livedoor Blog
このBlogをチェッカーズに追加 このBlogを
チェッカーズに追加
このBlogをリーダーに追加 このBlogを
リーダーに追加
増澤信一郎の心模様 石井建築事務所ブログ

2007年12月25日

賢者の贈りもの

 話しの発端は夏にニューヨークに行ったときの事、娘がビーチサンダルを履いていた為、高級デパート 「サックス・フィフス・アベニュー」 に入れなかったことを悔やんでいた家内が、朝日新聞・be‘愛の旅人’の O・ヘンリー の記事を読み、その高級デパートの記述から突然 NY を思い出し、当時の高層ビルの写真が載った新聞を私の鼻先につんだして、残念がってそのあまり、貴方 「賢者の贈りもの」 知っているでしょ! ときたもんだ。

 私、忘れていて知らなかった。「 最後の一葉 (The Last Leaf) 」は知っているのだが・・・それは良く憶えていないと言った手前、こっそりと本屋にとんだ(走った)のだが・・・その後の顛末ドタバタは後で。

 これは O・ヘンリーが数々の短編を生み出した街、ニューヨーク。当時と変わらぬ、最初の「摩天楼」 フラットアイアンビル の写真です。

賢者










 


 そのことをニューヨークに居る、カソリック信徒の娘に家内がメールしたもんだから その返信に
「 パパは 賢者の贈りもの 知らなかったの!? それはビックリ 」・・・。クリスマスが近づいて、彼女が仕事の合間に通っている英会話学校でも、つい最近この話を読んでくれたそうです。
 しかしながらニューヨークが舞台であることは知らなかったようですが、原文の題は 「 The Gift of the Magi 」と言うのよ と伝えてきました。

ご存知でしょうが概略です:

 貧しい若夫婦のジムとデラ、この短編のクライマックスは、クリスマスの夜にプレゼントを交換する場面だ。帰宅したジムは、ばっさりと髪を切ったデラを見て驚く。かつら屋に髪の毛を売って、ジムの宝物である懐中時計に似合う鎖を買っていたのだ。ところがジムは懐中時計を売って、デラの長い髪に似合う上等のくしを用意していたのである。
 相手の大切な物のために自分の大切な物を犠牲にしてしまう。贈り物は無駄に終わるが、お互いの深い愛情をこれ以上はない形で確かめ合える。

 O・ヘンリーはニューヨークに1903年から8年間住んで、ニューヨーク・ワールド紙と一編100ドルの契約で日曜版に書き続け、これは1905年12月10日 に掲載されたものです。「The Gift of  the Magi」 日本訳 「賢者の贈り物」です。
                                  新聞記事より 

 読もうと思って、早速本屋で文庫本を買ってきたのだが、家に着くなり、「貴方何を買ってきたの」の 冷たい一言 「家にあるのに!」・・・又、本屋に戻って返却がてら、そのまま帰るわけにもいかず、言われるままに、今話題の「カラマーゾフの兄弟」全5巻を買った次第です。

 ちなみに
◎ Gift: 与えるが原義。与える、贈り物をする、施しものをする(冷たい言い方と思われるので一般にはプレゼントを使う)とあります。

◎ Present: 前にあるが原義。物を目の前に差し出す、贈り物。

プレゼントは 「どうぞ!って言って、物を差し出す。」と言うイメージで、この場合心を与えると考えると、Gift が正解かなと辞書を見ながら私、思ってしまいました。

◎ Magi: 聖書でキリストの降誕を祝いに来た東方の三博士、昔の魔法使い、とあります。私、誰かの名前かと類推していたのですが、違っていました。          

ある演劇では東方から駆けつけた三人の賢者は、あこぎな八百屋に扮してクリスマスのアップルパイ用にと腐りかけたリンゴをデラに売りつけたり、物乞いに姿を変えてジムの懐中時計を奪おうとしたり・・・と新聞の解説にはありました。


家族のメールが まあるい 地球を飛び交い、絆を確かめ合う年の瀬ではあります。

薬害訴訟、一律救済の福田総理の発言あり、先ほどの臨時ニュース。まだ日本も捨てたものではないと思える今日この頃でした。
  

Posted by masuzawa05 at 14:10Comments(0)

