2006年10月23日
ちょっと一息・その2
全員が休めそうなので仕事の合間をぬって、研修旅行に行ってきました。9月はまだまだ暑かったです。
熱海→<新幹線>→品川→<京浜急行>→羽田→<飛行機>→高松空港→高松港→<フェリー>→直島(ホテル一泊・地中美術館モネの睡蓮を見る・翌日 家プロジェクト見学)→<フェリー>→高松(レンタカー)→イサムノグチ庭園美術館→金毘羅参道沿い・とら丸旅館泊まり→丸亀市立猪熊弦一郎現代美術館→高松空港→<飛行機>→羽田
うどん・うどんと都合6〜7回うどんを食べました。讃岐はやっぱし‘うどん’かな。
ベネッセ・直島のミュージアム・ホテルとテラス・ホテル:
・安藤さん設計のコンクリート打ち放しのホテルはいろんな仕上げを使ってない分、唯 一言 ‘シンプル’・・・・・ 我々は忙しさにかまけて‘RYOKAN−ONLY・設計バカ’になっていないだろうか?そんな問い掛けの旅でもありました。
これらはテラス棟の写真です。
これらはミュージアム棟の写真です
地中美術館を含め建築と美術品が一体となったアート というコンセプトからして、写真を取れないもどかしさ、窮屈!
地底というか地中を巡り、地下からポッと開けた青い空と白い雲。
人間にとっての水面は魚にとっては 空気の天井である! の新宮晋さんのフレーズと共に金子みすずの詩 『大漁』 が心に浮かびました。
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう
私にとって、みすずさんの詩を洋風の絵にすると南桂子さんの月や鳥、少女や葉っぱのエッチングとイコールになる不思議さ、やさしさ、つよさ。 そう思われませんか?
真っ白な部屋にかかるモネの睡蓮は清楚で一見の価値あり。個人的には天竜市に在る藤森照信さん設計、秋野不矩美術館の素足で寝転んで見れる印度の土壁の民家の力強い絵がドラマチックな室礼といい双璧でしょう。
一夜明けてこれは朝食ブュッフェの設えです。シンプルな清潔感がいい。朝はさわやか、ゴチャゴチャしてないとこがいい。
・家プロジェクト:きんざ・角家・南寺・護王神社 建物とアートが一体となったところが特色です。
きんざの建物は所員の永田君が前のアトリエ事務所で手掛けた作品で、どうしても見たかったのですが、予約が取れず見れませんでした。
どこまでが作品であるのか分かりづらく、室内一杯に設えてあるので大勢は入れず、その点が不便です。もっと住民に密着した形でのアートが出来なかったかと、ゲシュタポのようなベネッセの係員が出てくるたびに思いました。
直島でなければならなかったのか?! ここにしかない物・ONLY ONEは分かるのだが、作品の選定に無理があるような気がします。作品の詳細については後日。
・イサムノグチ庭園美術館:身近なものとしては和紙の照明が一般的ですが、石の彫刻が有名です。やはりここでも、自宅は見せない・写真は取らせないで、定時に一斉にゾロゾロとまとまって見る!ていたらく。どうもみんな向うの都合、フラストレーションが溜まります。で、こんな写真です。
ミノルヤマザキ(建築家)・ジョージナカジマ(家具)・イサムノグチ(石の彫刻・照明器具) この3人がいつも私の頭の中でこんがらがります。ドウス昌代さんのイサムノグチの本が出ています(山口淑子さんと結婚していたのを知ってましたか!?)。
彼は石についてこう語っています:石が思うような割れ方をしなかったりしたとき、それがけっして悲観すべきことではないと受け取るようになってきた。思う通りにいかないときは、自然の力に逆らった時だからだ。石に耳を傾けるのではなく、ぼくが我を通そうと思ったからだ。間違いをおかしたとき、神は、ぼくの戸口をノックする。よく耳を傾けなさいとね。
すごく良くわかりますが、私まだまだ 我を通すきらいがあります。
・とら丸旅館に泊まる:昔懐かしいベランダの椅子に座り、トイレだけ付いた部屋、畳7.5帖に大の字になり伸びをする。(安藤さんのツインの客室は美しいのだが椅子やベッドの上ではいまいち寛げない私)大風呂に入り夜は宴会、石松代参もかくありき。翌朝6時起きで金毘羅さんの奥の院まで参拝往復2時間。
結果として我々は‘RYOKANバカ’になりつつあるが、なってはいなかった!
