2007年07月30日
お笑いブーム(ユーモアブームではないの?)
朝日新聞にこんな発言がありました。
『透けて見える世の危うさ』と題して 落語芸術協会会長 落語家・桂 歌丸さんの言葉
お笑いが大ブームです。 テレビはお笑いタレント総動員で、テンポの速い漫才やコントで笑いっぱなしにさせてくれる。 でも、どうでしょう、私は見ててくたびれちゃう。見た後に何も残らない。手前味噌になるが、聞いた後にジーンとくる、ほのぼのとする、そんなものが欲しくなる。 寄席の盛況は皆さんのそんな気持ちの表れじゃあないか。 となると落語ブームも、ただ喜んでばかりはいられないのかもしれない。ギスギスした世の中の反動じゃないかとも思うんです。
● 弱いものいじめについて;
余裕のない、シャレの通じない世の中になってきました。去年を振り返っても、悲しいことや腹立たしいことがありすぎて、一つ一つあげられないくらい。 早い話がいじめ。子供のいじめばかりが問題にされていますが、大人の世界にもあるんじゃないですか。
たとえば今、政府は増税の話ばっかり、何かあるとすぐ税金をとることばかり考えるよ
うに見える。なぜか、それは一番簡単だからですよ。取りやすいところから取る、世の中
の弱いところから取る。楽だから。これ要するに、弱い者いじめでしょ。で、企業には減
税っていうんだから・・・・・。
● 落語とユーモアについて;
大体政治家には笑顔がない。 特に野党の幹部。自民党のほうがまだ表情に余裕がある。外国の政治家は必ず冗談を言います。 笑わせること、人を楽しませることを大事にしている。日本でやったら「不謹慎だ」って言われるでしょうが、政治家にもユーモアや人間味が欲しいですね。 吉田茂、福田赳夫、大平正芳。みんな落語好きでした。 今はいません。後援会の方々は時々団体で寄席に来ますが、政治家本人は来ない。オペラや歌舞伎もいいけど、時には寄席にいらっしゃい。
● 落語家の躾について;
落語家の世界は昔ながらの師弟関係です。 弟子には先ず礼儀作法から教える。私生活をきっちりさせる。今は家庭教育がおろそかだから、その分も厳しくする。そして稼ぎのネタになる落語を教えるのは一番最後です。 ところが、企業ってのはそうじゃない。会社で最初に教えるのが金儲けの方法。人間としての土台などは作らない。だから不祥事が次々に起きるんです。
ある時、 飛行機で乗り合わせた政治家が降り際に「あんまり政治家の悪口言うなよ」って言うんです。 「言わないで下さいよ」 じゃなくて。 言い返してやりましたよ。「悪口言われないような政治家になりなよ」って。
● 落語と漫才について;
結局大事なのはコミュニケーションなんです。 落語は一人で演じますが登場人物の会話で話が進みます。客席も照明をつけて明るくして、お客の顔を見ながら、反応を見ながらします。コミュニケーションの芸なんです。
一方、漫才はぶつ切りの笑いを連続するだけで、最後のせりふは必ず「もうええわ」で
しょ。コミュニケーションを断ち切ってしまう。議論の必要なし、問答無用。こういう笑
いに浸り続けるのは、考えてみると、危険なことじゃないですかねえ。笑いに限った話で
はありませんがね。
昔、高校生時代、デートで上野の‘ツタンカーメン展’に行った帰り、行き所に困って
上野・鈴本で落語を聴いたことがありますが、舞い上がっていて何の話だったかまったく
憶えていません。寄席の思い出はそれだけです。
ここ数年手帳の最初のページに ‘ユーモア’と毎年書くのですが、出来ているような
出来ていないような?そんな会話が出来るように!と、いつも心がけているつもりですが。
日本語のユーモア : こっけい、おかしみ。
英語の HUMOR : 原義は 湿ったもの、体液。そこから派生して 気性、気質。
日本語のユーモアはむしろ、英語ではJOKEに相当するかも。
健全な人が持っている ‘共感者’ を得るような人間味溢れるおかしさ。とあります。 ‘共感者’ とあるところがクセモノです。
HUMORの本質が 「反応を感じながらの共感者を得るやりとり」 とすれば歌丸師匠の言う落語の本質とイコールではないでしょうか!