2007年12月17日

ちょっといい話・その3

 命と向き合う(小学館) という本に私の好きな三人のお医者さんが登場します。

todai





○ 先鋒 として 中川恵一さん(東京大学医学部付属病院緩和ケア診療部長)

・ 日本人と がん:

 がんがふえています。いまや、日本人の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで死亡しています。さらに10年後には、2人に1人ががんで死亡すると予想されています。まさに国民病です。
 がんの原因は、細胞分裂の失敗で、老化の一種といえるため、急速な高齢化によって、がんの発生が急増しているのです。
 ところが、 「 永遠に生きる 」 つもりでは、 「 がんとの賢い付き合い方 」 ができません。実際、激しい痛みの中、痛み止めの薬を拒否し、抗がん剤の副作用に苦しみながら亡くなっていった多くの患者さんたちの、壮絶な死が思い出されます。まさに、 「 がんの壁です 」
 日本には、いまなお、 「 がん治療=手術 」 というイメージが存在します。    
この 「 手術信仰 」 の背景にも、 「 悪いところを取り除いて、完全な体を得て、永久に生きたい 」 という心理が作用している気がします。実際には、命には限りがあります。体は一種の 「 消耗品 」 です。治療法の効果や、治療に要するコストや後遺症を十分吟味して、個々人の人生にふさわしい治療を賢く選択するべきなのです。

 生命が永遠であれば、5年生存率を高めることが大事かもしれません。しかし、人間の死亡率は100%です。そもそも、超高齢化社会では、人生の豊かさは、時間の長さとは別であると考えます。 豊かな人生は、豊かな瞬間の積み重ねです。 一瞬、一瞬を大事に生きるしか、人生を豊かにする方法はありません。 そのためには、がんの痛みに耐えている時間など無いのです。
 「 命には限りがあり、それゆえ、尊い 」 ということをもう一度考える必要があります。 「 がんになって、このことに気づいた、がんになってよかった 」 という患者さんは少なくありません。人生の時間を、各人に与えられた資源と考え、大事に使っていくという気持ちが必要です。

 筆者も、がんで死にたいと思っています。心臓病や事故などで死ぬのと比べたら、がんは数か月から数年の時間があります。その間に、仕事をまとめたり、身辺整理をしたりして、人生の幕引きができます。そういう時間があるのは、とてもいいことです。適切な緩和ケアで症状をとりながら、限られた時間を豊かに過ごすことが、 「 がんの壁 」 への処方箋です。


○ 次峰 として 養老孟司さん(東京大学名誉教授)

・ 親子は親子だろう!・・・ 5億年の体を 5万年の脳が 理解できるか:

よく小児科で出る質問だそうですが、「 動物は育児書なんか読まないのに、どうも上手に子育てしてるように見えますが、どうしてですか? 」 という保護者がいる。

よく考えればこれは当たり前で、人間が今のような脳みそを持って、ものを理解しようなんてはじめたのは、たかだか20万年たらずですよ。 言葉を本気で使い出したのはせいぜい5万年です。 動物の親子関係って何年前から始まった?  おそらく5億年前といったところでしょう。

 そうしたら、5億年前からある親子関係に対する信頼なくして、親子の理解を促進するといったって意味が無いでしょ。おそらく昔の人だったら、「 親子ってなんだ? 」と聞かれたら、 「 親子は親子だろ! 」 って一言ですむでしょう。
 つまり、人間の脳みそなんて、ものを考えるようになったのはつい最近の話じゃないかということです。 そんなものは5億年来続いている体の邪魔をしているだけじゃないか、という考え方が当然あっていいわけです。

 近代化、効率化のなかで近代人は頭で生きるようになってきた。 だから東大医学部があるんです。つまり頭です。入試は頭が悪かったら入れないです。 そうしたら、やっぱり人間は意識的な動物ですから、意識で生きていく、というふうにみんなが思い込み始めた。

 しかしながら、最後に残っているのは体です。体のほうがよっぽど長持ちします。  意識なんていうのは、たかだか5万年の歴史と思ってください。そんなわずかな時間しか経ていないものが考えて、りっぱな答えが出ると思ってるのは、意識の完全な思い上がりです。 5億年以上かかってできてきた体を、せいぜい5万年しかたっていない頭が理解できると思ってるほうがおかしいよなあ というのが、老人の感想でございます。

