2005年11月30日
民家(民芸)考・その1
使わないものは捨て去る、現代の機能主義住宅もしく機能空間・・・・・。
時に必要なものだけで組み立てた近代の住宅に心が休まるのだろうか。不要・無意味な思索がたまに必要なように、不要なもの達の中に必要なもののヒントがある。
何も無い空間は何かを満たす為のタオイズムの空である。そして、要・不要の選別には緊張感が要る。
便利と不便の揺れる狭間にオリジナルな有用が生まれる。
こんな意見が有ります。現代の生活はあまり動かないで用が足りる、それは便利というもので、機能主義に忠実であったとして評価されるかもしれない。しかし‘民家’の伝統を受け継ぐ和風住宅では「人を怠け者にする」と言って非難される。住まいは安らぎを得る場所だけではなく、‘肉体’と‘精神’を鍛える処と言われ、生活道場的な色彩を帯びていた。安易につかない凛とした日常があった。
民家に残る井戸・囲炉裏・竈、現代の生活には不要ではあるが、それらにまつわる人の息吹を残す水・火・食、には人としての動物の持つ原初的な懐かしさが有る。
そして、現代に残された唯一の 有用 なもの、それは逆説的に言えば‘無駄’や‘不便さ’ではないだろうか。この揺れる狭間に生ずる緊張感には非日常の意外性が有る。
設計士にとっては‘何を造らなかったか’も創造の内です。