに行った懐かしい思いで、今はビックカメラ)に行った。入場料1800円がシニアサービス(60歳以上)で1000円なのだ。健康保険証を見せての割引は初めてで、嬉しいような悲しいような、しかし、誰でも安いほうがいい。

 今、後期高齢者医療制度改正で世の中はゴタゴタしている、たしかに歳を取ってくると受ける福祉は篤く、払うお金は安いのがいいに決まっているのだが・・・・・それはそれ世の中がうまく廻ってのことだろう。
ちなみに
( 英語でお年寄りは: old person、aged person、elderly、senior、senior citizen )

写真1     













 低音の腹に響くアフリカの民族音楽をバックに、監獄の日常が ただただ 「 淡々 」と過ぎてゆく。寡黙に自由への道を歩む27年に及ぶマンデラの静かな熱情に、観客の私は心を打たれる。名も無き看守さえも 沈黙の心の叫びに 揺り動かされる。

そして看守はこう叫ぶ

『 貴方に逢って、知った。世界は間違いだらけだと―! 』


プロローグは、黒人の子供と遊び、チャンバラをし、屈託無くおしゃべりした一看守の幼き頃の日々。大人になるにつれ、年月が無邪気さと人を愛することの大切さを奪ったとしたら、人生や世界は間違ってはいないだろうか、そんな大人にはなりたくない。いま、看守の貴方が気付いてくれたその勇気に私は救われる。


● 自由憲章― Freedom  Charter

 我々 南アフリカ人民は、全国民ならびに全世界の人民に以下のことを宣言する:

南アフリカは黒人・白人を問わず、そこに住むすべての人々のものであり、いかなる政府も人民の意思に依拠したものでない限り、その権威を正当に主張することはできない。

我々の同胞は、不当かつ不平等に設立された政府により、土地所有の生得権や自由や平和を剥奪されてきた。

わが国は、人民が公平なる権利と機会に根ざした同胞愛のもとに暮らせるその日まで、真の繁栄や自由を享受することはない。

全人民の意志に基づいた民主的な国家だけが、肌の色や人種、性別、信条によって区別されることのない生得権を人民に保証することができる。

よって、我々南アフリカ国民は、黒人・白人共に対等な同国人であり兄弟として、ここに
「自由憲章」を採択する。

我々は、力と勇気を尽くして、ここに掲げる民主的変革を勝ち取る日まで、共に闘い抜くことを誓う。


 私(増澤)、はからずも涙がとめどなく流れた。それは歳を取ったせいもあるのだが・・・・終了後のライトの点灯が心なしか遅かったのが救いだった。
  
Posted by masuzawa05 at 10:04Comments(0)

2008年09月01日

心に残る建築家の言葉・その18

 おごらない 建築、 好ましい 建築家 

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 珠玉のことば 5つ。

● よい住宅 ( たまり―重心のある空間 )

 よいプロポーションでおさまっている家、単純明快におさまっているシンプルな家などはたいへん気持ちの良いものであるが、 「 よい住宅 」 というのは、形そのものよりむしろ、その家自体に 「 たまり 」 というか、重心のある居住空間のある家のことだと思う。


● 寸法に あらわす

 計算では出てこない人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法にあらわすのが設計という仕事だと前に述べたことがあるが、実際、建物の完成度は、詳細に検討された各部の寸法、比例によって決まる。そういう意味では、詳細図を作る過程は、当初の基本計画を自ら批評し推敲を加えてゆく仕事にほかならない。

 縮尺: 1/20 →1/10 →1/5  →1/1  と自己批評を重ね、推敲を深めた図面であって、はじめて職方を納得させることが出来、安心して施主に引き渡せる作品となるのである。


● 街並み

 その一軒から。自分のデザインする一軒から、街並みを変えていくんだよ。それくらいの気持ちでやらなきゃ何もよくなっていかないよ。 建築家には、そういう社会的な責任があると思うね。


● 日本の気持ち

 日本の気持ちから出たものをつくるべきでしょうね。つまり簡素でありながら美しい、というものなどを考えてですね。新しいことはその中で考えていくべきであって、決して向こうの真似をするとか、西欧の考えでするのではなくて、日本の気持ちでやると言うことが大切ではないかと思います。そのためには、日本の気持ちを養うということも大切でしょうね。最近はヨーロッパやアメリカの建築を見に行くことが割合簡単にできるようになっていますが、その前に、自分たちの住んでいる日本の、長年にわたって風土と文化によって培われてきたさまざまな建築から学ぶことが必要なのではないでしょうか。
 その上で、欧米の建築からそれぞれのよい影響を受け、新しいオリジナルなものをつくっていくべきだと思っています。


● 建築は詩

 いつかメキシコに招かれて行った時、建築は詩であるという話をしたんです。建築というと皆さんは、石とか木とかいう物質から創造されると考えられるけれど、本当は純粋に空間なわけです。その空間がどう出てくるかという問題になるとね、やはり神さまが与えてくれるような気がするんです。それからある洞察が加わる。機械の設計みたいにはいかないわけですよ、なにせ相手が人間ですからね。


 詩を‘うた’と詠むか ‘し’と読むか その辺りが作品に微妙な味わいになって表れるように思われます。 私(増澤)としては 「 建築は詩(うた)でしょう! 」



○ 三十年程前に伊豆多賀に作られた個人住宅を、見学して思ったこと。

緩急をもって醸し出す 空間の連なりとハーモニー。                
大きくもなく、小さくも無く。 高からず、低からず。
                 
高台から庭をへて伊豆の海に繋がる伸びやかなたたずまいに、おごりのない品格ある空間を感じました。そしてそこに住まうであろう方の ‘ お人柄 ’ さえ偲ばれるひと時でした。現在緑青色の屋根がしっとりと周囲の緑に溶け込んで美しいのですが、個人住宅ですので写真を掲載できないのが残念です。

○ 吉村さんの最後の作品が伊東市の川奈にあります。

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 聚光院伊東別院;

京都、大徳寺派の伊東別院です。本寺は千利休が生前より墓所として定め、現在は三・千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の菩提寺になっている。伊東別院の為に千住博さんが描かれた‘ 滝 ’( a  waterfall )の襖絵が素敵です。

 現在ここ別院には京都本院のご兄弟、小野澤寛海(聚光院閑栖)さんがお住まいになられています。 庭を我々の仲間の玄庭園さんが造った縁で、寛海さんには私どもで手懸けた建物 「 ひねもす亭 」や茶室 「 知足庵 」の扁額の書をお願いしたことがあります。

 聚光院伊東別院 伊豆のセルリアンブルーの空と相俟って、簡素な美しさが秀逸です。
  
Posted by masuzawa05 at 09:32Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
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