 私(増澤)、思いますに、意識的に造った建築空間の中で、動物としての人間の体はすんなりと理想的に動いて馴染んでくれるのだろうかと? 動物的感性を伴った空間デザインが必要なのかもしれない。 頭デッカチな理屈 ではなく、動物的勘、いいものはいい! それが大切。

施主は納得しないかもしれませんが、数十年の物造りの動物的感性を喚起する術(すべ)を磨く、結果としての作品(商品)、それはそれでいいのだ。と、思いたい。


○ 中堅として 和田秀樹さん(国際医療福祉大学大学院教授)

・ 日本人と老い:

 最近思うのですが、 「 老い 」 というものに関して、やはり世の中のスタンスが変わってきているんじゃないか。もしくは 「 日本人と老い 」 ということを考えたときに、少なくとも 「 老い 」 にまつわる考え方が、2通りあるんじゃないかと考えています。
 一つは、 「 老いと闘う 」 ということです。 「 闘う 」 ということになれば、当然、若返りを図る、ということになります。要するに、70歳なのに、 「 あなた、70歳に見えないわね 」 とか、実際の年に見えないということは、だれでもというわけではないでしょうが、多くの人にとっては嬉しいですよね。
 医学の分野でも 「 老い 」に対しては同じようなことが言えます。いま、老化予防とかアンチエイジングということがさかんにいわれ、花盛りといってもいい状態です。
 「 老いと闘う 」 ということが、日本では、医学の世界であれ、あるいはゲームの世界であれ、あるいは美容の世界であれ、もうメインストリームになってきつつあるわけです。

 ただその一方で 「 老いを受け入れる 」 という発想も、おそらく日本にもあったのではないかと思います。たとえば、赤瀬川原平さんの 『 老人力 』 という本があります。それまでだったら、人の名前を忘れるということは、老化の始まりみたいな、割と否定的な見方だったんですが、 「 老人力 」 ということで考えると、 「 それだけまっとうな 」 老人になったみたいな、 「 まあ老化なんてどうでもいいや 」、 あるいは 「 いやなことを忘れることができる 」 とか、モノにこだわらなくなったという意味で、老化をむしろ肯定的にとらえようというのが赤瀬川さんの意見です。
 老いて後、われわれはよく 「 がまん 」 ということをいいます。たとえば 「 肉を食べるのをがまんしよう 」 「 塩辛いものをがまんしよう 」 「 タバコをがまんしよう 」といった具合に、でもむしろ高齢者こそが、がまんしないほうがいいのかもしれない、がまんのない生き方のほうが幸せなのかもしれない。ふだん 「 がまんしていると何かいいことをしている 」 というような錯覚がありますが、でもそれがかえって寿命を縮めたり、寝たきりを早めたり、医療費を余計に使う原因になったり、ということにつながるのかもしれません。

 こういう 「 がまんと寿命 」 みたいな研究が始まってくれるといいと思います。

 たとえば、ある老人ホームでタバコを吸っている群と吸ってない群で、生存曲線に差が無いという論文もあります。 また、糖尿病の人のほうがアルツハイマーが少ないとか、コレストロール値の高い人のほうがうつ病に掛かりにくいとか、因果関係はわかりにくく、つまり、老年期に関しては、何が体によく、何が体に悪いのかというのは、青年期、中年期にくらべて、現実には、われわれが思っているほど、よくわかっていないですね。

 キリスト教文明の中で、とくに原理主義みたいなアメリカ的な考え方によれば、若くて勤勉で、働き者というような人がいいというキリスト教文明に対して、 東洋の文明の中では、たとえば高齢者を敬いましょうとか、運命の受容を説きましょうとか、あるいは多少自己愛的であったとしても、それはそれで人間ってしょうがないじゃないの、見たいな事を言っているわけです。 これはたぶんキリストが30歳前に亡くなってしまい、年寄りの気持ちがわからない ということも原因にあるのかもしれません。
 「 老いているだけで価値がある 」・・・・・!?
昔・人生50年といわれたずっとずーっと以前に、 孔子は73歳  お釈迦様は80歳まで生きたから、年寄りの気持ちがわかっていたんじゃあないか と想像するわけです。