泊まり分けてみると良くわかる。和はフレキシブルでいいのだ!但し、その良さは室礼ともてなしの質が醸し出す品格によるところが大であろう。そして清潔感。地面や土間から一段上げた、ごろごろ出来るタタミ床は、ホテルに於けるオットマン付きの椅子や、最近流行りのデイ・ベッドの原型である という私なりの結論に達した。
両者のあいだを採るわけではないが低床の籐の昼寝椅子などが有って、軒先深く庭園や海・山・川を見やれば最高でしょう。でもこれからHOTELや住宅やレストラン、あまたの施設から学び取り入れるものは多いい。
・丸亀市立 猪熊弦一郎現代美術館:谷口さん設計の建物はシンプルでいいのだが、キューブ状の大空間の割には展示物が少ない、というよりも、作品に対して空間ボリュームが大きすぎる気がする。建築家という芸術家が芸術を展示するための空間を創造することのむずかしさ、ここでも変な設計士魂が頭をもたげる。(建築空間が年月を経て、結果としての‘芸術性’を賦与されるのはありがたいことですが、あくまでも‘用の美’が在って後の評価に任せたいと思っています。)
しかしながら、いつも思うのだが画家ってどうしてこんなにも繊細でナイーブで執拗なのだろうかと。我々はサラッとしすぎてはいないか。
たまたま企画展で須田悦弘展をやっていて、本人をお見かけしました。所内でも工芸品的作品の美術作品範疇について色々の考えが有りますが、壁と床の入り隅に草が生えていたりして、ただただ踏んづけそうで気を使いました。
そして、美術館に学芸員の居るオープンな図書室があるのはいい。しばし、書籍や写真集から猪熊さんの人となりに触れる時間がつくれます。
二泊三日の旅の終わりに、高松空港で また‘饂飩’をたべる。
熱海→<新幹線>→品川→<京浜急行>→羽田→<飛行機>→高松空港→高松港→<フェリー>→直島(ホテル一泊・地中美術館モネの睡蓮を見る・翌日 家プロジェクト見学)→<フェリー>→高松(レンタカー)→イサムノグチ庭園美術館→金毘羅参道沿い・とら丸旅館泊まり→丸亀市立猪熊弦一郎現代美術館→高松空港→<飛行機>→羽田
うどん・うどんと都合6〜7回うどんを食べました。讃岐はやっぱし‘うどん’かな。
ベネッセ・直島のミュージアム・ホテルとテラス・ホテル:
・安藤さん設計のコンクリート打ち放しのホテルはいろんな仕上げを使ってない分、唯 一言 ‘シンプル’・・・・・ 我々は忙しさにかまけて‘RYOKAN−ONLY・設計バカ’になっていないだろうか?そんな問い掛けの旅でもありました。
これらはテラス棟の写真です。
これらはミュージアム棟の写真です
地中美術館を含め建築と美術品が一体となったアート というコンセプトからして、写真を取れないもどかしさ、窮屈!
地底というか地中を巡り、地下からポッと開けた青い空と白い雲。
人間にとっての水面は魚にとっては 空気の天井である! の新宮晋さんのフレーズと共に金子みすずの詩 『大漁』 が心に浮かびました。
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう
私にとって、みすずさんの詩を洋風の絵にすると南桂子さんの月や鳥、少女や葉っぱのエッチングとイコールになる不思議さ、やさしさ、つよさ。 そう思われませんか?