浅い ‘笑い’ に流されず ユーモアに満ちた豊かな感性で礼儀正しく生きたい。
『透けて見える世の危うさ』と題して 落語芸術協会会長 落語家・桂 歌丸さんの言葉
お笑いが大ブームです。 テレビはお笑いタレント総動員で、テンポの速い漫才やコントで笑いっぱなしにさせてくれる。 でも、どうでしょう、私は見ててくたびれちゃう。見た後に何も残らない。手前味噌になるが、聞いた後にジーンとくる、ほのぼのとする、そんなものが欲しくなる。 寄席の盛況は皆さんのそんな気持ちの表れじゃあないか。 となると落語ブームも、ただ喜んでばかりはいられないのかもしれない。ギスギスした世の中の反動じゃないかとも思うんです。
● 弱いものいじめについて;
余裕のない、シャレの通じない世の中になってきました。去年を振り返っても、悲しいことや腹立たしいことがありすぎて、一つ一つあげられないくらい。 早い話がいじめ。子供のいじめばかりが問題にされていますが、大人の世界にもあるんじゃないですか。
たとえば今、政府は増税の話ばっかり、何かあるとすぐ税金をとることばかり考えるよ
うに見える。なぜか、それは一番簡単だからですよ。取りやすいところから取る、世の中
の弱いところから取る。楽だから。これ要するに、弱い者いじめでしょ。で、企業には減
税っていうんだから・・・・・。
● 落語とユーモアについて;
大体政治家には笑顔がない。 特に野党の幹部。自民党のほうがまだ表情に余裕がある。外国の政治家は必ず冗談を言います。 笑わせること、人を楽しませることを大事にしている。日本でやったら「不謹慎だ」って言われるでしょうが、政治家にもユーモアや人間味が欲しいですね。 吉田茂、福田赳夫、大平正芳。みんな落語好きでした。 今はいません。後援会の方々は時々団体で寄席に来ますが、政治家本人は来ない。オペラや歌舞伎もいいけど、時には寄席にいらっしゃい。
● 落語家の躾について;
落語家の世界は昔ながらの師弟関係です。 弟子には先ず礼儀作法から教える。私生活をきっちりさせる。今は家庭教育がおろそかだから、その分も厳しくする。そして稼ぎのネタになる落語を教えるのは一番最後です。 ところが、企業ってのはそうじゃない。会社で最初に教えるのが金儲けの方法。人間としての土台などは作らない。だから不祥事が次々に起きるんです。
ある時、 飛行機で乗り合わせた政治家が降り際に「あんまり政治家の悪口言うなよ」って言うんです。 「言わないで下さいよ」 じゃなくて。 言い返してやりましたよ。「悪口言われないような政治家になりなよ」って。
● 落語と漫才について;
結局大事なのはコミュニケーションなんです。 落語は一人で演じますが登場人物の会話で話が進みます。客席も照明をつけて明るくして、お客の顔を見ながら、反応を見ながらします。コミュニケーションの芸なんです。
一方、漫才はぶつ切りの笑いを連続するだけで、最後のせりふは必ず「もうええわ」で
しょ。コミュニケーションを断ち切ってしまう。議論の必要なし、問答無用。こういう笑
いに浸り続けるのは、考えてみると、危険なことじゃないですかねえ。笑いに限った話で
はありませんがね。
昔、高校生時代、デートで上野の‘ツタンカーメン展’に行った帰り、行き所に困って
上野・鈴本で落語を聴いたことがありますが、舞い上がっていて何の話だったかまったく
憶えていません。寄席の思い出はそれだけです。
ここ数年手帳の最初のページに ‘ユーモア’と毎年書くのですが、出来ているような
出来ていないような?そんな会話が出来るように!と、いつも心がけているつもりですが。
日本語のユーモア : こっけい、おかしみ。
英語の HUMOR : 原義は 湿ったもの、体液。そこから派生して 気性、気質。
日本語のユーモアはむしろ、英語ではJOKEに相当するかも。
健全な人が持っている ‘共感者’ を得るような人間味溢れるおかしさ。とあります。 ‘共感者’ とあるところがクセモノです。
HUMORの本質が 「反応を感じながらの共感者を得るやりとり」 とすれば歌丸師匠の言う落語の本質とイコールではないでしょうか!
浅い ‘笑い’ に流されず ユーモアに満ちた豊かな感性で礼儀正しく生きたい。
Posted by masuzawa05 at
10:40
│Comments(0)