 われわれが、医療とか医学などをやっていく中で、100%の死亡率に至る前の
「 老い 」 に対してどう向き合っていくかということが、次の時代の大きなテーマになっていくんじゃないかというふうに思っています。

武道の試合で言えば 先鋒・次峰・中堅の後は 副将→大将と続くわけですが今回は3人だけです。

死亡率 100% わかっているようでわかっていない私、分かりたくない私、 老いは足音も無く平等に訪れる。                                             
                                         
わかっていない私から、わかろうとする私へ。 されば、少しは暢気に・少しは優しくなれるかもしれません。
  
Posted by masuzawa05 at 09:55Comments(0)

2007年12月10日

心に残る建築家の言葉・その13

『 都市 』 についての考察から:

芦原さんの作品というと、銀座ソニービル。 スキップロアーで各階が繋がり、興味の赴くまま、知らず知らずのうちに上の階に導かれ、又グルッと一回りして下りてくる。  この不思議、今でも新鮮です。 貴重な角の小さな外部空間(坪庭)がいつも季節のディスプレイで飾られていて新鮮でゆとりを感じます。(現在56歳になるご子息の太郎さんが活躍されています。)
そして忘れちゃーいけない、学生のころ日本の3大美人を見に行った思い出があります。(白い帽子に白いハイヒール、白のスーツを着た八頭身美人)

 ソニービルの角の空間; 芦原さんおっしゃるところのわが国の都市、中心の喪失という、『 アメーバー都市論 』の一端がこの小さな坪庭に表出されて居ようとは!

ashihara










 ・昔、初めてイタリアに行って組積造の建築に取り囲まれた広場(ピアツア)の空間にたたずんで、この空間を自ら体験したとき、私は何とも言えない不思議な心のときめきを感じた。 そしてそれは、外部ではあるけれども天井や屋根の無い大きな内部に居るような感じであった。われわれ日本人が馴れ親しんできた屋外空間とはまったく異質な、もっと人間の意図の満ちあふれた人為的な外部の空間であった。             
それ以来、私は「自然」のような発散的な空間に対して、境界線によって取り囲まれた収斂的な空間を 「外部空間」というように分けて考えるようにしている。そこで人為的、かつ、意図的につくられる 「外部空間」は それ故に設計やデザインの対象となるのである。

 ・ところがしばらく外国旅行をして帰国すると、わが国のごちゃごちゃで特異な都市空間のあり方が ‘反省 ’とも ‘再評価’ とも取れる新しい考え方として私の頭の中に低迷する。日頃見慣れていたはずのわが国の都市や街並みが、私にとってなんとも不思議に見えることが再三ならずある。                        
そのひとつは、ヨーロッパの都市などに見られる、しっかりとした都市の中心のないこと、どこの都市に行っても似たりよったりのごちゃごちゃで、都市のアイデンティティーや顔のないこと、ただなんとなくだらだらと蚕が桑の葉を食べるようにスプロールしていて、とりとめのない都市空間をつくっている(アメーバー都市論)ということであり、それらはいずれもヨーロッパの都市では見られない現象である。

 ・わが国の伝統的な木造建築は、軽快性、透明性、非対称性、非中心性などという近代建築の特性を持っていて、西欧の古典的石造建築の持っている重厚性、非透明性、左右対称性、正面性、中心性などと対峙してきた。それらの特性の中には、平均化されながら中心性を失っていく傾向が見られる。わが国の都市はほどほどに簡明でなく、適当に混ざり合っていて、ある意味では民主的であり、平均的であり、近代的であった。もしそうでないとするならば、日本の都市はとっくの昔に崩壊していたはずである。それが現在でも一見カオス的な都市現象の中に、自己滅却の原理によって生きのびている。


・ 街並み、あるいは外部における ‘床の間’ の効用について             
(彫刻家・佐藤忠良さんとの対談):

 ぼくはいろいろの街並みに非常に関心があって、わが国の場合、部屋の内部には床の間があるけれど、なぜ屋外にも床の間がないのかというようなことを常々考えていたんです。     
 絵画はどちらかというと内部に向いている。彫刻は、屋外の床の間に向いている。イタリアでは、ルネッサンスからのあるひとつの修景の理論で街の中に床の間をつくって、そこにはかならず彫刻を置いています。