真っ白な部屋にかかるモネの睡蓮は清楚で一見の価値あり。個人的には天竜市に在る藤森照信さん設計、秋野不矩美術館の素足で寝転んで見れる印度の土壁の民家の力強い絵がドラマチックな室礼といい双璧でしょう。
一夜明けてこれは朝食ブュッフェの設えです。シンプルな清潔感がいい。朝はさわやか、ゴチャゴチャしてないとこがいい。
・家プロジェクト:きんざ・角家・南寺・護王神社 建物とアートが一体となったところが特色です。
きんざの建物は所員の永田君が前のアトリエ事務所で手掛けた作品で、どうしても見たかったのですが、予約が取れず見れませんでした。
どこまでが作品であるのか分かりづらく、室内一杯に設えてあるので大勢は入れず、その点が不便です。もっと住民に密着した形でのアートが出来なかったかと、ゲシュタポのようなベネッセの係員が出てくるたびに思いました。
直島でなければならなかったのか?! ここにしかない物・ONLY ONEは分かるのだが、作品の選定に無理があるような気がします。作品の詳細については後日。
・イサムノグチ庭園美術館:身近なものとしては和紙の照明が一般的ですが、石の彫刻が有名です。やはりここでも、自宅は見せない・写真は取らせないで、定時に一斉にゾロゾロとまとまって見る!ていたらく。どうもみんな向うの都合、フラストレーションが溜まります。で、こんな写真です。
ミノルヤマザキ(建築家)・ジョージナカジマ(家具)・イサムノグチ(石の彫刻・照明器具) この3人がいつも私の頭の中でこんがらがります。ドウス昌代さんのイサムノグチの本が出ています(山口淑子さんと結婚していたのを知ってましたか!?)。
彼は石についてこう語っています:石が思うような割れ方をしなかったりしたとき、それがけっして悲観すべきことではないと受け取るようになってきた。思う通りにいかないときは、自然の力に逆らった時だからだ。石に耳を傾けるのではなく、ぼくが我を通そうと思ったからだ。間違いをおかしたとき、神は、ぼくの戸口をノックする。よく耳を傾けなさいとね。
すごく良くわかりますが、私まだまだ 我を通すきらいがあります。
・とら丸旅館に泊まる:昔懐かしいベランダの椅子に座り、トイレだけ付いた部屋、畳7.5帖に大の字になり伸びをする。(安藤さんのツインの客室は美しいのだが椅子やベッドの上ではいまいち寛げない私)大風呂に入り夜は宴会、石松代参もかくありき。翌朝6時起きで金毘羅さんの奥の院まで参拝往復2時間。
結果として我々は‘RYOKANバカ’になりつつあるが、なってはいなかった!
泊まり分けてみると良くわかる。和はフレキシブルでいいのだ!但し、その良さは室礼ともてなしの質が醸し出す品格によるところが大であろう。そして清潔感。地面や土間から一段上げた、ごろごろ出来るタタミ床は、ホテルに於けるオットマン付きの椅子や、最近流行りのデイ・ベッドの原型である という私なりの結論に達した。
両者のあいだを採るわけではないが低床の籐の昼寝椅子などが有って、軒先深く庭園や海・山・川を見やれば最高でしょう。でもこれからHOTELや住宅やレストラン、あまたの施設から学び取り入れるものは多いい。
・丸亀市立 猪熊弦一郎現代美術館:谷口さん設計の建物はシンプルでいいのだが、キューブ状の大空間の割には展示物が少ない、というよりも、作品に対して空間ボリュームが大きすぎる気がする。建築家という芸術家が芸術を展示するための空間を創造することのむずかしさ、ここでも変な設計士魂が頭をもたげる。(建築空間が年月を経て、結果としての‘芸術性’を賦与されるのはありがたいことですが、あくまでも‘用の美’が在って後の評価に任せたいと思っています。)
しかしながら、いつも思うのだが画家ってどうしてこんなにも繊細でナイーブで執拗なのだろうかと。我々はサラッとしすぎてはいないか。
たまたま企画展で須田悦弘展をやっていて、本人をお見かけしました。所内でも工芸品的作品の美術作品範疇について色々の考えが有りますが、壁と床の入り隅に草が生えていたりして、ただただ踏んづけそうで気を使いました。
そして、美術館に学芸員の居るオープンな図書室があるのはいい。しばし、書籍や写真集から猪熊さんの人となりに触れる時間がつくれます。
二泊三日の旅の終わりに、高松空港で また‘饂飩’をたべる。
Posted by masuzawa05 at
18:00
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