 私(増澤)、街並みには‘公園’が必要。と単純に、考えも無くかつ頑なに思っていましたが、 そうだ! 修景として、日本の外部空間のちょっとした空地に、床の間でいいんですね。そういえば、ニューヨークの街中に通り抜けの滝がありました。あれもポケットパークというよりも、彫刻風床の間でいいんですね! 納得です。

sony01













● ソニービルの設計について:
 (今現在、銀座で高層建築商業ビルの是非が問われ、銀座商店街の旦那衆の結論はNO! 協議の結果、松坂屋銀座は56メーターで作り変えの結論に達したのだが、元々は最大30メーター程度に抑えるという申し合わせ。中央区の条例では、指定した地域のみ屋上の広告物を含めて66メーターに抑える。との最近のTVニュース)


 当時、銀座の方々からは、「横の銀座が縦になった」とかいわれてね・・・・・。

日本人は屋内には床の間をつくっているけれども、イタリア人みたいに屋外に床の間をつくらないという反省から、 あの角を10坪ほどを空けて、 外部空間の演出を図ろうということになりました。それで担当の方を決めて、いろいろな演出を始めたんですよ。 さてよく計算してみると、どんな高いものを売っても、あそこの地価の高い土地では採算が合わないんですよ。 そこで盛田さんが、「ショールームというのは広告代と思えば幾らかかってもいいんだからこれはショールームにしよう」 って言われた。そして決まったんです。

sony02









 1階は待ち合いの場で床がパネルヒーティングになっているので、あそこで30分ぐらい待っていても寒くないですしね、夕方行ってみるといろんな人が来ていて面白い。待たされても腹が立たない。そんなことで、ソニービルは名物になって非常に良かったです。

sony03









● 建築家は顔つきが大切:
 建築家の場合、いろんな人とのつながりが大切です。画家と違って、自分で勝手に描いてよかったら売れるというのではなく、頼む人に信用されて始めて実現するわけですから、信頼・信用が全てです。

 それでね、学生によくいうんですけど、設計ももちろんがんばってうまくやらなきゃいけないけど、建築家は信念や顔つきが大事だ。とにかく大金を使わせるんだから、その大金をネコババするような顔をしていたんじゃだめだ。自分たちのためにうまく使ってくれる、それですごく一生懸命やってくれるというような信頼感がなかったら絶対頼まれないぞ!っていうんです。


 ところで ‘顔つき’ まで話が及ぶと、私自信ありませんが、専門の設計士に頼んだからには、クライアントはデザインについては、全面的とは言わないまでも、ある程度任せることが必要ではないでしょうか ( もちろん作品傾向の事前チェック等入念にしていただいた上での事ですが )    
 
 建築家の清家清さんも言っていました 「 一式もいいもんですよ 」 って!    これって 設計士のわがままでしょうか 。


 わが顔つきをじっと眺めてみる・・・・・まあまあ かな?!
  
Posted by masuzawa05 at 10:36Comments(0)

2007年12月03日

ニューヨークに行ってきました・その4

● 一軒だけ見学したホテル

 娘の上司の林慎一郎さん から 「ハドソン・ホテル」 が良いと紹介されたので見学に行ってきました。                                   
コロンバス・サークルのタイム・ワーナー・センターのハドソン川寄り、古い建物を改装したのでしょう、意識的かどうか判りませんが看板も無いホテルです。

NY40NY41NY42

 











多分、高層階は赤茶のレンガなので、低層部分のみ外装を仮面のように替えたのだと思われる。

 狭い入り口、小さなエントランスドアー、狭いエスカレーターを抜けるとここで一気に開け、フロントに出ます。

NY43sketch

 














上りつめた処にフロント・ロビーがあり、フロントバックの窓から見えるのがパティオです。このパティオが夜 賑わうのです、外部レストランとしても使います。

NY44NY45NY46

 










ここには こんな大きなジョロ のプランターがありました。

NY47

 






パティオを取り囲むように回廊とビリヤードバー、オープンキッチンのレストラン、カフェ等が配されています。

NY48NY49NY50








NY51

 





ここで一考:

◎ 落着くホテルとは; 適度な暗さと、自然を取り込んだ平面構成、緩急自在な繋がりの有る空間のうねりに呼応する心のときめきが有り、買い貯めていた というような 古い椅子・テーブルが通路、コーナー毎に置いてあり、 ほっておいてくれる気楽さ、お客は好き勝手にそれぞれに座る。それでいて調和がとれ、リラックスできること。

 設計者の意図は充分感じられるのだが、さりげなく、それが鼻につかないテクニックが肝要。ニューヨークに在っても、いや、ニューヨークだからこそ、庭や緑そして外気に触れる空間はやはり気持ちいいのでしょう。

NY52NY53NY54









NY55







 







外部のレンガを意識してか(外が内に入り込んでいます)、内装レンガタイル貼り柱型の面木ディテール。

NY53

















 まるで 日本人のような(石井建築事務所のような) デザインでした。

◎ 改装工事は既存建物の制約が有るからこそ、その制約を逆手にとって ‘ユニーク’ なデザインが出来る! そう思った見学でした。


● せっかくアメリカに来たのだからミュージカルでも見なければとの娘の配慮で、それでは‘ライオンキング’がいいと私が言い出したのですが、生憎250ドルもする席しか無いという・・・家内は太っ腹でいいんじゃないの! 私と娘はウ〜ンと唸って節約精神発揮? しばしの熟慮の末 ‘マンマ・ミイア’に決定した経緯はともかくとして、結果的には正解でした。
 MAMMA MIA!とは OH MY GOD ! と同じような意味合いだそうで、私流に訳すと 『 ママ なんてことなの! 』 とでも訳せばいいのでしょうか。 イタリー語という人もいますが(英会話スクールのKenの弁)・・・・・。

筋書きとしては:
 母ひとり、娘ひとり の家庭。娘が結婚するに当たって、父親(パパ)と思われる母親(ママ)の昔の彼氏三人に娘が招待状を送る。そして三人が訪れて大賑わいのドタバタ、ママとママの二人の独身の女友達共々、三人のパパとそれぞれに結ばれるという。アメリカ版ハッピーエンドのおそまつでした。                           
ジェスチャーであらすじは分かっても、英会話がまだまだ聞き取れない私は、笑いが遅れる。 劇場は満席、夏休みもあって、アメリカンな熱気でムンムン! 拍手喝采、最後は立ち上がって踊り始める人たち。 そこはまさしく ‘ アメリカ ’でした。

ちなみにこれは ニューヨークを謳歌している娘の写真です。

moe01moe02













● おしまいに
 元々、見舞いの旅だったのだが、私は見物・見学に明け暮れた一週間でした。

ニューヨークから成田に一足飛び、13時間。                   
今回はエコノミークラス。ビジネスクラスの飛行機代は一人当たりプラス50万円也。がまんすれば100万円の節約なのだ、その分お小遣いを置いてきたほうがいいとの迷案で納得はしたのですが、帰りがけ忙しさにかまけて其の事はすっかり忘れてしまいました。 二人共々の還暦旅行としては、まあまあかな。

真夏に行ったので 、次は冬もいいね! 次はビジネスだね!  との 話もあった。

ニューヨークのビル街から成田に降り立つと緑がまぶしい。
そして、東京駅構内がやけに美しく見えた。


 帰宅した翌朝 小鳥の鳴き声に闇が障子を透かして徐々に目覚めるとき、
あ あ!  日本だな〜 と思った。

この国は  『 山気水脈の列島である 』  以上。



hanaduna



  
Posted by masuzawa05 at 11:25Comments(0)
心を形に表す
建築空間にはいろいろの「想い」がある。
具体的な平面から容積のある空間へと立ち上げるさまざまな作業の中で、オーナーの使い勝手や心情が、私の心を通して色づいていく。
思い入れ豊かに熟成された建築空間には、オリジナルでしなやかな空気が息づき始める。
豊潤で美しく、時に凛々しい。
機能的であることは大切なことですが、美的な創意工夫も大切な要素です。
そう思いながら設計しています。


増澤信一郎
S22年10月11日生まれ
芝浦工業大学建築工学科卒業
静岡県伊東市宇佐美在住
MONTHLY ARCHIVES
アクセスカウンター

アクセスカウンター